東京都八王子市を中心に




各地のお囃子、山車、面、里神楽…などのあれこれを写真中心に書いています。




※画像でも文でも問題、ご指摘が御座いましたら該当記事のコメント欄より御一報下されば幸いですm(__)m





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ご無沙汰しております。

なんのかんので他に移行しまして、こんなにお久しぶりとなってしまいました。

ちょっと長文を書きたくなったので久々の更新。そんな十年目です。

タイトルの通り、八王子市街地から各地に渡った山車についてのまとめ。

取りまとめただけなので概説的です。新発見もございませぬ。

 

高松町の山車(東京都立川市高松町)

欄間吹き抜けの江戸型山車でかつては雌雄の獅子頭をのせていた。

いつどこで建造されたかははっきりしないが、八王子の南新町で曳かれており、

その後、立川市柴崎三丁目(旧南幸町)に譲られた。

同町で使われなくなり、昭和63年(1988)に立川市錦町の錦東会に渡った。

この時に腐食の激しかった前方欄間と後部二層目が取り除かれた。

更に平成6年に立川市高松町に譲られ、二層の唐破風の屋根が取り付けられ現在の形となる。

 

藤橋の鎮西八郎為朝の人形(東京都青梅市藤橋)

原舟月作。明治15年に八日町から山車の部材と共に譲られたと伝えられる。

「八日市上町」の墨書きが残る。

人形は為朝と島人二人の三人立ちの人形の他、

一本柱の人形立てに必要な揚げ裏、芯棒、持ち送り等が残り、

揚げ裏に安政3年大仏師吉見浜三郎によるものであることが分かる。

持ち送り彫刻の一部は現在使用している山車の一部に移植されている。

 

与瀬の山車(神奈川県相模原市緑区与瀬)

明治25年頃に八王子より購入。単層唐破風の一本柱人形山車。

屋根に四角い穴があけられており、人形をあげた名残であるという。

彫刻と人形は盗難にあい現存しない。昭和22年の写真ではほぼ現在の形である。

 

千木良 上の山車(神奈川県相模原市緑区千木良)

明治25年頃に八王子より購入。芯棒、岩座も残るが、人形は当地に渡っていない。

千木良の囃子は目黒流の囃子を奏する原、西、岡本、底沢の集落の者で構成される。

数年後にこの山車をもとに宿で半原の宮大工矢内右兵衛によって下の山車を建造し、大戸流の囃子が奏される。

二台ともチャンチキ方式。近年の改造を経て着脱式の梶が付き微調整ができるようになったが、補助程度で基本的には従来通りのチャンチキによる方向転換を用いている。

 

 

當麻田の山車(神奈川県相模原市緑区相原)

明治27年(1894)に横山町もしくは寺町より購入したと伝えられる。

八王子より渡ったの上部のみで足回りは陸軍の輜重車(荷車)を橋本の車大工さんによって改造し、使用している。

 

當麻田の金太郎の人形(神奈川県相模原市緑区相原)

山車と同様に横山町もしくは寺町より購入。

人形箱に購入時の墨書きが残るも作者不詳。

六角の岩座も残る。

 

小原の山車(神奈川県相模原市緑区小原)

明治30年に八王子市の寺町より購入。

別途、個人で購入した鍾馗の人形をのせていたが、

人形の所在が分からなくなり、現在は有志によって復元した人形をのせている。

ちなみに『郷土さがみこ第五集』(1974)にかつての人形の頭が掲載されている。

 

 

上溝本町の山車(神奈川県相模原市中央区上溝)

明治40年(1907)に横山町から譲られた。

(譲られた山車は明治40年の大火によって焼失し、現在の山車は地元大工製とも)

大正初期の古写真には三味線胴の人形台に天照大御神の人形があげられている。

人形と三味線胴は別に保存してあるという。

 

荒田の山車(東京都青梅市小曾木)

