日本が短期間で近代化できた理由がこれだ!難問奇問を解きまくる驚愕の江戸庶民!現代の数学者が頭を… | おふくのブログ

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明治維新後、西洋の学問や技術をすんなり受け入れることができた理由のひとつ、江戸時代盛んだった“和算”についての内容のものを以前から探していて、今回UPしたのを見つけたので、ご紹介します。


日本が短期間で近代化できた理由がこれだ!難問奇問を解きまくる驚愕の江戸庶民!現代の数学者が頭を抱えるレベルの高さはもはや異常 【ゾクゾク】【ぞくぞく】【海外の反応】【祝令和元年】 7:43
https://youtu.be/TcV3_Bb8-yc
書き起こし


明治維新から短期間で近代化に成功したのは、
江戸時代の日本人の知的レベルが
世界的にすでに高かったから、

と言われています。

その知的レベルの向上に
貢献したのが寺子屋です。

戦国時代にはすでに都市部には
あったようで、来日した宣教師が
「日本人は女子供まで字が読める」と、

驚愕したといいますから、
それなりに普及していたようですね。


しかし都市部以外に全国的に普及して
数を増やしていったのは
江戸時代に入ってからとのこと。

幕府や藩の補助、援助制度が
ないにもかかわらず、
江戸や京都など都市はもちろんのこと、

農村、漁村へも広がりをみせていったため、
多い時には寺子屋の数は
全国に16万軒もあったようです。

江戸だけでも大きな寺子屋で400~500軒、
小規模なものを含めれば
1000を優に超えていたといいます。

このようにみていくと、日本人はもともと
知的な好奇心が旺盛だったようですね。


これだけ普及したのは、寺子屋の月謝が
無料だったからというのも一因かもしれません。

入学するときに、わずかばかりの束修
(そくしゅう)という入学金のようなものを
支払うのみで、

あとはお盆とお正月に差し入れを
いれるぐらいなので、実質的にボランティアで
教えていたといっていいでしょう。


こうして寺子屋が全国津々浦々に広がって、
いろんなことを勉強していたようですが、

具体的にどのようなことを
学習していたのでしょうか?

基本的には「読み書き、算盤」であったようですが、
地理や歴史、古典なども教えていたようです。

寺子屋は私設の塾のようなもので、
塾長さんの個性で教えてくれる
科目が違っていたようですね。


この時代、だいたい70~80%の子供が寺子屋に
通っていたようなので、江戸時代の日本人の
教養の高さというのは世界一といっていいようです。

ちなみに欧米の就学率は
イギリスでは20~25%、フランスで1.4%、
ロシアでは20%ということなので、

それと比較するとかなり高いことが分かります。

これほど庶民の教養レベルが
高い国は他に見当たらないとのこと。


教養レベルの高さを象徴するのが、
数学が発展していたところです。

今回は、江戸時代の数学、和算(わさん)
についての記事をご紹介します。


以下、引用です。


■和算って何?


