3回の電話とそして | はづきの日記

はづきの日記

子無しの主婦です
生活の中であったことを書いています
たいしたブログでは無いのでフォローの承認は同じ好きなものがある方か絡みのある方のみにさせて頂いています。

途中までは書いていたのですが、忙しいのと


体調を崩したりで進めることが


出来ませんでした。


待っていた方がいるかは分かりませんが


大変失礼しましたm(*_ _)m


一つ前の義母についてのブログを


書き上げて- ̗̀up ̖́-して、すぐそのまま


描き始めていたので、そのまま続きを


書き足しました。





翌9月26日は、まだ疲れが残ってるのを


強く感じていたけれど、できる時に


やっておかなきゃあせるという思いは持っているので


頑張れるなら髪のカラーリングしておこうかなと


見た目だけでも元気でいたいと思って


動きはゆっくりでお昼過ぎまでかかって


しまったけど何とか終わらせて


少し遅いお昼を食べて、ちょっと休憩してから


洗濯機を回し始めました。


ふとスマホを見たら、旦那からLINEが。


病院から電話があったみたいで、私や家の


電話には来てないかはてなマークとのことだったから、


1度も鳴ってないよーと返しておきました。



洗濯機が周り終える頃に旦那が帰宅。


病院に電話してみたら、義母がまた高めの熱を


出したらしいとの事。でも話している最中に


看護師さんから連絡が入ったらしく、


熱が下がってきたとのことで一安心しての


帰宅になったようです。


が。


帰宅してすぐ、また病院から電話が。


「急変したからすぐに来てくれって」


とりあえず洗濯機の中のものを出して広げて


行こうかと思ったら「長丁場になるかもだから


何か食べていく」と言うので、冷凍パスタを


レンチンして食べてもらい、私はその間に


1つでもと洗濯物を干していたら、旦那が


食べ追える前に終了。


飲み物だけ用意して、出かける準備に。


すぐに来てくれと言っていたら、即向かう


ものかと思っていたから、驚きつつ


昨日話したばかりだよねはてなマーク熱が下がってきたん


だよねはてなマークと思いながらも、旦那にも


「大丈夫はてなマーク運転はできそうはてなマーク」と確認。


気持ち的にはよく分からないけど


運転はできるみたいなので、私も周囲に


気をつけつつ出発。



病院に到着すると、すでにいつもの入口は


閉まっていて、インターホンを押すよう書いて


あるけど押しても出てこない。


他にも病院にやってきた方がいて、共に待って


居たら、ようやく看護師さんが出てきました。


その後に私たちの会ったことのある看護師さんが


出てきて、こちらですと中に入れてくれて


突然だったんですよ·····と話し出し、


あれからすぐに·····


····················


2階の義母のベッドまで案内され、


昨夜は脈拍や血圧の数字が上下していた機械が


横1本の線になっていて、マスクをはめられた


義母の顔。「心臓も肺も動いていません」と


看護師さん。


タッチのたっちゃんのセリフを思い出させる


ような綺麗な顔をした義母。


そして入ってきた先生が


「到着されてから確認しようと·····」


酸素マスクを外し瞳孔の動きがないか確認し


腕時計を見て「6時44分確認しました」


この時、義父の亡くなった時にも見たことの無い


初めて旦那の「泣きそうな顔」を見た。


すぐ来てください、の連絡の後わりとすぐに


息を引き取ったそう。


熱はあったけれど、昼間お風呂にも入ったり


いつもの様にしていたので、看護師さんも


急でびっくりしたそうです。



少ししたら着替えたり身体をきれいにしたり


するので、それまでの間義母のそばに居させて


もらえました。


義父の時は、やや喘息で苦しそうな呼吸を


しながら寝ている隣の部屋で、3人でこれから


急変したらこのまま訪問診療の先生に来てもらい


看取るか、救急車を呼んで延命治療を


してもらうか考えていたら旦那が


「静かじゃないかはてなマーク」と言うので慌てて


見に行ったら、明らかに抜け殻になっていて


身体の筋肉の力が全て抜けて目が骨の奥に


くぼんで「どうにもならない状態」になっていて


それでも義母は「お父ちゃん、頑張ってよ」と


声を掛けていたなぁ。


けど義母は点滴2本打っていたからか


