こんにちは。

 

 

 

12月は仕事の話ではなくて、

映画の感想をブログに書いています。

 

 

 

2023年9月に観た映画は

【6月0日 アイヒマンが処刑された日】です。

 

 

 

ジェイク・パルトロウ監督は、

イスラエルに足を運んで取材をし、

この映画を製作したそうです。

 

 

 

 

 

 

アドルフ・アイヒマンは、

ユダヤ人大量移送に関わった人です。

 

 

 

今回の映画は逃亡したアイヒマンを

追いかけた人達が主人公ではなくて、

アイヒマンの遺体処理(火葬)に関わった

市井の人たち(民間人)が主人公です。

 

 

 

アイヒマンが処刑されたことは知っていても、

遺体処理のための焼却炉作りについては

あまり知られていません。

(ウィキペディアには焼却炉でアイヒマンの遺体は

焼かれたと書いてありますが、

焼却炉作りに関わった人達のことは書かれていません)

 

 

 

ヒーロー達が出る映画と違い

市井の人達が主人公の映画ですので、

ストーリー展開が単調に感じる人が

いるかもしれません。

 

 

 

歴史の教科書やウィキペディアには

書かれていない歴史の裏側を

描いたであろう映画

【6月0日 アイヒマンが処刑された日】の

簡単なあらすじを書こうと思います。

(私の記憶があやふやなのですが)

 

 

 

クローバー

 

 

 

イスラエル国に住む移民の少年・ダヴィッドは、

イスラエル国に馴染もうとしているが、

なかなか思うようにいかない日々を送っています。

 

 

 

クラスメイトや教師からは、

リビア人であるダヴィッドは低く見られています。

 

 

 

ダヴィッドの家は裕福とは言えません。

 

 

 

ある日、ダヴィッドは父親から工場で

働くように言われます。

 

 

 

腕っぷしの強い社長が経営している工場には、

キャンディばかりをなめている男性、

ホロコーストから生き延びた男性などが

社員として働いています。(全員がイスラエル人)

 

 

 

ダヴィッドの行動は落ち着きがなくて、

平気で盗みもするのですが、

ダヴィッドの頭の回転の早さ、

身体能力の良さなどを社長が気に入り、

ダヴィッドは工場で働くことになります。

 

 

 

イスラエル国から工場に、

処刑したアイヒマンの遺体を燃やすための

焼却炉を作る依頼が来ます。

 

 

 

イスラエルでは、火葬の習慣がありません。

 

 

 

依頼者(国)が持ってきた焼却炉の設計図は、

ナチスドイツで使用していた焼却炉の設計図でした。

 

 

 

ナチスドイツでは焼却炉を使って、

ホロコーストで虐待された人達の遺体を

焼いていました…。

 

 

 

工場の社長や社員達は、

焼却炉の設計図がどこから来たのかを知り、

衝撃が走ります。

 

 

 

市井の人たちの精神的葛藤、

イスラエル国民と移民の間にある複雑な関係性、

ホロコーストから生き延びた人達への

偏見や尊厳の回復など…、

焼却炉を作る過程を通して描かれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の記憶に残っている言葉が、

3つあります。

 

 

 

1つめは、

ダビッド少年が言った言葉

「目には命ではないよ」です。

 

 

 

ハムラビ法典にある

「目には目を、歯には歯を」を、

移民のダヴィッドは違うんじゃない?

と思っているんです。

 

 

 

教師がダヴィッドに

「あなたはどこの国の人なのか」的な

ことを言われたダヴィッドの姿を見て、

移民の人達の苦労や帰属意識に

ついて考えました。

(ハッと気づかされるような言葉だった)

 

 

 

帰属意識を常に考えるような状況を

私は経験したことがないです…。

私は世界情勢に疎いこと、

島国に生まれたことで守られている

ということに気づかされました。

 

 

 

また、移民がイスラエル国民に

なろうと努力をしても、

どうしてもなれない【線】が

あるようにも思いました。

(難しい問題だな…)

 

 

 

ダヴィッドは何をしても、

イスラエル国民として認められません。

 

 

 

アイヒマンの遺体焼却が成功したあと、

ダヴィッドは工場を解雇されました。

 

 

 

ダヴィッドの活躍で焼却炉による

遺体処理が成功したにも関わらず、

工場を解雇されたことによって、

彼は存在すらなかったことにされました。

(工場の人達との交流を通して生まれた

仲間意識や帰属意識もなかったことに…)

 

 

 

工場の社長はまだ子供である

ダヴィッドのためを思って、

これ以上大人の世界に…複雑な世界に

いさせることを良しとしなかった

のかもしれない…。

 

 

 