単層一本柱人形山車。江戸末期から明治前期にかけて大横町の山車として和唐内の人形をのせていた。

明治43年(1910)に山車、人形と共に同地に譲られた。

人形に必要な芯棒、台座、揚げ裏も残されている。

和唐内の人形は文久3年(1863)に制作された。

虎退治の一場面で正絹の衣装を身につけ飾られた。

同地八坂神社御神体として保存されている。

 

御幸町の山車(埼玉県所沢市御幸町)

明治43年に所沢市御幸町が西多摩郡瑞穂町石畑下組より購入した。

石畑では砂川四番組から購入した説と八王子から購入したという二説が挙がる。

屋根裏の墨書きから明治6年の作であるとされる。

 

 

御幸町の関羽周倉(埼玉県所沢市御幸町)

関羽、周倉の人形残り、江戸後期天保の頃の制作と推測され、山車より古いことになる。

作者は二代目原舟月作とされる。となれば人形が山車より先に制作されたことになる。

前述の八王子説の根拠の一つとして多賀神社に関羽、周倉を描いた額が奉納されている。

 

吉野の山車(神奈川県相模原市緑区吉野)

明治後期に八王子より購入したと伝えられる。

かつては一メートル程のスサノオの人形が飾られた。

 

諏訪町の山車(東京都八王子市諏訪町)

江戸末期の建造と推測され、単層唐破風、梶のないチャンチキ方式の山車。

寺町より追分町が購入し、その後明治末に諏訪町に譲られた。

その際に加藤清正、通称富士見加藤の人形も譲られたが、焼失し現存しない。

尚、この山車以前にも山車を有し、ウズメの人形の頭部が残る。

 

伊奈本町の山車(東京都あきる野市伊奈)

単層唐破風、明治の頃に八木町の山車として原舟月作の天穂日命の人形をのせていた。

やがて大正3年に百円で山車が売却された。人形は売却されず、奇しくも焼失した。

平成27年(2015)に伊奈で人形と一本柱の機構が復元された。

 

津久井中野上町組の山車(神奈川県相模原市緑区中野)

明治10年(1877)頃から大正12年にかけて八日町一・二丁目の山車として雄略天皇の人形のせ曳かれていた。

大正13年に同地へ譲られる八日町の八の字を崩した模様があしらわれている。

彫刻が施された円形台座も残る。

 

越生新宿の山車(埼玉県入間郡越生町)

文政10年(1827)に建造。八日町三・四丁目から入間市金子もしくは青梅市小曾木に渡った後、

大正13年に同地に譲られる。人形の柱の持ち送り彫刻を舞台の柱に移植している。

 

大戸の山車(東京都町田市大戸)

足周りに八幡町の車大工棒兼の印が見られ、墨書きで八王子で使用されていたことが書かれている。

足周りより上は作り替えられている。

 

九沢の山車(神奈川県相模原市緑区大島)

車輪に八幡町の車大工棒兼の印がみられる。

 

錦西協力会の山車(東京都立川市錦町)

昭和6年に八王子の三崎町から譲られたといわれるが、三崎町では明治43年建造の二層鉾台の山車を昭和9年に現在の入母屋造りに改造して使用していたという定説から外れる。

 

 

 

浅川川原宿の山車(東京都八王子市東浅川町)

寺町、追分、久嶋(日吉)と渡った単層屋台は当地に渡るも現存しない。

久嶋以前には猿田彦の人形をのせており、その頭部と腕、岩座は日吉町にて現存する。

 

久保沢の山車(神奈川県相模原市緑区久保沢)

現存しない。八王子寺町より明治15年に七〇円で購入したという伝えが残る。

 

久保沢の朝比奈弥太郎の人形(神奈川県相模原市緑区久保沢)

寺町より山車とともに購入したという。

朝比奈弥太郎は讃岐の戦国武将もしくは水戸藩浪士を指すが、

小人を掌にのせた人形であったという伝えから察するに

曲亭馬琴の読本『朝比奈巡島記』を題材にしていたのではないかと思われる。

その場合は弥太郎とは別人で鎌倉武将の朝比奈三郎義秀だろう。

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長らく時間が停まっておりますが、ご挨拶。
今年もよろしくお願い申し上げます。

