実は三千名以上が戦死。日本にはレーダーもあったし、迎撃機は出撃していたし、高射砲も届いていた | おふくのブログ

おふくのブログ

日本でのごく普通の日々の中で、心動かされる素敵なものに出会い、誰かに伝えたいと思った時に書く…今も変わらぬスタンスです。
気づけばユーチューブ動画のご紹介が中心で、少しでも分かり易い記事をと思いやっております。


大東亜戦争末期、日本本土には、米軍のB - 29が飛んできて、日本はくまなく空襲を受け、為す術もなくやられ放題だった、日本軍も手も足も出なかった、私たちはそう思い込んできたのではないかと思います。

でも、実際はそうではなかった、日本軍の反撃により敵に大打撃を与えていた。

レーダーもあったし、高射砲も届いていた、そして、B - 29の損害も大きかった、なんてことは、学校では教わりませんね。

非戦闘員である一般人の住む街が夜間に襲われた。夜間は電球に黒い布を被せ、明かりが外に漏れないようにするのだと、自分の親たちが経験した話を聞いたことがあります。

でも、日本軍がどんな風に敵機と戦って、どれだけ相手に打撃を与えたかなんて、ほとんど知らなかった。

先人たちが懸命に国民の命を守ろうと戦った、その事実をこちらの動画は教えてくれています。

露宇戦争で、ウクライナ本土が戦場となっているのを見て、七十数年前の日本のことを思いました。

たくさんの資料映像があります、どうぞご覧ください。

※ごめんなさい、最初、“非戦闘員ではない一般人の”と書いてしまったのですが、“非戦闘員である一般人”です、訂正しました。

m(_ _)m


【日本史】実は三千名以上が戦死。日本にはレーダーもあったし、迎撃機は出撃していたし、高射砲も届いていた 17:42

https://youtu.be/f1x252GAIhU

2022/01/30

概要欄
日本本土空襲や原爆投下で有名なアメリカ軍爆撃機B-29。
B-29に対して、日本軍は手も足も出なかったという話をたまに聞きますが、実は日本本土はレーダー守られ、高射砲も届いていたのです。
零戦、飛燕、疾風、屠龍など、多くの迎撃機が出撃し、意外と知られていませんが、日本の特攻隊に近い数のB-29搭乗員が戦死していたのでした。