昨日は、人形町散歩と落語の会でした。
大門通りや、芳町(葭町)の風情、
人形町末廣跡、末廣神社まで歩きました。
そのあとは、落語会。
近辺の噺、「宮戸川」を通しで口演しました!
たくさんのご来場ありがとうございました。
~小唄勝太郎「明日はお立ちか」~
人形町近辺を散策すると思いだすのが、小唄勝太郎さんです。
新潟から上京 してきたのが、昭和4年。
巷では「東京行進曲」(歌唱・佐藤千夜子)が大ヒットしていました。
この頃、勝太郎さんは、葭町の芸者さんになりました。
ですから、当初は、「葭町勝太郎」という芸名でした。
そして、既に、この葭町からは、藤本二三吉さんがレコードデビューしています。
そのあとを追うように、勝太郎さんも歌手としてレコードデビューを果たしました。
鶯芸者歌手の誕生です。
「島の娘」、「東京音頭」(昭8)と、爆発的大ヒットを出した勝太郎さん。
どの歌も最初、「ハァ~」という入りをしたので、「ハァ小唄」と呼ばれるようになります。
「ハァ小唄」を確立した勝太郎さんの歌の中で、私が1番好きな歌が、今日の一曲です。
昭和17年の作品。
勝太郎さん、久しぶりの大ヒットです。
戦地に行った亭主や兄弟、父親を待つ、女性の無事に帰ってきてほしいという祈る気持ちを描いた歌です。
つまり、銃後の心を歌は表現しています。
戦時歌謡と時局的には捉えれますが、この歌に直接的、「戦」の文字はありません。
戦意高揚はなく、哀愁漂う一曲です。
この頃になると、表だって「哀しみ」や「未練」等を表現することは、なんとなく許されなくなっていました。
しかし、民衆が想う心の素直な動きを、この歌は、代弁しています。
そのストレートな人々の想いと重なってヒットしていきました。
戦後は、三沢あけみさんがカバーしてヒットしています。