先日、林家一門から新真打が誕生いたしました。
 
林家つる子師匠!
 
おめでたき披露宴が東京會舘で開催されました。
 
600人以上を超えるお客様!!
 
主役・つる子さん、師匠の正蔵、雨宮アナウンサーと記念撮影。
 
林家あんこさんが撮影してくれました。
あんこさん、ありがとうございます。
 
私は雨宮アナウンサーと司会を仰せつかりました。
 
司会席に乱入した、林家ペー先生(笑)。
 
こちらは、林家たい平師匠が、
写真を撮って送ってくれました。
 
そして、三遊亭王楽師匠も御来席。
 

つる子師匠、おめでとうございます~!

皆さんも応援よろしくお願いします。

 

【たけ平今日の一曲】

~東海林太郎「名月赤城山」~

 

つる子師匠といえば、故郷は群馬県。

 

懐メロ好きといえば、上州の歌は、東海林太郎さんにトドメ刺し、といったところかと思います。

 

昭和14年の作品です。

 

この歌は、ご存知、国定忠治。

 

私は小学生の頃に既に国定忠治の物語を知っていました。

 

嫌な子供です(笑)。

 

何故なら寄席通いをしていたからです。

 

寄席って、色々な知らないことを楽しく教えてくれる場所でもありました。

 

私は一人の芸人の噺ばかりを追いかけるのは苦手でした。

 

色々な芸風があるから面白いし、どれもみんな楽しめるところが、寄席演芸の魅力だと思います。

 

国定忠治は、先代の三遊亭圓歌師匠や、漫才の青空球児・好児師匠で覚えました。

 

テレビをつければ、ドリフターズの皆さんのコントでもやってました。

 

江戸末期は上州の国定村で生まれた本名・長岡忠次郎、ご存知、国定忠治です。

 

60人余りの子分を引き連れ、赤城山に立てこもります。

 

そして、あの名台詞、「赤城の山も今宵限り 可愛い子分のてめえ達とも別れ別れになる首途だ」

 

上州から信州へ。

 

そして、上州で処刑される国定忠治。

 

日本人の大衆の心を突いた名作です。

 

私は地噺で、「忠臣蔵」や「金色夜叉」、「井伊直弼」などの噺をしています。

 

大した噺ではないのですが、寄席の中で少しでも、そんな噺を知ってもらいたい。

 

それは自分が子供の頃、寄席で経験したあの感じを今、ご来場のお客様に少しでも共感してもらえれば・・・。

 

そんな想いがあるからかもしれません。

 

さて、東海林さんの今日の一曲は、テレビ東京で初めて映像で観た一曲です。

 

NHKでその前に「赤城の子守唄」(昭9)、「国境の町」(昭9)、「麦と兵隊」(昭13)は既に観ていました。

 

初めてテレビ東京で今日の一曲を観た時の衝撃たるや・・・。

 

東海林さんの歌でまだ他の曲の映像があった!

 

その時の驚きといったらありませんでした。

 

そんな意味でもこの歌は、私にとって思い出の曲です。

 

この歌は、戦後、様々な歌い手さんがカバーしたことによって、後世にも知られた一曲となりました。