ノボの生き活きトーク 678号: ノボの精神年齢 | 生き活きノボのブログ

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今シーズン一番の冷え込みに見舞われた那珂市です。晴れてはいても、北西の風が冷たく、もうすぐ大寒ということを実感させますね。

どうやら、日本海側は大雪のようで、能登半島地震の被災地の人々が気の毒です。何とか、この苦境を乗り越えてほしいものです。テレビ放送を見ていても、若い人達よりも被災された高齢者の姿が目立ちますが、高齢社会に突入した日本社会ですから、当然のことでしょうか。かく言うノボも、今年で74歳になる訳ですから、勿論前期高齢者の仲間であり、高齢社会に貢献していることになります。自分では貢献したくないと思っても、いやおうが無しに歳を取って、貢献させられます。

思えば73年間も生きていた訳ですから、赤ん坊、幼児、子供、大人と変身し、心身ともに成長している筈です。ノボも動物ですから、確かに身体の方は大きさも機能もすぐれたものになり、一人前の大人に見なされるようになったと思います。しかし、これまた生き物の宿命で、一人前になった大人の状態が、さらに歳を取ると劣化していき、身体の大きさも機能も、そして外見まで見すぼらしくなります。こうなると、人間、だんだんと意気消沈し、張合いもなくし、気分が滅入ります。

しかし、人間には精神も備わっており、年齢とともに変化していきますよね。この精神の変化は、どうも動物的ではなく、年齢に応じて変化するとは限らないようです。というのも、ノボの精神は何歳の人間の精神か、と質問されれば、その幼稚さから判断すれば、小学高学年の児童の精神かと答えても、あながち間違いでないのかも知れません。年とともに、いろいろな経験、知識、知恵などを身に付けた筈で、精神的にも成長した筈なのですが、なぜか、どうも幼稚な部分が精神の中に残っている気がします。それだから、「いい大人が何をする」とよく言われるし、散歩の時、小学生に会って挨拶や言葉を交わすと、無性に嬉しいのです。小学生は子供であり可愛いからではなく、何だか意思の通じ合う存在であり、自分の仲間であるという親しみを覚えるのです。だから、小学生の喋り言葉や行動を馬鹿々々しく思わないで、ウンウンと納得するのです。これは、歳を取ったせいなのかなあ?

従って、ノボが他人を見る時、それは実際にもテレビなどでも、40歳前後の人達をも、年上に見えてしまうのです。ましてや、60歳過ぎの人を見ると、さらに年上の老けた人に見えるのです。では、自分はどうかと言えば、それよりも歳を取っている場合がほとんどで、他人にそう言われて自分で呆れることが多いのです。どうやら、ノボの精神年齢は成長していないらしく、いつまでも小学生並みなのか。こんな身体と精神のバランスを欠いた老人は、この先、幸せになれるのかなあ?

まあ、この先のことは置いておいて、今ある毎日を、美味しい肴とお酒を賞味して、楽しく過ごすだけでしょうか。今日に乾杯。 (令和6年1月16日)