輸送船が潜水艦を撃沈!?奇跡の戦闘【鹿野丸VSグラニオン】 | おふくのブログ

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気づけばユーチューブ動画のご紹介が中心で、少しでも分かり易い記事をと思いやっております。


少し前、当ブログで、戦時中、日本の輸送船が敵の攻撃を受け、煙を上げながら必死に攻撃を回避する、胸を締め付けられるような記録映像の動画をご紹介したのですが、中には、少ない対抗手段しか持たなかったにもかかわらず、敵の潜水艦をやっつけた輸送船があったという、奇跡のような話があったので、ご紹介します。

人知れず戦い、日本を守ってくれた先人たちのお話は、なかなか知ることがないけれど、少しでも伝えていければと思いました。どうぞご覧ください。


輸送船が潜水艦を撃沈!?奇跡の戦闘【鹿野丸VSグラニオン】 8:54

https://youtu.be/4LZex1Ml VG

2021/03/07

書き起こし

輸送船が潜水艦を撃沈した
奇跡の戦闘
鹿野丸VSグラニオン


太平洋戦争中、連合軍の潜水艦によって
日本の輸送船が数多く沈められたことは
よく知られていると思います。

跳梁する敵潜水艦にやられっぱなしであった
かに思われる日本軍の輸送船ですが、
なんと、その中で輸送船が敵潜水艦を沈める
大金星を上げた事件があったのをご存知でしょうか。

本来は狩られる側であるはずの輸送船が
潜水艦を仕留めた奇跡のような戦いとは
どのようなものだったのでしょうか。


霧の海の輸送船


日本輸送船による敵潜水艦撃沈があったのは
1942年7月、日本から遥か北のベーリング海・
アリューシャン列島キスカ島でのことです。

のちに奇跡の撤退作戦で有名になるキスカ島
ですが、この頃はまだ日本の占領下にありました。

米本土に近いアリューシャンでは米軍の圧力
も強く、島の防備を固めるためにも食料や武
器・弾薬、資材の輸送が急務となっていました。

しかし、霧が発生しやすく、天候が荒れるこ
との多いアリューシャンへの輸送作戦は輸送
船にとっても大変な任務でした。


特設運送船
「鹿野丸」キスカ島へ


1942年7月25日、特設運送船「鹿野丸
(かのまる)」もそうした輸送船の一隻として
アッツ島・キスカ島への輸送任務に従事する
ため、占守島片岡湾へと進出します。

「鹿野丸」はもともと、国際汽船の保有する
優秀船で、戦前はニューヨーク航路に就役し
ていました。

ミッドウェー攻略部隊の一員だった「鹿野
丸」は、同作戦の中止に伴いトラックへ帰投
していたところ、アリューシャン方面の輸送
強化のため、こちらに加わることが決まります。

「鹿野丸」は、石炭・建築用資材・防寒着・
大発などを積み込むと、海防艦「石垣」に
護衛され、7月26日に片岡湾を出港。

7月28日午後2時にアッツ島に到着。

物資を揚陸すると、ここで護衛が「石垣」
から「駆潜艇26号」に交代、29日、キスカ
島を目指して出発しました。

30日、キスカ島へ到着した「鹿野丸」です
が、あたりは深い霧に閉ざされ、島に入る
ことができません。

あたりでは潜水艦が頻繁に出没しており、
7月に入ってからも駆逐艦が撃沈されたり、
大破する事件が起きていました。

焦る気持ちを抑えながら霧が晴れるのを待
つ「鹿野丸」は、この時、海に不時着して
いた味方の水上機1機を救出して収容して
います。

やっと霧がおさまってきたのは翌31日の
午前4時40分ごろ。

ようやく天測によって現在位置を確認し、
15ノットでキスカ湾の泊地を目指しました。

しかし、この時、「鹿野丸」を密かに狙う
米潜水艦の影があったのです。


潜水艦グラニオンの襲撃


このとき、「鹿野丸」を狙っていたのが、
ガトー級潜水艦5番艦「グラニオン」です。

もともと、アリューシャンには旧式の米潜水
艦しか配備されておらず、「グラニオン」は
7月10日にやってきたばかりの新鋭潜水艦でした。

7月15日、はやくも「駆潜艇25号」と
「駆潜艇27号」を撃沈する戦果を上げた
「グラニオン」は、魚雷を10本残したまま獲
物を求めて彷徨い、31日早朝「鹿野丸」を
発見します。

