■サマリ
「能ってなに?」⇒日本製のミュージカルです。
登場する構成は以下の3つからなっている。
① 歌・セリフ⇒謡(うたい)
② 所作・ダンスなど⇒舞
③ 楽器演奏(子)→笛・小鼓・大鼓・太鼓という4種類の楽器を使う。これに謡が加わって五人囃子という
他の日本の芸能と比較してみましょう
―神楽(面をつけ神様に変身して踊る劇)⇒人が変身した神様から「神様」に奉納する芸能
―能(面をつけて神様や仏さまに変身する)⇒「神仏」の言葉を「人」に伝える芸能
―歌舞伎(化粧をして役者が演じる芸能)⇒ 「人」の世の在り方を「人」に伝える
一般的な演劇と、能との違い ☆とても大切☆
能では「小栗上野介」の生涯を時系列でやっていく芸能でもなければ、「小栗上野介」の一生を紹介するのでもありません!!では、能とはなに?
・鎮魂の芸能 ・生き方を学ぶ芸能「人は誰の為に生き、誰の為に死ぬのか」
・死者が出てくる演目が多い ⇒ 人は過去の失敗から学ぶものだから
■清水氏の解説
=能は特に「謡を楽しむもの」であるがゆえに動きが少ない。1750年頃になると、寺子屋や藩校で「謡(うたい)」を教えるようになった。 それは、能の内容が云々ではなく、正しい日本語の発音、発声を学ぶ為の手段とされたのだ。口元を見て学ぶ「口伝」のやり方で正しい日本語を学んだという。
=能は演劇の一種と考えられていますが、娯楽ではありません。歌舞伎は「見るもの」、能は「自分でやるもの」であるという決定的な違いや、ユネスコの無形文化遺産の第一号が歌舞伎ではなく能であったこと、能の三大要素が、「謡(うたい)」「舞(まい)」「囃子(はやし)」であり、能はいわばミュージカルである。能は「謡を楽しむもの」であるがゆえに動きが少ないこと、また、能というのは完全分業制になっていて、主役や地謡(コーラス)を演じる人を「シテ方」といい、脇役のみを演じる人を「ワキ方」、狂言を演じる人を「狂言方」、囃子はすべての楽器ごとに分かれ、「笛方」「小鼓方」「大鼓方」「太鼓方」、それを総称として「囃子方」といい、それぞれに役割を分担して能を作り上げている。
=西暦600年頃、聖徳太子の頃に仏教とともに能の原形「猿楽(散楽とも)」が中国から伝わり、1350年頃に観阿弥・世阿弥の親子が室町幕府三代将軍・足利義満に気に入られ、「猿楽」が一世を風靡し、戦国時代には各地の大名たちも自ら演じて楽しむようになり、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康なども大いに好んだということはよく知られている。能は日本人にとって「当たり前」のものとなり、いつでもどこでも誰でも楽しめる芸能となり、1750年頃になると、寺子屋や藩校で「謡(うたい)」を教えるようになった。 それは、能の内容が云々ではなく、正しい日本語の発音、発声を学ぶ為の手段とされたのだ。口元を見て学ぶ「口伝」のやり方で正しい日本語を学んだのだ。演劇の中で最も宗教色が強いのが能である。主役には幽霊が出てくる演目が多く脇役はその幽霊を弔い、成仏させる為に現れる旅の僧などが多い。日本は、「神」と「仏」の国、また「心」と「魂」の国である。「心」や「魂」は目には見えない。表面的な演技はせずに、謡を介して「心」や「魂」を感じてもらうわけだ。これこそが日本人らしさではないだろうか。 能に見て取れる日本人の考え方は、①儒教から来る「仁義礼智信」の五道。人に対してどのように接するのかを考え、己の身を律する。これは、武士道から能が取り込んだものである。②謡は、和歌の世界を重んじた文章が多く、「花鳥風月」などを取り寄せて作りこんであるものが多い。③また、「詩歌管弦」を重んじ、人の心の中にどれだけ訴えかけられるかがポイントとなる。日本人とは、個性より協調性を大切にし、利他主義であった。他者を大切にすることにより、自らも心を豊かにしていた。そして、死後の世界を大切にする。仏教の輪廻転生の考え方から常に死と生を身近に感じていたのだ。
=海外の方たちにそれを説明するのは難しいが、文化の違いを知ってもらい、仏教・神道の考え方が根本にあることを理解してもらおう。能は、その題材としてはとても良いと思う。