葬儀(10月1日) | はづきの日記

はづきの日記

子無しの主婦です
生活の中であったことを書いています
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早く起きておにぎらずを作らなきゃビックリマーク

とお米をタイマーでセットして寝たのに

·····寝坊しましたガーンガーンガーン


運良く旦那がいつもより早めに起きてきたので

目が覚め、大急ぎで作りました。

なので、数がいくつくらいあったらいいのか

何も考えずに作ってしまったため、

はじめの方大きめで、途中から小ぶりに笑い泣き


バサバサの毛先を隠すために髪はお団子にして

黒のシュシュをつけてスッキリと。

急いでお茶漬け流し込んで、メイクして

着ていくものは全て用意しておいたので

良かったです。

そうそう、ふくさがお布施の厚みを受け入れない

形の出来てるものだったので、前日に

フォーマルのお店に行って、包むタイプのものを

購入してきました。

なのでそれを私のバッグの中に。

喪主となると、色々必要になりますね。


念の為持ち歩く飲み物をそれぞれ用意して

ほぼ予定通りに自宅を出発し、到着すると

やはり遠方の親戚は既に到着していました。

念の為時間の流れを確認したところ

一応義父の時よりは早く戻るように

なっていたようです。ちょっとホッとして

それならおにぎらず、いらなかったかなはてなマークとか

思いつつ。

義母の祭壇は頼んでおいたお花だけで

すごく綺麗に飾られていました。

旦那とこれだけ綺麗なら問題ないよねと

一つ一つ確認する度に胸を撫で下ろす

感じでした。


お坊さんの所へ行き、いくつかの確認と

以前いただいたのと同じ数珠をいただいて

私の分かな〜なんて思いましたが

男性用のものと言うことだったので諦めました。

その後義両親の法名について話を聞いたら

2人並べると「鳳凰」の文字が入っていて

最高級な法名を頂いていることを知りました。

義母には「美」の文字が入っていて、それは

義父が希望したそうだ。何だかんだ義父は義母を

大事に思っていたんだなと感じました。

義母の方は生前義父について聞いてみたことが

あるけれど、照れなのか本気なのか分からない

けれど「え、そうなのキョロキョロ」な答えだった。


説明を聞いたあと、親戚の皆さんの元へ。

今から受付を開始するとの事で

Aさん親子に頼んでおいたのでお願いしました。

旦那がトイレに行っている時に、

「こういうのはいかがなさいますかはてなマーク」みたいな

質問を受けたのだけど、よく分からなくて

適当に返事をしたら、トイレから出てきた旦那に

それはおかしいだろビックリマークと訂正しに行った·····。

約立たずですまんおねだり

私もトイレを済ませて間もなく葬儀が

始まりました。

何度も皆さんに来て頂かなくてもいいように

初七日まで一度に済ませてしまう葬儀てす。


座る順も一応は決まっているのだけれど

「私は後ろでいい」考えな方が多くて

1番前だけは近しい親戚に座ってもらって

後は適当でいいことに。

念の為前日の夜にお焼香の際の挨拶を

どうするのかチェックしておいたので

落ち着いてできました。

旦那が喪主なので一緒に行動するので

先の人を見てからとか出来ませんからね。

常識知らない事が多いので、失敗しないよう

気をつけました。


祭壇に飾られたお花を棺に入れるのに

参列者が少ないため何度も何度も渡されて

どこが少ないかとか考えて入れましたが

親戚からのお花がなくても十分に義母を

お花でいっぱいにすることができました。

それでも残る分があり、帰りにいただきました。

そして棺の蓋を持って上に乗せ(結構重い)

釘のようなものを打ち付けてしっかりと

止めました。少しずつ存在が遠くなる感じです。


葬儀場の出入口で男性たちの手によって

棺が霊柩車へと乗せられました。

全員マイクロバスに乗り、火葬場まで

約30分ほどのドライブです。

旦那は白木の位牌を持ち、私は大きな遺影を

抱えて乗りました。ワンピースの喪服は

裏地が滑って変な体勢になり、でも遺影が

あるのでやたら動けず、腰が痛くなりました汗

その間はふと思い出した義母の事を話したり

ウルウルしたり。

到着して立ち上がるのもちょっと大変。

バスを降りる際に遺影を渡して

すぐに火葬の場所へ移動です。

いくつも並んでいましたが、どれもフル活動して

いるようでした。

お坊さんにお経を唱えていただいてから

最後のお別れを。

·····やはり人としての姿を見られる最後の瞬間は

皆、涙、涙、涙。

ただ、奥の方で火葬される遺族の方が

ものすごい声を上げて泣き叫んでいたので

あっけにとられてしまいました。

お若くして突然亡くなられたのかな。

顔の所の扉が開かれている状態の義母。

Aさんのお嬢さんが名残惜しくてたまらない

感じで見ていたので、最期に触ってあげてと

声をかけると「いいんですかぐすんはてなマーク」と

頬をなでていました。

義母が元気だった頃は、家が近いのもあって

私たちよりも蜜に会っていたと思われます。

義母も可愛がっていて、お祝い事があると

私たちが準備に走らされていました(笑)


