はいはーい♪(*´∇`*)

久しぶりの名曲コーナーです!

さて、雨の休日は「OFFの日」なので、今日は二次色文化愛好会(仮)の皆様から延滞しているアニメーションを網羅していました・・・そしたらいつの間にか寝落ちしてしまって、昔の夢を見たんです。

あれは私が小学生の夏休み、クラスみんなでアニメーション映画を観に行った。
と言っても、確か公民館へ。

その映画はとてもキレイな歌で始まるんだけど・・・私の記憶によると、内容は悲しい話。確か海賊船に子供がさらわれて、しかも船は敵の攻撃で撃沈してしまう。

そんな感じ。

夢の中ではキレイな主題歌がハッキリ流れていたのに・・・

うーん、思い出せるのは船が沈没する最中、子供達が手を繋ぎあって「どこまでも一緒だよ」と海に飛び込むシーンだけ。


なんだかなぁ・・・イイ歌だったんだよなぁ。


なんか気になって、普段あんまりヤらないけどネットをサーフィンしてみた。

すると、間違いない作品を見つけました!



「対馬丸  さよなら沖縄」1982年  ↓



・・・ぜんぜん海賊船じゃないじゃなイカ!

しかも太平洋戦争ものだ!


なんとYouTubeで見る事が出来た。

間違いない。

キレイな歌で始まって、やがて最悪になる。



サイパンが陥落して、次は沖縄が決戦場となる!
沖縄は激しい戦場となる事を想定して、昭和19年7月から本土や台湾へ学童疎開を開始する。
そして昭和19年8月21日、大型輸送船「対馬丸」は787人の児童、そして老人、女性など、合計1500名を乗せて出航する。
明くる22日午後10時・・・「左舷前方から雷跡!」アメリカの潜水艦による魚雷攻撃を受け、沈没してしまう。787人の児童のうち、なんと9割以上の728人が死亡した。

そう、これ実話なんです。

この米潜水艦、対馬丸が避難船団と分かっているのに攻撃を加えたという、戦後「真珠湾の復讐だ」などとのたまうたと言う。

おい!
真珠湾は軍港だろ!対馬丸は軍艦ですらないんだぞ!

マジで殺すぞコラ!



・・・当時小学生だった私の記憶にあったシーンは、対馬丸が沈没する最中、仲良し3人組の内、死んでしまった1人の遺体を追いかけて、残った2人が海に飛び込むシーンでした。

「俺たちはどこまでも一緒だ!」

うっ、ううう。


沖縄からは約10万人が疎開したと言われている。そして公式な疎開船で撃沈されたのは対馬丸だけらしい。なんと言う不幸。

映画のエンディングには、亡くなった728人もの生徒の名前が永遠とテロップしてゆく。


主題歌「空を自由に」KEI

あの空を飛んでみたい
大きく羽根をひろげ
僕らまだ見たことないけど
何かありそうな明日
思いきり走ってみた
渚の続くかぎり
いつか水平線のむこう
飛び出す夢を胸に
そうさ僕らに
出来ないことはないんだ
いいさ明日があるかぎり
光をこえて飛ぶ


「ヤマト(本土)に行けば、桜も雪も見れるんだ!」
明日の希望を信じて本土疎開にむかった児童の気持ちに涙が出てきます。

ちなみにエンディングの悲しい歌も KEI「海の記憶」



こうした犠牲を知る度にいつも思い出す松本零士先生の「音速雷撃隊」劇中の言葉↓
「この戦争で死んだ世界中の若い連中が、あと30年生きてたら色んな事をやったんだろうな…」


やはり戦争は2度と起こしてはならない!

そのためにも、声なき声に耳を傾ける。

重要なのは物質ではない、積み重ねてきた文化の力が破壊されてしまえば、物質的な復興ではまかなえない尊い叡知を失う事となり、その精神文化は物質の何倍も後退する事になるだろう。

そうならない為にも、あの戦争を軽んじないで、この対馬丸事件も含み、これからを生きてゆく子供たちに、正しく語り次いでゆく事が必要だと思います。