3月11日、東日本大震災から7年。 | おふくのブログ

おふくのブログ

日本でのごく普通の日々の中で、心動かされる素敵なものに出会い、誰かに伝えたいと思った時に書く…今も変わらぬスタンスです。
気づけばユーチューブ動画のご紹介が中心で、少しでも分かり易い記事をと思いやっております。


あれから7年経ちました。あの日経験したことが昨日のことのように記憶がよみがえってきます。亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りいたします。少しずつ復興へと進んでる街や人々の生き生きとした姿を見るとき、力をいただいております。さらに復興が進みますように、そして被災した方々の生きていく日々に幸多かれと祈っております。

宮城県民謡
Ineageuta~稲上唄~ by XARA   5:35
【eastplanetasia】





次は、2012/3/11の国際派日本人養成講座さんの記事を載せた動画をご紹介させていただきます。まだ民主党政権時代の記事で、東日本大震災での自衛隊の方々の涙が出てしまうようなお話に胸を打たれます。また、自衛隊にまつわる民主党政権下での問題点、今に続く日本を取り巻く状況の中、国防についても考えさせられる内容だと思いました。


自衛隊の衝撃的な現実!海に佇む少年「俺、自衛隊になる」東日本大震災での自衛隊諸士の強く優しい行動に感動!あまりにも報われない現状にびっくり仰天! 15:02
【世界が賞賛する日本】

内容・書き起こし
※どうしても長いので、書き起こしでは、1.~8.項あるうちの7.項を大震災に一番関連が薄いとして省かせていただきました、7.項については動画でご確認いただければ幸です。動画見えない方申し訳ありません。



自衛隊員たちは、
被災地の過酷な環境の中で、
なぜこんなに優しくできるのか。


■1.自衛隊員たちの優しさ


「俺、自衛隊に入る」、
ポツリとその小学生が言った

「なぜ」と聞かれて、
こう理由を語った。

津波に呑み込まれた父親が
帰ってこないかと、毎日、
ずっと海を見つめていたところ、
若い自衛官に声を掛けられた。

そこに佇(たたず)む
理由を話すと、その自衛官は
何も言わずに肩に手を置いて、
しばらくの間、
一緒に海を見てくれたのだという。

被災地で救援に従事している
自衛隊の一隊が、
ある学校のそばを通りかかった時、
先生から
「どうしても
金庫にしまった成績表を
引き上げたいんです」
と頼まれた。

子供が
行方不明のままの親御さんに、
せめてもの形見に
してあげたいという。

泥沼から金庫を取り出すのは
至難の業だったが、
小隊全員でなんとかやり遂げた。

そこに視察中の上官が
通りかかった。

小隊長が慌てて、
「すみませんでした。
今後は捜索に集中しますので、
今回だけは見逃してください」
と懇願したところ、
「素晴らしいことだ」
と逆に褒められたという。

毎日、朝から晩まで、
被災者たちの救援で
大変な毎日だったのに、
自衛隊諸士はなぜこんなに
優しくなれるのだろう。




■2.細やかな心遣い


お腹をすかせている被災者を
見かねた自衛隊員が、
自分の分の食糧を
こっそりと配っていた。

被災者たちも
「本当にもらっていいんですか?
あなたの食べる分が
なくなってしまうのでは
ないですか?」
と何度も確認したそうだか、

自衛隊員たちは
必ず笑顔を浮かべて、
「しっかり食べてますから、
大丈夫です」
と答えたという。

厳密に言えば、
自衛隊の食糧を流用した
という意味でルール違反なのだが、
目の前で苦しんでいる被災者を
なんとしても救いたい、
という純粋な気持ちから
起こした行動であり、上官も
見て見ぬふりをしていた。