平成28年元旦 囃見聞録
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去年の10月頃に「相模原市域 祭り囃子」という冊子が発行されました。
100頁ほどの冊子に相模原市の祭囃子と関連する神社に上溝夏祭りの項を加えたボリューム満天の内容。
この中の幾つかの団体さんは八王子から伝わった囃子であるとしており、調べると日付が集中しているので、車を出して見学へ。日にちは何となく分かったけどまぁ直近の土日開催だろうと当たりを付けての見学です。これが大きな間違い。

八王子から伝わったと思われる囃子は概ね三系統で、
一つは八王子の東部に位置する、北野を発したとされる目黒流で与瀬に伝わり、与瀬から二つの地域に伝播しています。
二つ目に八王子の北東部に位置する、小宮粟の巣を発したとされる囃子でこちらも目黒流を名乗ります。師匠を招き、藤野方面多く見られます。
三つ目は八王子の南部に位置する、宇津貫を発したとされる宇津貫囃子(伝承では宇津の木囃子とも)で津久井上町、道志、三ヶ木に伝わります。
加えて八王子の地域不明の目黒囃子が小原と小原から習った青根に伝わっています。

大垂水峠をグニャグニャ越えると千木良、小原宿、与瀬となります。
小原八幡神社は日付開催で14,15日とのこと。こちらは後日。

 

継いで与瀬から相模湖の縁を辿り反対岸の阿津方面へ。

結果として山車しか見つからずポスターも特に見えません。

山車は上物はちょっと古そう。下からのぞき込むと虫食いの痛みが・・・。

 

後輪だけゴムタイヤ。脇障子は楽屋前面に付きます。

舞台に対し楽屋はかなり狭い様に見えます。

古い彫刻に加え、追加された彫刻も。

しばし、山車を観察し増原地区へ。こちらもポスターを見ると15,16日と平日の日付開催。

こちらも追々見に行きます・・・。

増原の隣の関口地区にはこんなものが沢山立っていました。お盆行事?

 

三ヶ木に向かう途中に偶然お祭り発見。日神社祭礼。

神社からやや離れ街道を挟んで、お祭りの会場。更に奥まった公園にトラック山車と御神輿が休憩中。


お囃子は寸沢嵐囃子保存会さん。冒頭に紹介しました冊子によりますと個人が習得した昭和48年に当地に伝えたそうな。
流派については触れられておりませんで、曲も仁羽でして判断できませんでした。

 

三ヶ木。明治末期に隣接の青山より習った宇津の木囃子があるそうですが、こちらも日付開催・・・。

再び、来た道を引き返して藤野方面へ走らせます。

吉原地区。車の停め場所を探しているうちに相模湖対岸の日連地区へ;

日連の山車。足回りの木組みが特徴的。

前輪は自在車になっています。昔は後輪同様の車輪が付いていたようですが、そうなると梶は・・・?

囃子は明治には既に存在し、大正初期に小宮の師匠より習った大刀地区に習いに行ったそうな。
以前、藤野の夏祭りで客囃子として演奏されていた囃子はこの近辺に多く見られる、お囃子だったかと。

日連は最終週のお祭りなのでまだまだ先。

 

そして、吉原地区。こちらも日付開催でした・・・。
今回は情報の少ない地域のお祭りをまわりましたが、見事にハズレ(TT
根強い日付開催にも驚かされ・・・そんな煮え切らない土曜日でした。
 

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久方ぶりでございますの更新。動画のほうは随時うpしておりましたが、文章に中々ならず。

