人間の生き方 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

 オードリー・ヘプバーン(1929年1993年)は、イギリス人女優。ヘップバーンとも表記される。ハリウッド黄金時代に活躍した女優で、映画界ならびにファッション界のアイコンとして知られる。アイコン とは、物事を簡単な絵柄で記号化して表現するものである。

 

 アメリカン・フィルム・インスティチュート (AFI) の、「最も偉大な女優50選」では第3位にランクインして、インターナショナル・ベスト・ドレッサーに殿堂入りしている。

 

 ヘプバーンは、ブリュッセルイクセルで生まれて、幼少期をベルギーや、イングランドで過ごした。

 オランダにも居住した経験があって、第二次世界大戦中には、ドイツ軍が占領していたオランダアーネムに住んでいたこともあった。

 

 古い資料の一部に、本名を「エッダ・ファン・ヘームストラ」とするものがある。これは、戦時中にドイツ軍占領下にあったオランダで、「オードリー」の名があまりにイギリス風であることを心配した母のエラが、自らの証明書の1つに手を加えて(EllaをEddaとした)持たせた偽名である。

 

 5歳ごろからバレエを初めて、アムステルダムではソニア・ガスケルのもとでバレエを習い、1948年にはマリー・ランバートにバレエを学ぶためにロンドンへと渡って、ウエスト・エンドで舞台に立った経験がある。

 

 イギリスで数本の映画に出演した後に、1951年のブロードウェイ舞台作品『ジジ』で主役を演じて、1953年には『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を獲得した。

 

 その後も『麗しのサブリナ』(1954年)、『尼僧物語』(1959年)、『ティファニーで朝食を』(1961年)、『シャレード』(1963年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)、『暗くなるまで待って』(1967年)などの人気作、話題作に出演している。

 

 女優としてのヘプバーンは、映画作品ではアカデミー賞のほかに、ゴールデングローブ賞英国アカデミー賞を受賞して、舞台作品では1954年のブロードウェイ舞台作品であるオンディーヌトニー賞 演劇主演女優賞を受賞している。

 

 ヘプバーンは死後にグラミー賞エミー賞も受賞しており、アカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞の受賞経験を持つ数少ない人物の一人となっている。

 

 1970年代以降のヘプバーンは、たまに映画に出演するだけで、後半生の多くの時間を、国際連合児童基金(ユニセフ)の仕事に捧げた。

 

 ユニセフ親善大使として1988年から1992年にはアフリカ、南米、アジアの恵まれない人々への援助活動に献身している。

 

 1992年の終わりに、アメリカ合衆国で文民の最高勲章である大統領自由勲章を授与されたが、受勲一か月後の1993年に、ヘプバーンはスイスの自宅で虫垂癌のために63歳で死去した。

 

 オードリー・ヘプバーン(1929年― 1993年)はイギリス人女優。ハリウッド黄金時代に活躍した女優で、映画界ならびにファッション界のアイコンとして知られる。

 

 人間の生き方について彼女は語っている。

「控え目であるためには、その前になにかに立ち向かうことが必要です」

 さらに彼女はこういう。

「いばる男の人って、要するにまだ一流でないってことなのよ」