また食事をする際も、
「被災者の
目に触れない場所で食べること」
というルールを守っていた。

行方不明となった家族を
必死に探している人が、
自衛隊員たちが腰を下ろして
食事をしている所を見たら
どう思うか、
という心遣いからだ。

しかし、すべてを
津波で流された被災地では、
車の中くらいしか、
隠れて食事をできる場がない。

そして、その車は、つい今し方まで
遺体を運搬していた、
という事もしばしばであった。

避難所では、自衛隊の持ち込んだ
風呂が喜ばれた。

もともと1個師団につき
二つずつ配備されているものだったが、
それを被災者に提供した。

テントの入り口にのれんをかけて
「○○湯」と、
その部隊所在地の
名前を書き込むだけで、
被災者は体だけでなく、
心もホッと温まる。

しかし、もともと隊員用なので、
かなり湯船が深くなっているため、
入る際の段差が高く、
お年寄りには大変だった。

そこで、すかさず隊員たちは、
あり合わせの材料で
お年寄りのための階段と
手すりまで拵えて
誰でも入れるバリアフリーの風呂に
変身させた。

女湯では、女性隊員たちも
一緒に入浴して、
被災者のお世話をしたり、
避難所での悩みに耳を傾けた。

過酷な環境の中で、
自衛隊諸士は、なぜこんなに
細やかな心遣いができるのだろう。




■3.過酷な環境と使命の中で


こうした優しさや心遣いは、
思いやりのある人なら
誰でも出来るだろう。

しかし、災害地で
自衛隊の置かれた過酷な状況と
使命を考え合わせたら、
それがとうてい、
常人のなせる業ではないことに
気がつく。

朝は6時頃から日没までは、
ひたすら救援・操作活動をする。

瓦礫の下に行方不明者が残っている
可能性があるから、
ビルの工事現場のように、
重機で瓦礫を
一気に取り除くことなどできない。

遺体が発見されると、
できる限り丁寧に収容することを
心がけてはいるが、
担架などないから、
背負って収容所まで運ぶ。

戦闘服には腐敗した体液が
べっとりついて、
大変悪臭を放つ。

しかし、事業仕分けの影響で
ほとんどの隊員が
2着しか戦闘服がないため、
消臭スプレーで
なんとかごまかすしかない。

また自分の子供と
同じくらいの年格好の
子供の遺体を収容するのは、
特に精神的にストレスが大きい。

一日の作業終了後には、
隊で車座になって、
その日一日の苦しみ、
悲しみを吐き出したという。

暖かい食事を作る炊事車はあるが、
被災者の食事を優先するので、
多くの場合、乾パン、缶詰、
カレーなどのレトルト食品だけ
となる。

こういう食事を、
しかも不規則な時間に、
かつ被災者に見られないように
素早くとっていると、
野菜不足もあいまって、
ひどい便秘や口内炎に悩まされる。

また、上述のように、
風呂も被災者に提供しているので、
隊員たちは当初は
汗ふきタオルで済ましていた。

こんな毎日が数ヶ月も続いたら、
通常の人はそれだけで病気になるか
ノイローゼになってしまうだろう。

そんな状態の中で、我々は、
海に佇む
少年の肩を抱いてやったり、
成績表の入っている金庫を
泥沼から引き上げたりすることが、
出来るだろうか。

なぜ自衛隊員たちには、
それができるのか。




■4.「強くなければ
  優しくなれない」


その秘密を、かつてイラク支援の
「ヒゲ隊長」として名を馳せた
自衛隊OB佐藤正久氏
(現・参議院議員)は、
「強くなければ優しくなれない」
として、こう説明している。


ーーーーーーーーーーーー


結論から言いますと、
「もっと過酷な条件下で
訓練しているから」
に尽きます。

基本的に自衛隊員たちは、
朝6時に起床すると、
そのまま夕方まで
ハードな肉体錬成や
各種訓練に明け暮れます。

そして、すべての訓練が終わると、
それぞれクラブ活動として
野球やサッカーなどの
スポーツにも励んでいます。

つまり、一日中野外で
立ちっぱなし、動きっぱなし、
というのは自衛隊員にとって
特別なことではないのです。


ーーーーーーーーーーーー


こうした日々の鍛錬に加えて、
時には「3日間で100キロ歩く」
という行軍を行う。

背中には20~30キロの
荷物を背負い、
さらに機関銃やロケット砲などを
持って歩く。

夜も交代で歩哨をする。

こうして100キロ踏破して
目的地に着くと、
そこから本番の演習が始まる。

こうした極限状態を
体に覚え込ませることで、
どんな厳しい状況に置かれても
耐えていける
体力と精神力が身につく。




■5.集団生活から育つ
 「自己犠牲の精神」


しかし、いくら
体力と精神力が強くとも、
人間としての優しさは
別問題である。

それはどこから来るのか?

佐藤さんは常に
集団生活をしていることで
そういう心が育っていくと説く


ーーーーーーーーーーーー


集団生活を維持していく、と言うと
「切磋琢磨して成長し、
ついてこられない者は
切り捨てる」
と勘違いされる方が多いようですが
実際にはまったく逆です。

つまり、一番能力が低い人間に
グループ全体に基準を置くのです。
全体を底上げしようとしたら、
いかに能力が低い人間を
フォローし、
その人間の力を引き上げるか
考えなくてはいけません。