書き方も忘れかけですけど、メモ程度に文章は書きためてあるので、それを元にすこしだけ書いておきます。

成田の祇園会へ。メジャーなお祭りですけど、千葉方面は遠くてなかなか行っておりませんで、恥ずかしながらの初成田。
二時間程度かけて都内経由の成田入り。

京成成田駅から新勝寺方面へ進むと花崎の山車が。出発する様子なのでしばし見学。
芸大や明治神宮でのお江戸交じりの佐原囃子を除けば、初佐原系のお囃子。


手踊りも初見学。八王子も手踊りを取り入れようとしたのが15年前。すぐに立ち消えた黒歴史・・・。

タタン、タンのリズムが心地いいです。
大漁節は大学のサークルでよく聞いていたので、なんとなくなじみ深い曲調。

総踊りの為に集結する山車。

本堂前から見学。広場は人をいれないご様子。

上の撮影した場所、程ほどの混雑ですけど三社や秩父、川越のそれよりはずっとまし。
後ろのご本尊に気を使いながら見学。

神社でなく、お寺の祇園会。大日如来の祭礼になります。

総踊り。視線は手踊りの華やかな佐原囃子の山車に目が向きますが、三台は江戸囃子の流れ。

仮設の張り出し舞台で簡易的なお神楽。

こちらは今年流行の猿三番叟。

一台ずつ本堂前に歩み出て、拍手で送り出されます。

本町の萩原彦太郎社中さん。


パワフルな大拍子の師は有名でこの囃子を目当てに来られる囃子人も多く。

長ーく天狐さんは踊り続けています・・・暑そうです。

煉瓦造りの趣のあるトンネルを潜る山車。

参道の坂を登る夜の巡行までみて帰りました。竿のお捻りだったり、山車が先を越しすれ違う他町内には拍手で送り出したり・・・粋とかはようわかりませんが、かっこよかった。

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横浜方面のお囃子。緑区内の四団体とゲストに1団体、和太鼓1団体。
どの団体さんも隣村の師匠から習い覚えるパターンですが、
やはり城南あたりから川崎を経て伝わったのではないかと。


エントランスで迎え囃子

梅田囃子連中さん


西八朔はやし保存会さん
締太鼓四つの変形型ですが、囃子は古めの横浜囃子。


ゲスト西三ツ木囃子連さん
入間市の西三ツ木囃子連さん。
江戸後期頃に伝わった囃子で相模から伝わったとも、神田流の囃子に相模の囃子と交流があり合わさったとも。
久々の見学ですが、息子さんも成長されしっかりと祇園囃子の笛にもどきにインタビューをこなしていましたね^^
足踊りは横浜方面のお囃子連さんには目から鱗のご様子。

体験コーナー
羽生さんの面もちらほら。


上山太鼓さん

鴨居囃子連中さん
世田谷と川崎、横浜方面にみられるタスキ付きの獅子。
油単を着物の裾に見立てての岡目。
子どもをあやしたり、お化粧に羽根突きと岡目の一通りの所作。
古写真の囃子の舞方は衣裳を付けずに狐もおかめも皆半纏だったりしますからこれを忠実に継いでいる印象。

長津田囃子保存会さん
西八朔さん同様に変形の構成。
舞はちょっとした段物形式で鯛釣り。ひょっとこの男の子は腰で調子をとって踊りが好きなのが、伝わってきます。

フィナーレ
出演団体が代わる代わる囃子を演奏。

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立川の小若クラブ。立川おはやし保存会に所属する各団体さんの子どもさんを中心とした発表会です。
今までは各地区の公民館を持ち回りで行っていましたが、今回は立川諏訪神社にて。

過去には全関東祭囃子コンクールが行われていたりで、お囃子には縁の深い会場。

子どもの指導をどうしたもんかという事のお勉強も兼ねての見学です。
笛は大人、鳴り物は大人、囃子方も子ども、鳴り物は三丁太鼓と団体さんごとに色合いも違います。
構成も様々でして、見せ方のお勉強にもなります。十分をどう使うか。
錦東会さんの囃子方揃い浴衣に羽織の半纏をこども囃子で行うのは可愛らしくも格好良く。