イスラエルの問題だから

最後はイスラエル人で完結させる…

たとえ他国の者(移民のダヴィッド)

協力を得たとしても…

と考えたのかもしれない…。

 

 

 

工場の社長が何を考えて

ダヴィッドを解雇したかは、

社長本人に聞かないと分かりませんが…。

 

 

 

ただ、

移民のダヴィッドとイスラエル国民は、

同じ問題をどのように捉えるのかの

違いがあるんだなと思いました。

 

 

 

2つめは、

ホロコーストから生き延びた男性が

言った言葉「私は生きた化石」です。

(工場で働いている男性とは違う男性です)

 

 

 

ホロコーストから生き延びた人達が

ホロコーストにいたこと自体を隠すのは、

「そんなことがあったなんて信じられない」

「本当のことなの?」

「弱い人間なんだね」と

仲間だと思っていた…

受け入れてくれると思っていた

イスラエル国民に言われて、

もう一度、心や魂を傷つけられるような…、

最期のとどめを刺されるような感覚に

なったんだろうと、私は思いました。

(魂にダメな人間とか無価値な存在だ、

恥だ、弱いからだという烙印を押されるような感じ)

 

 

 

ホロコーストから生き延びた男性は

自分の経験を話す仕事を

ある団体から依頼されているのですが、

彼が利用されていると思って

心配している一人の女性がいました。

 

 

 

その女性に向かって

ホロコーストから生き延びた男性が

言った言葉「私は生きた化石」…。

 

 

 

その男性の記憶、細胞、臓器など、

彼の体の全てが「生きた化石」。

 

 

 

ホロコーストで名前を奪われて、

番号で言われていた男性の言葉は、

とても重く感じました。

 

 

 

「生きた化石」となった自分を

どのように使うかの一つの方法として、

アイヒマン裁判や団体ツアー客に、

自分の体験話を話すこと+

法廷で証言することだったのでしょう。

 

 

 

 

そうすることで、自らの尊厳の回復と、

肉体(それは魂にも及ぶ)に押された

数字の烙印を癒したかったのかも。

 

 

 

そんなふうに、私は思いました。

 

 

 

 もし、私の目の前に傷ついた人がきたら、

「そんなの嘘でしょう」

「汚い」「弱い」「バカみたい」

「そんな経験をしてない自分は大丈夫!」

「私ってすごいんだから」など…

バカにしたり、自分の自慢話をして、

傷のある人にダメ出しをしたり、

尊厳を破壊したり、

烙印を押すようなこと(レッテル貼り)

しないようにしようと思いました。

(なかなか大変だけれども、そうなるようにしていく…)

 

 

 

 

3つめは、

「僕が歴史に触れ、歴史が僕に触れた」

です。

 

 

これは大人になったダヴィットが、

焼却炉作りに関わったということを

訴えた時の言葉です。

 

 

 

「証明されるものがない」ということで、

ダヴィッドが焼却炉作りに関わったことは

「ない」とされて映画は終わります。

 

 

 

 

証拠がないのは、

生き残った工場の社員が

「ダヴィッドのことを知らない」

「ダヴィッドという人は存在していない」

的なことを話したからなのですが…。

(いつか証明されるといいね)

 

 

 

私達が知っている歴史の中には、

埋もれてしまっている話や真実が

「なかったこと」にされていたり、

「歪められている」ということは

結構あるのかも…と、

この映画を観て思いました。

 

 

 

 

市井の人達(民間人)は主役を

引き立てる存在…あるいは、

ちっぽけな存在だと考える人が

いるかもしれないけれど、

市井の人達であっても

歴史に触れる瞬間があるし、

歴史の一部でもあるんだ…

と、私は思いました。

(メインの人達のみが歴史を作っているのではない)

 

 

 

 

なので、

現在の市井の人達は

「自分のことを大した人間ではない」と

思わなくていいんじゃないかな…。

 

 

 

 

現在の市井の人達に入る私は、

歴史的瞬間をテレビで見ることや、

ニュースで知ることはあります。

 

 

 

歴史に触れた瞬間を

「あ、そうなんだと軽く受け止めて流す」

ということを、

私はちょっとやめてみようと思います。

(傍観者の立場を改めてみる的な感じ)

 

 

 

私は、日本の戦中・戦後の映画や

テレビドラマを観たことはありますが、

海外の戦争についての映画を観たのは、

今回が初めてです。

 

 

 

来年の夏に、日本・海外問わずに、

戦争について考える映画を

観ようと思います。

(テレビ番組も含む)

 

 

 

 

長くなりました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

 

今日はこの辺で。

 

 

 

 

 


 

次のイベント出展は、2024年2月を予定しています。