昨日、実家の母から久々に電話がありました。

みんな元気にしてる?

そんな話から始まり、話題は実家のご近所さんの話へ。


うちの実家はメチャクチャ田舎で、考えも昔風なので、高学歴、大企業への就職、家柄のあるお相手との結婚、それが成功の証。

というか、子育てしてる親の成功の証。

そんな価値観が根強く残っています。



「rikaの幼なじみのA君、2人のこどもを私立〇〇小学校に兄弟で行かせてて、将来は医者にしたいらしい。」
厳しい学校で、成績が悪い時やツラくて泣いて頑張らないときは、どれだけお金出してると思ってるんだ?これだけお金使ってやってるんだからがんばりなさい!と言って叱咤激励してるみたい。」

私の幼なじみA君の近況を教えてくれました。
うちの母もA君の考え方と同じです。



母から時々、幼なじみな近況を聞かされますが、以前のわたしは激しく反抗していました。

「親が子どもにこうさせたい!と押し付けるのはまちがってる!」
「親が自分の望みを子どもに背負わせるのはまちがってる!」
「私立小学校に行かせたかったのはA君。お金かけて行かせてやってるんだからがんばりなさい!というのはまちがってる!」

と、A君の近況にダメ出ししながら、私はイライラ、ザワザワして、必死で母の考えを正そうとしていました。



それはきっと、私の心の奥深くに母と同じ価値観があって、私が捨てたくて捨てたくて仕方ない価値観だったから、母に必死で罵倒しながら、実は自分に対して罵倒してたんだと思います。




でも、昨日は違いました。
ただただ聞いていました。

「ふーん。へーー。そうなんだね。」

それだけでした。



A君も母も、そんな価値観まだ持ってる。
生きづらいだろうなあ。
話を聞いてザワザワしない私は、もうそんな価値観なくなったんだなあ。

そんな風に思いました。



ずっと握りしめてる価値観は、そうそう簡単に変わったり手放せたりはしません。

だいたい、それがすべてでそれが正しいと思ってたらなおさらです。



私の場合、子どもが不登校になって、いろいろツライ苦しい思いを親子でして、そして今やっとラクにはれました。



うちの母は65歳で、ずっと窮屈な価値観を変えることなく生きてこられたのは、
私も妹も、母の思うような母の理想の道を歩いてきたからだと思います。

価値観を変えないと生きていけない、そんな状況にならなかった母はそれはそれでOKなんだと思います。



私は息子の不登校経験から、価値観だけでなく生き方まで大きく変わりました。

新しい出会いがあり、自分の価値観、子どもへの思い、生きることへの思い、大切なことの優先順位が自分の中でハッキリしました。

なので、すべての経験には感謝しています。



朝から重たい記事になっちゃいました爆笑

最後までお読みいただきありがとうございましたウインク