目がくぼむこともなく、閉じた目も家にいた時


脱水で目の水分も足りてなくて上手く瞼が


開かなかった時と同じで、いまにもフッと


起き上がりそうに見えました。


表情もいつも寝ている時と同じだったので


苦しむことも無く静かに逝けたんだろうねと


話しました。


いつも採血の時に「(年寄りの)汚い手でしょ」


と言っていたけれど、88歳にしてはとても


きれいで触ると体温はなくなってきてるけど


まだ柔らかくて嘘みたいで。


これからどうするか考えていたところなのに。


静かに2人で色々話したと思うけれど


細かくは覚えてなくて。


本当にキレイな顔をしているから、


隣のベッドの方の寝息が義母のものに


思えたほど。旦那も同じ事思ってた。



少ししたら看護師さんが来て、着替え等を


している間に、葬儀屋さんやお寺さんを


決めて連絡してください。こちらに何時に


到着するか教えてください、との事でした。



少し離れた小さめな部屋に通され、


葬儀屋さんのパンフレットを一つだけ渡され


二人きりに。


一応葬儀の話も少しはしていたけれど


少し前まで施設に行くか戻るかなんて


話になっていたので、そちらは完全に


ストップしていました。


小さなお葬式もよさそうだよねと


話はしていたものの、今から連絡して聞いて


他にも調べて見たりとか、そんな心の余裕も


全然なくて。


渡されたパンフレットは義父の時と同じ


葬儀屋さんで、しばらく悩んだけれど


「悩むだけじゃ何も進まないから、気になる


ところがあるなら電話しないとダメなんじゃ


ないはてなマーク」と声をかけたりしていた。


少ししてから、同じところにお願いするか


と旦那の中で電話をする決心がついたよう。


メモとペンを用意したけれど、触る気配も無く


電話をする横で聞いてる会話の中で


こちらに来る時間だけメモをしておいた。



私たちのいる場所は、もしも患者さんが歩いて


中に入ってしまわないようになのか


ついたてがバリケードのように置いてあり


静かに動かして看護師さんの元へ行き


葬儀屋さんの到着時間を伝えました。



少ししてから浴衣への着替えを終えて


うっすらお化粧をしてもらった義母の元へと


案内されました。


もしももう少しひつようならと


メイクパレットを渡されましたが


普段メイクをしてなかった義母なので


ほんのり色付いた頬によって


柔らかな表情に見えました。


亡くなった後にはめられた入れ歯によって


笑っているような顔にもなっていました。


葬儀屋さんが来るまでの間、静かに義母を


ただただ眺めていました。



葬儀屋さんが到着すると、遺体の移動をするため


私たちは廊下で待機。


車に乗せられてから呼ばれ、病院での用事を


済ませたら葬儀場へ来てくださいと言われ


義母を乗せた車は葬儀場へ。


その間、病院の皆さんはずっと頭を下げて


いました。同じように頭を下げたけど


また泣いてしまって鼻水も出てくるしで


忙しい私·····。



入院時に来て行った服も前に返されているので


履いていた靴と入れ歯の入れ物を受け取り、


着替えた浴衣代は後の請求に足しておきますと


言われ、駐車場のチケットをもらって


お世話になりありがとうございました


と最後の挨拶と、紹介していただいた


訪問診療の先生には伝えておきますとの


事でした。



この後は葬儀屋さんへ行っての打ち合わせに


なるので、何か食べた方がいいだろうと


近くのコンビニで飲み物とおにぎりを購入。


葬儀屋さん、かなり近いので急いで食べて


向かいました。



葬儀屋さんでは、すでに駐車場入口で


私達が到着するのを待っていて


中へと案内してくれました。


義母にお線香をあげてから打ち合わせです。



病院に来てくれた方が担当してくれるようで


義父の時の資料を持ってきてまずは当時と


今のいろいろな金額の違いの説明を受けました。


遺体を保存しておくためのドライアイスが


けっこうなお値段になっていて、さらに


式場の使用料も高額に汗義母が自分の骨は


そこら辺に埋めてくれればいいとか


式もしないていいとか言っていたので


出てこられる親戚と義母のお茶飲み友達で


あったAさんと私たちの少人数でこじんまりと


したい話をしたのですが、葬儀場も


我が家から違いところの方が狭くても


使用料はそこと同じらしく、使うものを


