先日、門前仲町の名店「宙」さんへ行きました。
 
こちらのお店、普通のお店のように見えちゃいますが、いやいや、もう、出てくるものは凄いです。
 
スッポン鍋をいただきました。
コラーゲンたっぷり。
 
私、翌日のお肌の「ノリ」が無駄に良かった・・・。
 
無駄にですけど(笑)。

 
そして、やはり、〆はおじやですね!!
贅沢な逸品に舌鼓!!
 
ごちそうさまでした~。
 
【たけ平今日の一曲】
~松山千春「燃える涙」~
 
今場所も相撲が面白い!!
 
「スッポン」というあだ名で有名だったのは、元・関脇の金剛関でした。
 
 別名「ほら吹き金剛」という名前もありました。
 
金剛関はインタビューで発する言葉がユーモラスだったので人気がありました。
 
そんなほら吹き金剛が、ほら吹きでなかった時がありました。
 
昭和50年の7月場所。
 
なんと、平幕優勝を果たしたのです。
 
私は、いよいよ、優勝が決まるときの金剛関のインタビューが好きです。
 
「ここまで来たら優勝したい。パレードの時、ずっと手を振るのは疲れるなあ。自動手振り機でも作らなきゃ」
 
なんともユーモラスな力士でした。
 
そして、私の青春時代の大横綱は、やっばり、千代の富士関です。
 
千代の富士は別名「ウルフ」とあだ名されました。
 
そのウルフが引退したときの、日本全国の衝撃たるや凄かったのを覚えています。
 
私もショックを受けました。
 
いかに千代の富士という人が人気があったか分かったのは、引退してすぐにテレビで「千代の富士物語」(フジテレビ)というドラマが出来たこと。
 
引退してすぐにその人の人生がドラマ化される、今では考えられないし、またあり得ないことです。
 
その時のエンディングテーマソングが今日の一曲でした。
 
平成3年の作品。
 
つまり、千代の富士引退の時に出来た歌です。
 
千代の富士関と同郷で親友だった松山千春さんがウルフのために書いた歌。
 
松山千春さんといえば、特定の人に対して楽曲を作ることを嫌うタイプのシンガーソングライターです。
 
しかし、親友のウルフのために書いたわけですから、2人の関係が親密であったことが分かります。
 
千代の富士の引退、そして、貴花田(後の貴乃花)の誕生。
 
新旧交代の瞬間を相撲中継で観た記憶の方も未だ、多いと思います。
 
あの頃の相撲の盛り上がりは凄かった・・・。
 
いま、この令和6年、尊富士関、大の里関の快進撃で、そんなフィーバーが来る予感、ちょっと期待しています。
 
それにしても先場所の尊富士関、新入幕でいきなり初優勝!!凄すぎます!!