最後は抽選会で締めくくり。

境内散策。千社札は景観美を損なうのか…。



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昼間は連合会といたしまして、お囃子の体験ツアーのお手伝い。

その後、品川神社の天王祭へ見学。
品川は天王祭が二つありまして、今回はの天王祭と呼ばれる品川神社。
の天王祭は荏原神社と呼ばれる神社で、祭礼日は同日だったり、ずれていたり。
両社の仲はそれ程良くないとも聞きます。
天皇が定めたに「品川貴舟社」の名があり、これをどちらの神社であるかはっっきりしないままに両社が名乗っているそうな。
両社ともそれだけ由緒のある神社でもあるわけです。片方は徳川で片方は天皇の肩書きが付いている様ですん。
荏原神社は氏子とのもめ事で神輿に付ける御神面が出なかったり、出たり。
神社と氏子のもめ事ってのは良く聞く話で、八王子でもあっちやこっちゃで聞かれ。
商店街はデデンデケデンの品川拍子が響きます。

神輿に大拍子が付き、城南担ぎ。
城南方面は底抜け屋台が見られないのも品川拍子がその役割を担っているからでしょうか。

龍神の山車
江戸型山車。龍神不在で赤シャグマに狐面がかけられています。
囃子はにんばなのは分かりますが、地の囃子ではなさそうです。
古写真を見ているよう。
沼部囃子とあります。ざっくり調べると沼部囃子は大田区は田園調布あたりの囃子を指すようです。
目黒の流れに相模の流れが合わさったという事らしい。
いわねえ氏の山車・だんじり悉皆調査によると嘉永4年ということなので、かなり古いものらしい。
ちなみに翌日許可を取らずに巡行して怒られたご様子。

ただ、山車上の囃子は恐らく沼部囃子でない気がする・・・。山車備え付けの提灯なのではなかろうか。

山車前の写真。太鼓の配置が違う・・・;

続いて、鈴の山車。昔の龍神の山車の台輪を用いて作られた山車だそうで・・・あれ?

翁の山車
もとは三層の江戸型山車であったようですが、昭和22年に諫鼓の山車とともに修復し一台に纏めてしまったそうな。
古写真と照らし合わせると土台は丸々、諫鼓の台輪を使っている様子。

諫鼓の山車は雛型のみ現存。しかし、この雛型も古写真と比べると・・・。

獅子の山車もありましたが、こちらも獅子頭と額のみ現存。

お囃子はヅクヅク囃子。城南囃子といったりもします。
目黒、碑文谷、池上、大井、等々力、羽田、大森、雪が谷の城南囃子。
去年見た六郷あたりもこの流れではないかと。
細かく言えばこれも深すぎて、適当なことをいえませんが、
八王子の目黒囃子もヅクヅク囃子の流れを引いているのではという説もあります。
去年のひとっぱやしの様子。今年の様子はそのうちに・・・。

品川神社。左手には富士塚がそびえたちます。


明日担がれる中神輿。大神輿と徳川家寄進の葵の神輿は宝物殿に納められています。

なんだか説明というか概論だらけの尻すぼみ記事になってしまいました。私的雑感。

翌日、神楽見物に出かけました。
品川の社中さんに加え、助っ人。神楽師の世界では出方で交流のある川崎方面の社中さんも混じえているご様子。

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それなりに前の話になってしまいました。
昭島市の郷土芸能まつり。市内の山車5台に居囃子が1つで賑やかなお祭りです。
二回ほど来たことがありますが、二回とも雨で人形の立ち上げは見られなかった様な記憶。
それもだいぶ初期のお話でここ数年は立ち上がっているようですけど。
今年で第八回目なんだそうな。

 
駅からメイン会場に向かうとダンツコ、ツコツコ、ダンツコダンの七頭舞のリズムが聞こえます。
大学の先輩曰く、笛の調子とリズミカルな太鼓にチャッパは東北らしいといいますか・・・。
笛は確か6穴と聞きました。ささらは小学生が努める事になったある時期から笹に変わったそうな。
もとは青森の黒森神楽辺りだとかなんとか・・・脇のことは覚えていますが本筋の歴史は忘れました;