義母の体が扉の向こうへと押し込まれ

扉を閉められた瞬間は本当になんとも言えない

気持ちでした。

控え室に移動しているうちに涙も落ち着き

持ってきたおにぎらずの出番です。

お昼タイムに食べられないと気持ち悪くなって

しまう旦那にひとつ渡してから、控え室の

担当の方に念の為持ち込みの話を確認したところ

飲み物やお菓子はそこで出すので持ち込むと

お金を取られたりしますが、おにぎりや

サンドイッチはOKだそうです。

なので。

お坊さんにも粗末すぎるものだけど

ひとつ渡すと、この後ももう1件あるらしく

終えるまでは食事はしない主義だそうで

終わってからいただきますと、受け取って

くださいました。が、迷惑じゃなかったろうか。

聞けなかったあせる

テーブルはいくつかあるけれど

Aさん親子と親戚の男性陣と女性陣という

3グループに分かれていて、(私と旦那は

お坊さんと一緒です)

お坊さんは、「気を使ってわたくしと共に

いらっしゃらなくても大丈夫ですよ」とは

言うものの、ずっとお話されてるんです。

まずは私がおにぎらずを配るため

旦那が残ると、旦那に話し出す。

Aさん親子に「良かったら」と1つずつ渡し

次に男性陣のテープルに向かい、お年を召した

方がいらっしゃらないので、一人一つになるよう

渡してきました。したら女性陣の人数分に

ひとつ足りないあせるけど仕方ないので

ちょっと1人分足りなくて申し訳ないですが

もし良かったら·····と置いて戻りました。

お坊さんが旦那に話しているところに私が

戻り、何となく何を話していたのか理解すると

お話がちょっと途切れた時に、挨拶に行くから

と席を立ち、お坊さんは話題を変えることなく

続きを私に話し出す。浄土真宗は色々自由だから

髪型の話や、もっとがっちり修行をしたい人は

別の所へいくこともあるとか諸々。

旦那が戻ってきたら、今度はおにぎりのゴミは

持ち帰らないとならないので、私が

回収に向かいました。皆さんはそんな事

知らないので、おにぎらずが入っていた

ビニールにそこでのお菓子のゴミも入れていて

分ける必要も無いので、とにかくビニール袋を

回収して回りました。

ちょっとびっくりしたのは、どこにも

おにぎらずが残っていなかったこと。

寝坊したけれど作ってきて良かったです。

そして間もなく火葬がおわるので

トイレ等行って準備をと言われたので

女性陣は一斉にトイレへ。


そこで会った義母の妹さんに、

「ねーちゃんがね、いつも小さなおにぎりを

作ってきてくれるんだよって言ってたよ。

美味しかった。ありがとう」と言われました。

通院の時は、いつも朝ご飯の後にご飯を

丸めていて、出かける前にそれを食べてくると

言っていたので、早めに出るからそれを食べずに

持ってきてと話したので、自分で(丸めたの

ではなくわざわざおにぎりおにぎりを作ってきて

いました)持ってきたのを食べていて

私は食べやすいようにめっちゃ小さいのを

いくつも持って行っていたけれど

義母が食べることはなかったよなぁはてなマークなんて

思ったりして(笑)

