Return to Yesterday 前編 | 馬鹿も休み休み言いなさい

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「Return to Yesterday」

イギリスのオルタナティブ・フォーク・ロック、ネオ・アコースティック・バンド

The Lilac Timeが、1987年に発表したシングルで、デビュー・アルバムThe Lilac Time

に収録されている彼らの代表曲である。


ザ・ライラック・タイムは、1986年にスティーブン・ダフィー、彼の兄ニック・ダフィー、そして友人のマイケル・ウェストンによってイギリスのヘレフォードシャーで結成された。


ボーカルとギター、そして作詞、作曲も手掛けるスティーヴン・ダフィーは、もともとデュラン・デュランのオリジナル・メンバーでボーカルを担当していたが、デビュー前に辞め、The Hawksというバンドで、1981年にシングルWords Of Hope』

でデビューした。


その後、新しいバンド「TinTin」を結成し、ワーナーと契約、「Kiss Me」

を発表し、全英チャートで最高 155 位を記録した。翌年、グループはアメリカのサイアー・レコードと契約し、シングルはクラブヒットとなった。 

その後、ダフィーは1984年にスティーヴン・“ティン・ティン”・ダフィーとしてソロ活動を開始し、ヴァージン傘下の10レコードと契約した。

 1985年には、Stephen Tintin Duffy 「Kiss Me」

の新バージョンが英国で初登場22位になり、その後最高4位まで上り、5週間トップ10に留まる大ヒットとなった。

10 Records在籍中には、1984年に、Stephen Tin Tin Duffyとしてシングル「She Makes Me Quiver」全英チャート最高88位

1984年にRoger Freemanとのデュオ

Dr. Calculusとしてシングル「Programme 7」

1985年にStephen Tin Tin Duffyとして シングル「Icing On The Cake」全英チャート最高14位

1985年にStephen Tin Tin Duffyとしてアルバム『The Ups And Downs』

を発表し、全英アルバム・チャートで35位に達するヒットとなった。
しかし、1986年にStephen Duffyとして発表したセカンド・ソロ・アルバムBecause We Love 』

は、商業的には期待はずれで、アルバムから

シングル カットされた

Stephen A J Duffy – Un Kiss That Kissは、全英77位と振るわず、

Stephen Duffy – I Love Youも全英チャート最高86位と


なんとかチャートには入ったものの、Sandii(Sandii & the Sunsetz)とのコラボレーションである

Stephen Duffy And Sandii – Something Special

は、チャートインせず、さらに1986年にDr. Calculusとして発表したアルバム『Designer Beatnik』

にいたっては、商業的な可能性がほとんどない実験的なサウンドコラージュだったため、すでに4枚目のアルバムのレコーディングを始めていたにもかかわらず、ダフィーは10 Recordsを解雇されてしまった。

彼は新しいアルバムの構想として、フォーク風味の作品のリリースを目論んでいたが、この提案された新しい方向性はレコード会社から不承認となり、それが彼の解雇の一因となったようなのだ。

しかしながら、その制作途中だったアルバムが、The Lilac Timeとして1987に発表するThe Lilac Time』に発展していったのだ。 


この新しいアルバムには、マルチ楽器奏者の兄ニックとガールフレンドの親友マイケル・ウェストンがキーボードで参加した。自らのバンドをライラック・タイム(ニック・ドレイクの曲「リバー・マン」の歌詞から取られた名前)と名付け、1986年8月26日にバーミンガム南部キングス・ヒースにあるプロデューサーのボブ・ラムのハイベリー・スタジオでレコーディングを開始した。彼らは5曲をレコーディングし、そのうち「ロックランド」、「アンド・ザ・シップ・セイルズ・オン」、「リターン・トゥ・イエスタデイ」はアルバムに収録され、「リユニオン・ボール」と「レイン・オン・ア・リバー」は、後にシングルのB面に収録された。


1987年の夏、バンドはマルバーン・ヒルズのマットン村にある古い酪農場であるサールズ・コテージに移転し、リハーサルと新曲のデモ録音を行った。ダフィーはヒットシングル「キス・ミー」の印税として受け取っていた金をアルバムを完成させるために使った。

セッションは1987年の夏の終わりにラムズで終了した。 8月か9月に、ダフィーはバーミンガムのレコードショップ兼レーベルであるソードフィッシュ・レコードに電話し、アルバムのリリースに興味があるかどうか、そして1987年のクリスマスまでに発売できるかどうか尋ねた。レコード会社も同意し、2000枚のCDとともに2000枚のレコードLPがプレスされた。