午前5時47分、「鹿野丸」の右前方に陣取っ
た「グラニオン」は魚雷2本を発射。

これを発見した「鹿野丸」は回避しようとし
ますが、1本が船の中央部にある右舷機関室
に命中。

機関室は一瞬で浸水し、主機械は停止。

発電機・無線通信機・補助機械など一切が
使用不能となった「鹿野丸」は航行不能に
陥ってしまいます。


輸送船VS潜水艦


海上に「グラニオン」の潜望鏡を発見した
「鹿野丸」は四一式8センチ砲と13ミリ機銃
で攻撃を開始。

しかし、相手が潜望鏡では命中はまず期待で
きず、むしろ、射撃音によって島にいる友軍
に自分たちの危機を知らせることが目的でした。

潜望鏡はゆっくりと移動しながら「鹿野丸」
の右後方へと回り、5時57分、2度目の雷撃
を行います。

もはや避けるすべもない「鹿野丸」ですが、
幸運にも魚雷は艦底を通り抜けていきました。

「鹿野丸」は島への連絡をとるため、昨日
回収した水上機を飛ばそうとしますが
整備員がいないため、パイロットの懸命の
努力も空しく、ついにエンジンがかかりませ
んでした。

「グラニオン」は潜望鏡を下ろしたり上げた
りを繰り返しながら、悠々と「鹿野丸」の
艦尾を回って左舷側へと移りました。

そして、6時7分、3度目の雷撃。

3本の雷跡が「鹿野丸」目指して迫ってきます。
うち2本が左舷中央部に命中。

本当なら、ここで「鹿野丸」の命運も尽きる
はずでした。

しかし、このとき発射されたMk14魚雷は
どちらも不発。

命中の衝撃で弾頭部が外れて胴体だけになっ
たまま、折れて海へと沈んでいきました。

この奇跡のような出来事で「鹿野丸」は
間一髪、撃沈を免れます。

すると、「グラニオン」は司令塔を浮上させ
た浸洗状態になり、デッキ上の12.7センチ砲
でとどめを刺そうとしました。

ガトー級潜水艦の艦首魚雷発射管は6門で、
この時「グラニオン」はすべてを撃ち尽くし
ていました。

このとき、「グラニオン」には艦尾の4門や
予備魚雷を再装填する方法もあったはずです。

しかし、再装填には時間もかかりますし、
おそらく「グラニオン」の艦長であった
マナード・リンカーン・エベール少佐は、
不発ばかりの魚雷の性能に疑問を感じたの
でしょう。

また、相手が動けない輸送船と舐めてかかっ
たところもあったと思われます。

しかし、これが「グラニオン」にとって
命取りになりました。

6時10分、「グラニオン」は400メートル
まで接近。

浮上した「グラニオン」の司令塔へ向け、
「鹿野丸」は8センチ砲を叩き込みました。

そのうちの1発が「グラニオン」の
司令塔へ命中。

水煙が上がるとともに、水中から鈍い爆発音
が響きました。

この戦いで「鹿野丸」が消費した砲弾は84発。

キスカ島から救援のため味方艦艇が到着した
時、周辺には大量の重油が流出していました。

撃沈を確信した「鹿野丸」乗員たちは
みなこらえきれずに万歳を叫んだといいます。


潜水艦を撃沈した
唯一の輸送船


「グラニオン」は処女航海で撃沈され、その
最後は米軍では長らく謎とされていました。

その後、米海軍では艦長の名を冠したサムナ
ー級駆逐艦「マナート・L・エベール」を就
役させますが、1945年4月、特攻ロケット兵
器「桜花」の突入を受けて轟沈。

同艦は桜花によって撃沈された唯一の艦艇と
なっています。

「鹿野丸」の上げた戦果は、太平洋戦争中、
輸送船が潜水艦を撃沈した唯一の例になりました。

この戦闘は、敵の魚雷の不調に助けられたと
ころもありますが、特に戦争前半の米海軍は
魚雷の欠陥に悩まされていました。

命中した2本の魚雷がきちんと作動していれ
ば、その時点でこの戦いは「グラニオン」の
勝ちになっていたはずであり、幸運に大きく
助けられた面があったといえます。

なお、殊勲を上げた「鹿野丸」ですが、キス
カ島で修理中のところ、9月15に空襲を受け
て損傷・擱座しており、その余命は長くは
ありませんでした。



以上です。



輸送船が狩られる側、というのが、癪で悔しいけれど、それが狩る側の潜水艦を撃沈したという、相手の攻撃に為す術もなくやられ炎上する映像を見たばかりだったから、してやったりという気分になりました。
でも、唯一のことだったんですね、それに、残念なことにその後の修理中にやられてしまったと言いますから、本当に過酷だと思いました。
「グラニオン」撃沈で、こらえきれずに万歳を叫んだ乗員の方々の気持ち、痛いほどわかる気がしました。



「特攻船団」何があっても物資を運ぶ! ・・・12/4当ブログ記事、必死に攻撃を回避する輸送船