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富士見競馬日記

埼玉在住早島さんの競馬日記

高校1年で中退した。

 

しばらくして、中国語を勉強し始めた。

 

近所で中国語講座をやっているようなので通うことにした。

 

私は当時17歳。

講師は中国人の女性で40代くらい。

 

生徒は老人が10人くらい。

平日の昼間っから通えるのは老人くらいだと思う。

 

しばらく通っていてふと思った。

 

これって趣味みたいなもんだ。

 

こんなことって老後でもできるよな。

 

事実、老人ばかりだし。

 

いい人たちだし、好きで通いだしたものだし、

でも、こんなことに若い時間を使っていていいのか。

 

老後でもできるような事に貴重な時間を使っていいのだろうか。

 

猛烈に青春がしたくなり、大学に通いたくなった。

 

若い人と過ごしたい。

 

今しか出来ないことをやるべきだ。

 

そこから大検を取り大学へ行った。

 

 

同じようなことが社会人になってからもあった。

 

社会人3年目くらい。

 

仕事にも慣れてきて、余裕も出てきた。

 

土日、ゲームを買いに行き、部屋でゲームをして過ごす。

 

なんなんだこの時間の過ごし方は。

 

貴重な若い時間(当時20代)をこんな風に過ごしていいのだろうか。

 

誤解を恐れずズバッといえば、今は家族を見つけ育児すべき時間ではないのか?

(もちろん個人の価値観である)

 

そう思った。

 

とはいえ、好きでもない人と結婚するくらいなら一生独身でいいと思っていた。

 

だが、なんだかもったいない時間の過ごし方だなと感じモヤモヤしていたのを覚えている。

 

 

そして今、40代。

 

体が永遠に健康ではないことを身をもって感じる世代。

 

たぶんこれからどんどん体に不具合が出てくるのだろう。

 

残り時間もどのくらいあるかわからない。

 

運によっては今日で一生が終わってもおかしくないのだ。

 

仕事は、悪くない。

 

給料は少ないものの、人間関係も問題ないし、嫌いな仕事ってわけでもない。

 

辛い事もある。だが、頑張ればこの先も続けられるだろうと思える。

 

そう、先が見えるのだ。

 

そのうち死ぬのにこんな過ごし方でいいのだろうか。

 

人間なんて大したことはできないし平凡な人がほとんど、安定をとって余暇を楽しめばいいじゃん、というのもわかる。

 

ここでチャレンジして経済的に困るようなことになれば後悔するだろう。

 

ギリギリだ。

 

子供を育てるだけでギリギリの生活だ。

 

たぶん老後の資金はない。つまり一生働く覚悟ではある。

 

だが、

 

チャレンジしてもいいのではないかとも思う。

 

失敗したところで、手に職はあるのだから、最悪は復活できると思っている。

 

それより、この、保守的な、安定的な、道、もう見えてしまったこの先の道を進む人生、それでいいのだろうか。

 

答えは、、わからない。

 

月並みになるが、現実的には今の仕事をしつつ余暇でチャレンジ、なんだろうな。

 

写真を見て絵を描く。

ここは口だ、と線をひくが、こんな人間はおらんやろという口が出来てしまう。

 

バランスの問題か。

いや、見たままを描こうとしているからではないか。

 

たとえば顎の骨がこうで、人の唇というのはこういう形をしているから、

写真ではよく見えないけどこうなっているはずで、

だからこう描こう。

だがあえて全部線は引かなくてもいいかな、こんな感じに描こう。

 

と描くと、線はわずかしか描かなくても、線をひいていない部分の絵も見えてくる。

 

脳内で補正される。

 

それはその線がバッチシな場所にひかれていて、

そこにいる人物は確実にいて、その一部を線に表現しているからで、描いてなくても存在が自然と見えちゃう。

 

そんな絵を描きたい。

 

好きなイラストレーターさんの絵はそんな感じなのだ。

 

絵を見ると、いいなぁ、素敵だなぁ、ときれいな景色をみたような気分になる。

 

自分の絵は、空想上の道端の土のよう。

 

いや、自信をもて!

 

好きなイラストレーターさんがいます。

 

この人みたいな絵を描きたい。

 

ただそう願い、模写をした。

 

しかし描いているうちにだんだんイライラしてくる。

 

もとの絵はかわいい女の子なのだが、

 

似ても似つかない、

 

私が描いている女の子は、う~んどうだろ、なんだかムカつく顔をしている。

 

こいつは生意気に違いない。

 

学生のころ、こんな雰囲気の委員長がいた。

 

なんでも杓子定規。融通がきかない。

 

だけど身内には甘い。

 

そんな記憶もあってか目の前の絵の女の子に対しだんだんと腹が立ってきて、ついに描くのをやめた。

 

もしかしたら、

生意気な女の子というジャンルで画家を目指せるかもしれない。