つる子師匠、おめでとうございます~!
皆さんも応援よろしくお願いします。
【たけ平今日の一曲】
~東海林太郎「名月赤城山」~
つる子師匠といえば、故郷は群馬県。
懐メロ好きといえば、上州の歌は、東海林太郎さんにトドメ刺し、といったところかと思います。
昭和14年の作品です。
この歌は、ご存知、国定忠治。
私は小学生の頃に既に国定忠治の物語を知っていました。
嫌な子供です(笑)。
何故なら寄席通いをしていたからです。
寄席って、色々な知らないことを楽しく教えてくれる場所でもありました。
私は一人の芸人の噺ばかりを追いかけるのは苦手でした。
色々な芸風があるから面白いし、どれもみんな楽しめるところが、寄席演芸の魅力だと思います。
国定忠治は、先代の三遊亭圓歌師匠や、漫才の青空球児・好児師匠で覚えました。
テレビをつければ、ドリフターズの皆さんのコントでもやってました。
江戸末期は上州の国定村で生まれた本名・長岡忠次郎、ご存知、国定忠治です。
60人余りの子分を引き連れ、赤城山に立てこもります。
そして、あの名台詞、「赤城の山も今宵限り 可愛い子分のてめえ達とも別れ別れになる首途だ」
上州から信州へ。
そして、上州で処刑される国定忠治。
日本人の大衆の心を突いた名作です。
私は地噺で、「忠臣蔵」や「金色夜叉」、「井伊直弼」などの噺をしています。
大した噺ではないのですが、寄席の中で少しでも、そんな噺を知ってもらいたい。
それは自分が子供の頃、寄席で経験したあの感じを今、ご来場のお客様に少しでも共感してもらえれば・・・。
そんな想いがあるからかもしれません。
さて、東海林さんの今日の一曲は、テレビ東京で初めて映像で観た一曲です。
NHKでその前に「赤城の子守唄」(昭9)、「国境の町」(昭9)、「麦と兵隊」(昭13)は既に観ていました。
初めてテレビ東京で今日の一曲を観た時の衝撃たるや・・・。
東海林さんの歌でまだ他の曲の映像があった!
その時の驚きといったらありませんでした。
そんな意味でもこの歌は、私にとって思い出の曲です。
この歌は、戦後、様々な歌い手さんがカバーしたことによって、後世にも知られた一曲となりました。