義母がいつもOKこんなふうに小さく丸める

と言うから、そのくらいのサイズにしてみたら

義母のは普通に手のひらサイズのおおきな

おにぎりおにぎりだつたなあと。

たぶん話をはしょったら、自分のために作って

きたみたいになったんだろうな。


全員揃って義母の遺骨とのご対面。

ちょっとね、この時の事は私も旦那も

納得いかなかったのだけど、つい1か月前に

義母の弟さんの葬儀の時は、まずは丁寧に

この骨は何処のものでしっかりとされています

等説明があってから、2人で遺骨を骨壷へと

入れた記憶があるのだけど、なんの説明も無く

さらに二人ではなく一人で1つ入れるよう

言われ、隣では二人で入れてるのに。

後でお寺さんに確認したけれど、そんな

しきたりは無いですと言われました。

急いでいたのかもしれないけれど

それは遺族に対して失礼でははてなマーク

思ってしまった。

一応皆が1つずつ入れ終えてから残った骨を

いくつか説明してくれました。

そして、骨粗鬆症と言われていた義母ですが

小柄だったぎぼですが、女性用の骨壺に

なかなか全てを入れられないようで

骨壺の中をお箸でギュウギュウ押していたので

中で遺骨が割れて粉々にされてるんだろうなと

思いながら、これが普通のやりかたなのかなと

入り切らないから仕方ないんだろうなとは

理解はしていても、せっかく形の残った骨を

ポロポロにしないでほしいなとか考えて

しまいました。


お坊さんはお経を唱え終えると、次のお仕事へと

向かわれました。

帰りは旦那は骨壷を抱え、私は白木のお位牌を

そして遺影は妹さんに持っていただきました。

骨壷を収めた箱の中に画像を終えたことにより

埋葬許可証が出て、その許可証が入っているので

開けずにそのまま埋葬の日まで

置いておいてくださいと言われました。


火葬場への行きと帰りは、ちょっと道を

変えることにより魂が迷って

ついて帰って来ないようにするのですが

全部が違う道でもなくて、そんなところを

見ながら戻りました。

義母宅の見える道も通ったので

「お義母さん、お家だよ」と話しかけたりして。


葬儀場に戻り、これで葬儀は終わりで食事と

なるのですが、旦那が最期に挨拶を。

(浄土真宗は献杯が無いので挨拶のみです)

思い出については帰りに渡す返礼品に付く

会葬礼状に書いてあるので、それとは違う

話をしていましたが、ちょっと忘れて

しまいましたあせるあせるあせる

最後に「妻と共に生きていきたいと思うので

今後もよろしくお願い致します」みたいな事を

言っていたかな。え、私はてなマークって思ったから(笑)


食事はとても美味しいのだけど、

量が多めなので食べるのは大変よだれ

私はもったいない精神で、ゆっくりだけど

なんとか完食しました。なにせおにぎらず

自分は食べていないのでね汗うさぎ

·····あの時は食べてもらえてよかったと思った

けれど、もしかしてたべたからここのお食事

食べきれない!?とか考えると失敗だったかなぁ

となってしまうけれど、おにぎらずのサイズを

思い出すと、あの場で多少の腹の足しになった

くらいで30分以上経ってるし

あれはあれでよかったのかな·····と

思うことにしました。

食事の後はそれぞれに退散な感じだったので

個々にお話をさせて頂いたりして

旦那も一人一人とちゃんとご挨拶もできた

ようで、義母が希望していたのと違って

それなりにキチンとした葬儀となりましたが

やはり残された者のケジメがちゃんとできて

良かったなと思いました。


皆さんが帰られてから私達も帰る準備を

していたら、式場の方がこのあと我が家に来て

四十九日の法要まで義母の遺骨を置いておく

祭壇等を作ると言うので

脳内は·····え!?もう6月から掃除機さえまともに

かけるの大変だったのに片すどころか

散らかり放題の家に人様が来る!?

しかも祭壇どこに置けんの!?驚き驚き驚き!?


一応どこにするはてなマークみたいな話は旦那とは

していたけれど、時間差で我が家に到着するので

帰りの車の中でこっちかあっちだよね

どうする!?と話し合った結果、その時点で

移動させる物が少なく済む場所がいいだろうと

いうことで、旦那の着替えのお部屋の

ウォークインクローゼットの前に決定しました。

そうなんですよ。四十九日終えるまでは

衣替えできなくなりました笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き笑い泣き


私たちが帰宅して着替えて場所作りが

できて、玄関からそこまでの導線を広げ終えて

から葬儀社のお姉さんが到着しました。

ちょっとセットするには狭くて申し訳ないと

思いながら、私はその間いただいたお花たちを

バケツに入れる作業をしていました。

お花をいただく際に「花瓶ありますかはてなマーク」と

聞かれて「あります」と返事したものの

花瓶はウォークインクローゼットの中に

しまってあったので、出す暇もなく

組み立て開始なのでバケツ🪣に(笑)
 
こんな感じで下に敷かれたものが滑り止めの


役割もあるようで、引っ張って動かしてみようか

と思いましたがピクリとも動かず。

こうして11月に突入してもしばらく暑い日が

続いたのが助かることになったのでした。


これでひと息つけるかなとか

思ったけど、まだまだでした。

この日は、無事に終えられたことを良かったねと

穏やかに話して、それぞれ疲れて

眠りにつくのでした。


そして次は遺品整理というものが

私たちを待っていました。

あ、旦那には色々な手続きや書類も汗



今は衣替えも終えています。