ゲーテ(1749―1832) は、ドイツの詩人、小説家、劇作家で、詩、小説、戯曲などに数々の名作を生んだ。
政治家としても活躍して、かたわら自然科学、色彩論の研究にも成果を挙げた。
ゲーテは学生時代から、自然科学の研究に興味を持ち続けて、文学活動や公務の傍らで、人体解剖学、植物学、地質学、光学などの著作や研究を残している。
20代のころから、骨相学の研究者ヨハン・カスパー・ラヴァーターと親交のあったゲーテは、骨学に造詣が深く、1784年にはそれまでヒトにはないと考えられていた前顎骨が、ヒトでも胎児の時にあることを発見して、比較解剖学に貢献している。
自然科学について、ゲーテの思想を特徴付けているのは、原型という概念である。ゲーテはまず骨学において、すべての骨格器官の基になっている「元器官」という概念を考え出して、脊椎がこれにあたると考えていた。
1790年に著した「植物変態論」では、この考えを植物に応用して、すべての植物は唯一つの「原植物」から発展したものと考えた。
また、植物の花を構成する花弁や雄しべ等の各器官は、様々な形に変化した「葉」が集合してできた結果であるとした。
このような考えから、ゲーテはリンネの分類学を批判して、「形態学」と名づけた新しい学問を提唱したが、これは進化論の先駆けであるとも言われている。
またゲーテは、20代半ばのころ、ワイマール公国の顧問官としてイルメナウ鉱山を視察したことから、鉱山学や地質学を学び、イタリア滞在中を含めて、生涯にわたって各地の石を蒐集していて、そのコレクションは、1万9000点にも及んでいる。
なお針鉄鉱の英名「ゲータイト」は、ゲーテの名にちなむものであって、ゲーテと親交のあった鉱物学者によって1806年に名づけられた。
晩年のゲーテは、光学の研究に力を注いだ。1810年に発表された『色彩論』は、20年をかけた大著である。
この書物でゲーテは、青と黄をもっとも根源的な色として、また色彩は光と闇との相互作用によって生まれるものと考えて、ニュートンのスペクトル分析を批判した。
ゲーテの色彩論は、発表当時から科学者の間でほとんど省みられることがなかったが、ヘーゲルやシェリングはゲーテの説に賛同している。
ゲーテ(1749―1832) は、ドイツの詩人、小説家、劇作家で、詩、小説、戯曲などに数々の名作を生んだ。
政治家としても活躍して、かたわら自然科学、色彩論の研究にも成果を挙げた。
人間の生き方について彼は語っている。
「大切なことは、大志を抱き、それを成し遂げる技能と忍耐を持つことである。その他はいずれも重要ではない」