輪踊りもこれだけ人数が居れば賑やかです。

 
七頭舞も終わりまして、山車が駅前へ移動。これも前回はなかったような。

 
駅前で五台競演です。ロータリー内の木陰にて競演。
辻ではありませんが、雰囲気は大辻合わせのごとし。
木と人で全体を見渡すことは難しく、一脚で失礼して一枚。
ゾロリと集まった山車はゾロリとメイン会場へと引き返します。

 
メイン会場にて居囃子も加えての賑やかさ。

  

加美、奈賀、志茂の三台は拝島の日吉神社の氏子でして古く大型の一本柱山車。
志茂町は須佐之男の人形が残っておりましたが、あとの二町は長らく山車人形がありませんでした。
ここ数年で和唐内に弁慶が復元され先日、三台揃って立ち上げが行われました。

山車人形の立ち上げ。
思ったよりさっと立ち上がってしまい慌てて撮影・・・。

どこから見ればいいのか分からず、ウロウロ。

弁慶。七つ道具仕様でちょいワル時代の弁慶。
ほかに弁慶っていうと川越の弁慶は山伏仕様で改心後の弁慶。
 
   
  

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2016/05/14


三社祭です。川越や秩父なみに人がでます。観光の延長かお祭り関係かカメラマンかと色々。


神輿を楽しみに来るのが普通でしょうけどね。お囃子とお神楽のブログですからその目線で書いていきましょう。
といえど深いことも分かりませんので、見たままの浅いところ書いていきます。


ご町内の定食屋さん寄贈の屋台です。


太鼓枠の縄がけにほーと毎年思い眺めます。

そうこうしていると浅草神社を出た神輿が各町へと帰っていきます。


近くの掛け屋台では菊岡家さん。
アップテンポで小気味の良いリズムの投げ合いです。


浅草寺前には規制線が張られてまして大混雑。


千二西睦の底抜け屋台。


こちらも底抜け。投げ合いでなく玉が入っていたので四丁目でしょうか。


待機中の底抜け。大胴は四つ足の台。
葛西方面のお囃子連さんがよく使っているイメージ。あくまでイメージ。

人を避けて神社に着くとあげ屋台に切り替わっていまして、長いお囃子も終わり。

ほんとにすごい人手。


ストリート三味線奏者。


ひさご通りのちなみ連さん。
三社囃子用のつるし鉦がありましたので、若山さんの系統でしょうか。

浅美連さん。こちらは松本社中さんのお弟子さんでしたかね。


さんてこ江戸囃子。

ひさご通りではちなみ連さんの屋台が神輿をお迎え中。


後ろにいるとすこしキンキンします。


公会堂前ではあやめ連さん。三社囃子を一通り拝聴。
葛西囃子や神田囃子はあれど、ここ浅草には根付いた囃子が無く、
そこで若山胤雄社中家元によって、作曲されたのが「三社囃子」の組曲なんだそうです。
一連の曲は間物の静かな曲調ですが、大太鼓の独奏(?)が入ったり鉦をつるして打つ箇所があったりと工夫されております。

松屋方面へ。お神輿が連合渡御中。岩戸会さん。


屋台も次から次に


一門の連合での掛け屋台。
残念ながら始まる気配なし。
再び浅草神社に戻り、里神楽見物。


演目は「菩比神使」。ついこの間紹介致しましたので筋は省略。
下谷と違い、花道からじっくり登場。


天菩比さんはお顔つきが変わりまして、ちょっと柔らかい表情になりました。
穏やかさか、ちょっと余裕を感じる表情になった気がします。これも面白いところ。


前回のトップ画像にもしましたが、ちょこんと座るもどきはなんとも愛嬌があります。


ご対面。


よーーく聞け。どうぞ。かえせ。むむむ・・・。高天原(天界)から遥々・・・。
写真でも何となく分かりますこんなLINEスタンプはいかがでしょうか。偏った需用がありそう。