和算とは、日本独自に発展した
数学のことをいいます。

和算は漢代に登場した「九章算術」と呼ばれる
数学書の影響を受けていて、面積の計算法、比例、
反比例、ピタゴラスの定理などを記載した書物。

遣隋使、遣唐使の派遣などにより、
流入するようになったといわれています。


■江戸時代に流行


江戸時代になって和算が流行していったきっかけは、
吉田光由(よしだみつよし)が著した「塵劫記
(じんこうき)」という数学の本といわれています。


江戸時代の人たちは数学がたいへん
好きだったようで、この「塵劫記」が
江戸時代を通してベストセラーとなり、

幕末までに400種類もの
「塵劫記」が出版されたとのこと。

この本には面積の求め方、ねずみ算、
ピタゴラスの定理まで書かれていたようです。

「塵劫記」は初等的な内容でしたが、出版を重ねて
いくうちに巻末に数学者への挑戦として、

解答をつけない問題、遺題(いだい)
というものを掲載するようになり、
これ以降は先に出された遺題を解き、

新たな遺題を出題するという連鎖(遺題継承)が
始まったことで、和算で扱われる問題が
急速に高度化していきました。


■和算の基礎確立


六代将軍、家宜に仕えていました関孝和氏が
この和算の基礎を確立した人物とのこと。

前述しました「塵劫記」で数学を独学して
数学の基礎的なものを学び、
さらに高度な知識を習得。

その過程において中国大陸で発展した
天元術という代数問題の解放を深く研究して、
根本的に改良していきました。

そして、点竄術(てんざんじゅつ)という
筆算による代数の計算法を発明し、和算が
高等数学として発展するための基礎を確立。

これによって和算が大陸の模倣を超えて
独自の発展をしていったとのことです。


また、暦の作成の仕事をしていた関係上、
円周率の近似値が必要となるため
「エイトケン加速法」という計算法を用いて、

円周率を小数点第16位まで正確に求めています。

「エイトケン加速法」がヨーロッパで再発見
されたのは1876年であることから、
関氏は200年以上も先取りしたことになるのです。

こうした数学に対する取り組みによって関流
というものが生まれ、和算の中心的な勢力となり、
有力な和算家はほとんど関流に属していたようです。


■算額の流行


「塵劫記」という数学の本がベストセラーになり、
その巻末に著者の出題する解答のない問題、
「遺題」を掲載していることは前述しましたが、

庶民のあいだでも自分で
考えた問題を額や絵馬に書いて神社や
仏閣に奉納するということが流行。

これを算額といい、遺題のように
解答がないものまであったようです。

もともとは問題が解けたことを神仏に感謝し、
ますます勉学に励むことを祈念して奉納して
いましたが、たくさんの人が集まる神社、

仏閣を問題の発表の場として、
難問や問題だけを記載するものも現れて、
それが流行ったようです。

このなかには現代の専門家でも頭を悩ませる難問も
あるようなので、かなりレベルが高かったようですね。


現在、1000枚近い算額が発見されるなど、世界に
例のない知的習慣をもった江戸時代特有の文化です。

以上です。

数学の本がベストセラー、かつロングセラーに
なるというのは、かなり驚きました。

昔から日本人は理数系が
強かったってことなんですね。

明治時代に西洋の数学が日本にきても容易に
受け入れられたようですし、短期間で近代化して、

50年弱で世界五大国の仲間入りをして
しまったというのも、これだけ知的な国民なので、
ある意味必然なのかもしれません。

また日本からノーベル賞を受賞する科学者が
たくさん出ていることも納得できますよね。

でも、将来的に国からの大学への補助の
基準が厳しくなっていることなどがあって、研究する
人がどんどん減少するという話も聞きます。

もともと日本人は理数系が得意な国民なんだから、
国がもっと応援してくれればいいのにと思いました。

将来的にも日本が得意な分野で力が
発揮できることを祈りつつ、
今回は、おしまいにしたいと思います。

最後までご視聴ありがとうございました。
また、別の動画でお会いしましょう。



以上です。



以前に、歴史番組で、江戸期に和算が庶民にも流行し、神社仏閣に額に和算が色々書かれたものが奉納されているのを見たことがあり、ああ、日本人は江戸時代には、すでに高い教養レベルで数学が得意、好奇心旺盛だったのだなと思い、だから、明治になって西洋から入ってくる様々な学問・技術・文化も、好奇心の眼を通しつつ、理解し取り入れることができたのだと、感心したことがありました。和算に限らず、皆が子供を寺子屋に通わせるなどして、識字率も高く、西洋に比べても優っていたという事実、日本が平和だったからとか、明治期に一気に近代化したことも、それはなるべくしてなった、それだけ潜在能力があったという、そんな全ての歴史を、私たちはもっと誇っていいと思いました。
(・o・)あっ、ただ、自分は理数系苦手だしззз和算の成り立ち等、出て来る書物についてだの数学の用語だの読んでるだけで、頭痛くなりそうでした。
(≧▽≦)ゞ