ノボの生き活きトーク 303号: 帰郷して(その5:盆踊り) | 生き活きノボのブログ

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 宮崎の暑さがまるで那珂市にやって来たようで、昨日の那珂市は35℃以上の猛暑日でした。今日も暑い一日になると思います。

 とは言っても、宮崎と茨城とでは同じ猛暑日でも若干異なる気がします。宮崎の直射日光は皮膚に痛いほど強く、従って日の照りつける戸外の気温は明らかに高いと思います。そんな暑さの中、13日の午後実家において、この3月の彼岸に亡くなったお袋の新盆を執り行いました。盆と言えば、先祖の霊を供養する行事くらいの認識しかないノボですが、親密な関係にあった人の新盆となれば、やはり特殊な感慨が湧きます。ノボは超能力者ではありませんので、魂とか霊の世界の話になりますと自分で理解できないのですが、理解出来なくとも形式通りにやればいいという口です。でも、親父やお袋を始め先祖がいなかったらノボの現世での存在はあり得なかったのだから、先祖に感謝し供養するのは必要なことだと、この齢になってようやく思う始末です。

 盆の期間は、新盆ということもあり、親類が拝みにやって来ました。同じ県内とは言っても遠くから来る人もおり、お袋の甥もそうでした。勿論、ノボ達は応接して世間話をし、お袋の出身地の盆踊りの話になりました。その昔、ノボがまだ学校に行く前の小さい頃、盆の時期、お袋はノボを連れて実家に里帰りしました。その実家は高鍋よりもド田舎でしたが、盆踊りには地域の人達が総出して、大変に賑わっていたことを記憶しています。遠路やって来たお袋の甥は、ノボの盆踊りの記憶を聞いて、その当時の盆踊りの話をしてくれました。昔の盆踊りは、広場に集まり、櫓を建てて踊るだけでなく、新盆を迎えた家々に行き、家の前で踊ったという。村人たちが新たに亡くなった人に対し、一軒一軒回って踊りで供養すると聞いて、ノボはハッと思い、ある意味感動しました。盆踊りに、そういう意味合いがあるとは知りませんでした。勿論、今では踊り手も少なくなり、その風習は簡略化されたそうですが。

 ノボの故郷、高鍋町の蚊口(かぐち)地区にも、古くから盆踊りがあり、盆の期間4日間、場所を替えてやっていました。櫓を建てて、色取り取りの提灯を櫓から放射状に張った綱に吊り下げ、その下で踊るのです。娯楽の少なかった当時、ノボは喜んで盆踊りを見に行きました。ただし、恥ずかしさのため、ノボは踊りの輪に加わったことがありません。ノボの親父やお袋が躍るのを見たことはありませんが、祖父さんはいつも喜んで生き活きと踊っていました。無知と言えば無知、ノボがもう少し以前に盆踊りの意味を認識していたら、亡くなった身近な人に思いを馳せ、感謝の気持ちを込め、お礼の踊りを舞いながら、親しく見送ることをしたのかも知れない。身近だった人達が、踊りをして見送れば、新盆を迎えた霊も喜ばない筈はありません。反省。

 盆は過ぎて、暑い夏がまだまだ続いていますが、帰郷した2週間の想いを抱いて、ノボは精一杯動き、飲み、食べる努力をします。(平成29年8月25日)