顔のおうとつで時折違って見える表情。


敗北の無念。


さて、神楽が一番終わりまして本堂前にはお神輿と屋台。


ちょっと散歩。オールドタイプの底抜け屋台。


トラック屋台。


再び里神楽。「悪鬼退治」。
いつぞや神田辺りで書いておりますが、一応の粗筋とともに。


前段の「稲荷山」にて稲荷大神から弓矢を授かった、紀千箭は稲荷大神の御領でいたずらをする悪鬼を退治に出かけます。
鬼退治物は古めの太々神楽なんかにもありまして大体弓で退治されます。原型はそれなりに古い物ではないでしょうか。
里神楽が下って伝わった西多摩方面の鬼退治はもっと簡素です。
はたまたある山の神楽では千ノ利の放つ矢は自らを射抜くという返し矢と集合した舞になっていたり。

里神楽では滑稽に味つけされております。矢が刺さった青鬼を診察中。


手術中。


お腹をお裁縫中。

今度は千箭を挟んでひとくだり。手相拝見。待ち人こず、女難の相あり。


遂に追いつめられた鬼は降参する。
「草も木も皆吾が大君国なるに、何処ぞ悪鬼の住処なるらん」と千箭の謡い。

鬼は稲の害虫を表すとも言いますが、
前段の稲荷山は稲荷大神と天狐の発弓の舞を主軸としたご祝儀物の演目で申し訳程度に千箭が登場し弓を授かります(性格上千箭を省く場合も)。
悪鬼退治とは別個の演目であったのではないかと思います。
謡にも稲荷大神は触れられていませんね。

菊岡家さんでは終いの投げ合い。浅草のお囃子はまとめてこちら
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2016/05/08

ジッとしてるだけで汗がにじんでくるような暑い日が始まったかと思えば、曇り空のじめじめになってきました。
これが過ぎれば市内が賑やかになってきまして、わが町のお祭り。どこをわが町とするか。
一番暑い時期のお祭りでアスファルトの照り返し浴び放題の八王子まつりの日程は8月の5,6,7日に正式決定致しました。
どうなることやら。
前置きがながくなりまして5月の頭のお話にお付き合いを。
下谷の翌日は都内から多摩地区に移りましてお隣の日野市へ。

東京都の諸島を除くと東京のど真ん中に当たる市です。意外な東京のへそ。

新撰組ゆかりの地でもありますが、当の土方は正式な天然理心流を受け継いだわけでもないとも。
だいぶ迫害された流儀でどこぞの奥地の獅子舞の棒術はこの流れを仕組んだものであるとも。

それはそれとてお囃子です。
日野囃子保存会さん。八王子でも活躍されておりまして、元気でパワフルな印象のお囃子です。


日野囃子愛好会さん。こちらも八王子まつりの連合会の山車にて参加頂いております。
屋台での参加です。
保存会さん、愛好会さんともルーツは同市の東光寺を祖とします。


東光寺の囃子は目黒より師匠を招いたといい正調目黒囃子を名乗りまして、小宮や拝島志茂あたりもこのくくりであったと言います。

地域的にちょっと古い目黒の流れの八王子の大塚、立川の柴一、昭島の福島も恐らく何らかの関わりがあったのではないかと推測しますが、確たるものはなし。

日野囃子。二団体とも若さ溢れた元気の良い囃子です。
紛れてはおりますが、甲州街道沿い他の目黒囃子地域である、府中や小金井方面とは違うのは分かります。

ちょっとしたハプニング。


日野市ではまちかど写真館と称し古写真がの看板が常設で設置されています。
戦後昭和29年に江戸消防第九区から高幡不動尊への奉納賽銭箱の写真でオート三輪の後ろに囃子太鼓が見え。


動画貼ると重くなるのでいつもどおりの別枠

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