ノボの生き活きトーク 379号: ノボは縄文人の末裔? | 生き活きノボのブログ

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 カラッと晴れた昨日が今年の夏の終わりだったのか、今日の那珂市は昨夜の雨のおかげで涼しさを感じますね。猛暑の夏とようやくお別れとなります。

 ところで、この夏、上野の東京国立博物館で開催された『縄文』展を観て、衝撃を受けたことは、先日この生き活きトークで紹介しました。未だにその余韻は残っていますが、8月30日東京に行った時、八重洲ブックセンターで瀬川拓郎著『縄文の思想』を購入しました。9月に入りその本を読んだのですが、これまた衝撃を受けました。

 思えば、3年前に見たNHKスペシャル『縄文 奇跡と大集落』で縄文時代に関する認識が一変され、この夏の東京国立博物館での『縄文』展で、縄文人が実際に造った土器や土偶、身に付けていた装飾具などを見て、野蛮人どころか高度な文化的人間を実感しました。そして今回、瀬川が書く縄文の思想を読んで、縄文が身近になるどころか、もしかしたら、ノボには縄文人の血が流れていると憶測するくらいになりました。

 歴史の進歩の観点からは、狩猟・採集の縄文人は、やがて農耕民の弥生人に圧迫されて消えていくように思えます。そして日本は弥生人で占められ、古墳時代、奈良時代へと進み、現代の我々日本人に連なる訳です。ところが今現在、世界において、縄文時代が狩猟・採集だけで1万年以上存続し、かつ大集落を形成し、豊かな土器や土偶などを持っていたことに驚異の目が向けられています。しかしそれよりも遺跡の発掘が進むに連れて、縄文人の世界観、他界観などの思想が明らかにされつつあることが驚きです。縄文人はすでに途絶えたのでしょうが、彼らの持っていた思想や慣習、行き様はどうやら、日本の周縁の海民、アイヌ、南島の人々などに留められてきたようです。そしてそれは近・現代まで残っているという。

 海民とは漁猟などで生計を立てている漁民です。日本は島国ですから、全国至る所に港や漁村はあり、海や川を使えば陸よりも簡単に移動でき、独特のネットワークがあった。農耕中心の弥生時代にも周縁地域では縄文人が並存し、人間が廃れたにしても縄文の思想は残った。海の神、山の神の思想に基づく伝説や慣習があちこちにあるという。ノボの実家は魚屋でしたので、その関係で人里離れた漁村によく行っていました。小さな漁村でしたが、確かに独特の風習があるのを感じました。自然相手の仕事ですから、経験や昔の言い伝え、それに迷信もあったのでしょうが、それは色濃く残っていたように思います。それらの一部が縄文からの影響があるとしたら、縄文は土器や土偶だけでなく、まさしく現代にも残っている。我々は、弥生から始まる社会形成、支配者の論理、都合の良い神話、商品経済などにどっぷり浸かっている。だけど、ノボにはどこか、それらに反発する如何ともし難い気風があります。これ縄文のなせる業か?

 行き詰った世の中、共産主義ではなく、素朴な縄文の叡智が何かヒントを与えてくれるのかも知れない。貨幣と商品ではなく、贈与と返礼か。(平成30年9月10日)