Larry Murray 前編 | 馬鹿も休み休み言いなさい

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前回、前々回と2回にわたってHearts and Flowersについて述べてきました。そのリーダーとしてLarry Murrayは60年代後半に急成長を遂げたカントリー ロックムーブメントの中心人物でした。

Larry Murrayは、Gram Parsonsの故郷であるジョージア州ウェイクロスで生まれましたが、60年代初頭にカリフォルニア州ロサンゼルスに移住しました。そこで彼は、フォークミュージシャンやファンが集まる重要な場所でもあったギター店、The Blue Guitarの共同経営者となりました。間もなく、彼は、後にByrdsに加入するChris Hillman、後にHearts and Flowersに加入しEagleを結成するBernie Leadon、後にCountry Gazetteを結成するKenny Wertzら共にThe Scottsville Squirrel Barkersというブルーグラス グループを結成しました。彼らは1963年にアルバム『Blue Grass Favorites』

をリリースしました。リリース前に既にBernie Leadonは脱退していましたのでクレジットや写真はありません。1964年にグループが解散すると、MurrayHillmanNew Christy Minstrels風のフォーク集団、The Green Grass Groupに参加しました。しかし、Murrayの関心は急成長中のフォーク ロック ムーブメントへと移り、Dave Dawson、Rick Cunhaと共にHearts and Flowers を結成しました。


プロデューサーのNik Venet (Beach Boys, Stone Poneys, Fred Neilなど多くのアーティストの作品を手掛けた) の監修のもと、1967年に先駆的なカントリー ロック作品 『Now Is The Time For Hearts And Flowers』

をリリース。その後Rick Cunhaが脱退。代わりにBernie Leadonが加入し、翌年 『Of Horses, Kids & Forgotten Women』

をリリースしました。どちらの作品も専門家の評価は良かったものの、商業的成功は得られませんでした。

その後、Bernie Leadonは、Dillard & Clark、Flying Burrito Brothersと渡り歩き、the Eaglesを結成しました。そういった活躍があったおかげで、近年になってようやく正当な評価を受けるようになりました。


一方、Larry Murrayは、その後、Mary McCaslinのアルバム『Goodnight Everybody』

Johnny Darrell のアルバム『California Stop-Over』

などをプロデュースし、その後ヴァーヴと契約して、素晴らしくメロウなアシッド風味のカントリーロックアルバム『Sweet Country Suite』


をレコーディングしました。

カルト的人気を誇るシンガーソングライターのJ.D. Souther、ペダルスチールの伝説的ミュージシャンであるBuddy EmmonsGib Guilbeau (彼のバンドSwampwaterの2ndアルバムMurrayがプロデュース)、そしてNitty Gritty Dirt Bandのメンバーによる素晴らしいサポートをフィーチャーしたこのアルバムは、素朴なオリジナル曲 (Headed For The Country、All I Need Is A Friend) と、慎重に選ばれたカバー曲 (Elton JohnとBernie Taupinの Country Comfort、Paul Parrishの When I See Jamie (Jaynie)、J.D. Southerの名曲 Out To Sea) を巧みにミックスした作品です。しかし、このアルバムも商業的な成功は得られなかったため、Murrayは代わりにプロデュースの仕事に力を注ぎ、Johnny Cashとさまざまなプロジェクトでコラボレーションしました。


Larry Murrayはソングライターとしても才能を発揮しました。彼の曲「Six White Horses」


は、1969年にTommy Cashによって録音され、ビルボードカントリーチャートで4位、ビルボードホット100で79位に達しました。また、カナダのRPMマガジンねカントリーチャートで1位になりました。

それから、1969年にPenny DeHavenによってリリースされた「Mama Lou」

は、ビルボードカントリーチャートで34 位になりました。

そして、1974年にオランダのバンド、The Catsがリリースした「Be my day」

が、オランダ公共放送協会の国営ラジオ局NPO Radio 2の「トップ2000」で6週連続1位を獲得しました。その後もキャッツは、1975年「Hard to be friends」

「Like a Spanish song」

と立て続けにシングルで、Larry Murray作の曲をリリースしヒットしました。

また、クリスマス・アルバムThe Cats 『 We Wish You A Merry Christmas』

においても、Larry Murray作の曲「Lights of Magdala 」を収録しました。さらに、Larry Murrayは、キャッツのメンバーCees Veermanによる1976年のソロアルバムのタイトルソングであり、1977年にシングルリリースしたCees Veerman 「Another Side Of Me」


を共同で作曲しました。

ヒットしたものだけでもこれだけありますが、それ以外にも前述したLarry MurrayプロデュースのSwampwater2ndアルバム『Swampwater』

には、「Headed For The Country」「Mama Lou」「Dakota」と、Murray作の曲が3曲も収録されていますし、

The Dillardsのアルバム『Decade Waltz』

においては、「Headed For The Country」と「Lights Of Magdella」の2曲が収録されていて、カントリー、ブルーグラス界隈でのMurray人気を窺い知ることができます。

他にもMurray作の曲は数多くのアーティストにカヴァーされており枚挙にいとまがないですが、有名どころだけ挙げると、Buddy Cagleが1968年にリリースしたアルバム『Through A Crack In A Boxcar Door』

で、Murray作のGood Morning Roseanna」を、アメリカの俳優 Dennis Weaver が1974年にリリースしたアルバム『People Songs』


において「Hubbardville Store」を、Olivia Newton-Johnの1976年リリースのアルバム『 Don't Stop Believin'』


で、Murray作のI'll Bet You A Kangaroo」を、取りあげており、Murrayがソングライターとしても人気が高かったことがわかります。

近年では、ニュージーランドのシンガーソングライターMax Merrittが2020年11月27日にリリースしたアルバム『I Can Dream』

には、「Stay With Me」「The Closer I Get To You」

「Tempted」とLarry Murray作の曲が3曲も収録されています。

Max Merrittは、2020年9月24日にカリフォルニア州ロサンゼルスで79歳で亡くなりましたが、亡くなる前に、『I Can Dream』を録音していました。


2019年のフレッシュグラスフィドル選手権のチャンピオンの腕前を持ち、Old Crow Medicine Showや、Nikki Lane, Billy StringsやSierra Ferrell 等とステージを共にしてきた実力派Josie Toneyが、2023年に満を持してリリースした1stアルバム『Extra』

には、最後を飾る曲としてLarry Murray作「Mama Lou」が採用されています。


最新のカヴァーは、アメリカのシンガーソングライターBenjamin Tod Flippoと彼の妻Ashley Maeから成るLost Dog Street Bandが、2024年4月26日リリース予定のアルバム『Survived』

に、Larry Murray 作「Hubbardville Store」を収めています。

サブスクで聴くことができましたが、かなりカッコいいバージョンになっています。

こうしてみると、Larry Murrayの曲は既に時代を超えて愛されるトラディショナル・ソングになっているのがわかります。


次回は、そんなLarry Murrayの唯一のアルバムである『SWEET COUNTRY SUITE 』についてもう少し詳しく掘り下げていきたいと思います。