変えたりすることで金額を減らすことくらいしか


出来ないとのことでした。



今回葬儀を頼んだのは平安祭典さんで


義父母が互助会にはいっていたのがあり


私たちの結婚式も平安祭典さんでやって


もらっていて、それによる割引もあったり


満額になっていたものを使わせてもらったりで


私たちが支払う額は安くなっていたと思います。


そして義父の時にも使ったのでもう残っていない


と思っていたのですが、その時は義父の残して


あった分飲みを使用したようで、まだ義母の


残りはそのまま残っていました。


支払いは終わっていたけれどまだ互助会の


会員として残っていたようでそれの使用により


サービスされるものもあり、助かりました。


また、義母を病院から葬儀場まで運ぶのも


料金が発生しているそうで(そりゃそうだ)


でも、病院のパンレットを見て電話したので


その番号からの電話だと無料だったかな


なるそうで、以前もお願いしたからと


ネットで調べて電話していたら料金が


発生しているところでした。


ちょこっと話がそれますが、水道工事も


ポストに入れられていたマグネットから


電話をすると割引があったりするので


電話をするときは、そういう知識をもっておくと


いいのかもしれないです。



話を戻します。


義父の時は喪主に兄弟や私の両親Aさんによって


お花屋缶詰の輪が用意されたのですが


今回は喪主のお花も無しにして、お花は


祭壇に飾られるもののみにしました。


(これについては旦那が親戚に説明して


お花代は無しにして下さいと話していました)


棺にかける布はブルーピンクパープルと


あったので、ピンクはパジャマでさえ


恥ずかしいと買わなかった義母なので


パープルにしてもらいました。


葬儀代とは別料金になる火葬場から戻って


からの食事は義父の時よりランクを下げ


(たまたまいいと思ったのが下のものでした)


ごはんを旦那が気になったガキ込みご飯に。


料理の数はだいたいを伝えてあれば


前日までは減らすことが可能で


当日増やすのは大丈夫とのことでした。


義父の眠っているお寺さんが浄土真宗なので


陰膳は無しになります。


返礼品は、多めに頼んでおいても残ったものは


そのまま葬儀社の方で引き取ってもらえる


との事だったので、念の為多めに頼みました。


葬儀場は最短で10月1日の日曜日が空いていて


ただ日祭日はお寺さんが法事等で


お坊さんに来て貰えない可能性があるからと


月曜にしようかと始めは話していたのだけど


一日遺体の保存を伸ばすことで支払う額が


かなり変わるので、お寺さんだ大丈夫で


あるならお願いしてダメだったら2日にしようと


決めました。そして義父のときに火葬場からの


帰りが遅くてご飯の時間が3時過ぎに


なってしまったので、もう少し早く食事に


したいからと伝えたので、その場で火葬場へ


予約の電話をしていて、前回より早い時間に


予約してもらいました。


お寺さんには我が家から翌日に電話をして


来て貰えるかの確認をしないとならないので


OKをもらえればそれで、ダメだったら


翌日に火葬場の予約変更をお願いする事に


なりました。


お坊さんへのお布施代は、お寺さんに聞いて


下さいと言われましたが、前回電話したら


明確には話して貰えず、どうやら平均より


かなり少ない額を渡してしまったらしく


別の時に少し多めに出したらしく


今回はネットで調べて平均の額を包みました。



そして、義父の時と同じように前日に


式用のメイクをするのを見学することになり


(私ははじめ、見ていると泣いてしまいそうで


やめようとしたのだけれど、旦那が怪訝な顔を


したので、一緒に行くことに)


なんとか一通りの打ち合わせを終えて


コンビニで夕飯·····夜食を買って帰宅したのは


一応23時台だったかな。


ヘトヘトの帰宅となりました。



義父の時と違って、義母は癌の発見から


毎月通院のお供をしたり、それ以外の通院も


全部お供したし、入院したときは週に2、3回


通ったりもしたし、介護になってからは


歩いて通ったり、最後の方は旦那よりも


濃く関わっていたのもあり、帰宅して


何かすると「こういうときは〇〇だったな~」


みたいに思い出して、思い出しては泣けてきて


何度顔を洗っても泣いてしまうので


翌日瞼が重かったのは言うまでもありません。