これ自体が、
何でもできる人間にとっては
苦痛を伴う我慢になります。

そういったことを
繰り返していくうちに
自然と仲間のために自分を殺して
フォローに回るという
『自己犠牲』の精神が
しっかりと
心に刻まれていくのです。


ーーーーーーーーーーーー


この自己犠牲の精神から、
「困っている人がいたら、
理屈抜きで助ける」
という優しさが出てくる。




■6.「自衛隊は
  教育の場でもある」


佐藤氏は
「自衛隊は教育の場でもある」
と指摘している。

入隊した時点では、尖ったり、
やたらと威張ったりしている
連中も多いが、
入って3日で変わるという。


ーーーーーーーーーーーー


とにかく最初に床屋に連れて行って
バリカンで丸坊主にするわけです。

そうすると面白いもので、
さっきまであんなに威勢の良かった
連中に限って
シュンとなってしまう。

実際の話、入隊式の段階で
父兄の方が
「本当にあれが暴れん坊だった
わが息子か?」
と目を疑ってしまうほど
最初の3日で変わってしまう。

もっとも、この時点では
上っ面だけの変化なのです。

・・・大きく変わるのは
10人単位のスモールグループで
集団行動をはじめるからでしょう。

修了式ではもう別人です。


ーーーーーーーーーーーー


もちろん、体を鍛えたり、
人間修養の教育ばかりではない。

必要な各種の技術を習得するための
クラスはいくらでもある。



~~~~~~~~~~~~
■7.9月入学前に
「自衛隊での訓練を受けよ」

※今回書き起こしを省きました。
m(_ _)m

~~~~~~~~~~~~



■8.津波や原発事故以上
に悲惨な事態を抑止するには


自衛隊での教育の本質が、
極限状態での体力と精神力の鍛錬、
そして集団生活で学ぶ
「自己犠牲の精神」にある
と述べたが、それはまさしく、
ゆとり教育と
行き過ぎた個人主義で歪められた
戦後教育とは対極のものだ。

元学生運動家で戦後教育の申し子
とも言うべき菅前総理は、
震災時に自衛隊諸士とは
対照的な行動をさらけ出した。

防衛省に打診することもなく、
出動人員を当初の2万人から、
翌12日には5万人、
さらに13日夜には
10万人に倍増させる
と発表したのである。

この時点で成すべき事は、
詳細な現状把握をベースに、
どれだけの部隊を
どこに派遣すれば、
国民の生命を最大限救えるか、
という戦略であり、
現状把握も救出戦略もないままに、
単に動員員数だけを
アピールすることではなかった。

これは明らかに政治家としての
スタンドプレーである。

すなわち総理の権力を乱用して、
自己のアピールのために
自衛隊を利用したわけで、
そこには被災者への思いやりも
「自己犠牲の精神」
のかけらもなかった。

さらに菅前首相の
思いつきの動員により、
24万人中、
10万人の自衛官が出動した結果、
本来任務の領空、領海、領土警備が
交代要員もない、
手薄な状態になった事を
忘れてはならない。

その隙を窺って、中国のヘリが
海上自衛隊の艦船に
異常接近したり、
ロシアの戦闘機が我が領空に
接近したりしてきた。

こういう状況下での我が国の
国防態勢を偵察したのだろう。

こんな隣国に
我が国は囲まれているのだ。

戦後教育の悪弊の一つは、
国防の大切にさを考えさせない、
という点にあったから、
その申し子たる菅前総理も、
10万人を動員したら、
国防の最前線がどうなるかは、
念頭になかったと思われる。

地震や津波と違って、
他国の侵略や核ミサイル攻撃は、
事前に抑止、あるいは
撃退することができる。

北朝鮮のゲリラ軍が
津波のように押し寄せる前に、
あるいは中国の核ミサイルが
原発事故以上の惨状をもたらす前に
十分な備えを見せることによって、
そうした事態を予防できる。

民主党が
「国民の生活が第一。」
と信ずるなら、
まずは津波や原発事故以上に
悲惨な事態を抑止することを
第一に考えなければならない。

そして、この国防こそが
自衛隊の本来任務なのである。

事業仕分けで
戦闘服を2着しか持てない
というような政治をしていては、
強くて優しい自衛隊諸士の
足を引っ張るだけである。


2012/03/11
国際派日本人養成講座
文責:伊勢 雅臣


以上です。


民主党政権時に起きた、東日本大震災、当時の政府の対応のまずさは、国民全員が感じていたと思いますが、最前線で動く自衛隊にとっても、国民の方を向いていない政府のもとで、ご苦労がたえなかっただろうと思います。戦闘服、今はどうなんでしょう。国防を手薄にしたのも確信犯なんじゃないかと疑ってしまいます。「国民の生活が第一」なんて言ってたんですね。私たちは、この政権の暗黒時代のことを決して忘れないでしょう。日本を取り巻く情勢もこの頃よりさらに悪化している今、日本の抑止力強化は待ったなしですが、雑音の中の真実のみ見極めて、国民はちゃんと判断していかないといけないですね。