このオリジナル盤に収録された曲は以下のとおりである


A1 Black Velvet

A2 Rockland

A3 Return To Yesterday

A4 You've Got To Love

A5 Love Becomes A Savage

B1 Together

B2 The Road To Happiness

B3 Too Sooner Late Than Better

B4 And The Ship Sails On

B5 Trumpets From Montparnasse



『ライラック・タイム』は1987年11月2日にソードフィッシュ・レコードからリリースされたが、全英アルバム・チャートにはランクインしなかった。

アルバムからの最初のシングルは「リターン・トゥ・イエスタデイ」

で、これも1987年11月にソードフィッシュからリリースされたが、これもチャートには入らなかった。


その後、ライラック・タイムはフォンタナ・レコードと契約し、フォンタナ・レコードは1988年6月20日に4曲をリミックスしてアルバムをCD、LP、カセットで再リリースした。その際、「リターン・トゥ・イエスタデイ」と「ロックランド」が逆の順序で収録された。


A1 Black Velvet 3:26

A2 Return To Yesterday 3:46

A3 Rockland 4:09

A4 You've Got To Love 4:38

A5 Love Becomes A Savage 3:53

B1 Together 2:56

B2 The Road To Happiness 4:02

B3 Too Sooner Late Than Better 3:42

B4 And The Ship Sails On 3:03

B5 Trumpets From Montparnasse 3:47



「リターン・トゥ・イエスタデイ」のリミックス・バージョンは1988年7月にフォンタナから再リリースされ、


今度は全英シングル・チャートで82位を記録した。このアルバムからさらに2枚のシングルが収録され、「ユーヴ・ガット・トゥ・ラヴ」

は1988年10月に発売され全英チャートで79位に達し、「ブラック・ベルベット」

は1988年11月に発売され99位に達した。


このアルバムは1988年にマーキュリー・レコードから米国で発売され、トラックリストが再編され、「Gone For a Burton」と「Railway Bazaar」がボーナストラックとしてCDに追加された。

1 Return To Yesterday 3:46

2 Rockland 4:09

3 You've Got To Love 4:39

4 And The Ship Sails On 3:04

5 Love Becomes A Savage 3:55

6 Together  2:57

7 Black Velvet 3:22

8 Too Sooner Later Than Better 3:42

9 The Road To Happiness 4:02

10 Trumpets From Montparnasse 3:49

11 Gone For A Burton 3:43

12 Railway Bazaar


また、マーキュリーでのリリースに向けてさらなるリミックスと変更が加えられ、「ブラック・ベルベット」のアルバム・バージョンがシングル・リミックスに置き換えられ、スティーブン・ダフィーがいくつかの曲に追加のバッキング・ボーカルと新しいベース・パートを追加した。


ライラックス・タイムのファースト・アルバム発売までの流れをざっくり説明しましたが、この作品は、1980年代後半の英国ロックを代表する名盤だと思います。

あの1980年代前半のニューロマンティック(New Romantic)といわれるムーブメントやMTVブームの真っ只中にいたスティーブン・ダフィーが、紆余曲折しながらも、なんとか生き残り、そしてたどり着いた到達点は、早過ぎたオルタナティブ・フォークロックだった。これは奇跡的な事だし、スティーブン・ダフィーの類稀なる先見の明があったのだろう。

当時のオルタナティブ・フォークロック、カントリー・ロックと言って真っ先に思いつくのは、アメリカのロング・ライダースではないだろうか。

彼らは1985年3月と4月にヨーロッパへの最初の国際ツアーに乗り出しており、公演のチケットは、全て売り切れ、観客のレセプションも素晴らしいものだったようだし、また彼らは、英国の音楽雑誌NMEの表紙を飾り、BBCのホイッスルテストテレビ番組でライブ演奏もしており、 2度目にロンドンを訪れたの際には、宿泊するロンドンのホテルの前に、12社ものレコード会社に迎えられたくらいですから、そのような状況も影響して、もうすぐそこまで来ていたオルタナティブ・カントリーロック・ブームの到来を先読みしていたのだろう。

それと、本アルバムでも大活躍のマルチ・プレイヤーである兄ニック・ダフィーの影響は大きいだろう。

随所で聴かれるバンジョーやフィドルといったフォークやカントリーに欠かせない楽器を見事に演奏していて本アルバムを特徴づけている。


文字数の関係で今回はここまでといたします。

次回は、アルバムの曲を一曲づつ見ていきます。