斎藤 茂太(さいとう しげた、1916年―2006年)は、日本の精神科医・随筆家で、愛称はモタさんである。
彼は、1916年(大正5年)に、歌人で精神科医の斎藤茂吉の長男として、東京市(当時)に生まれる。
青南小学校、東京府立第八中学校(現在の東京都立小山台高等学校)を経て、1935年、松山高等学校 (旧制)を受験して失敗する。
明治大学文芸科を経て、1942年(昭和17年)9月に昭和医学専門学校(現在の昭和大学)を卒業し、慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程にて、医学博士号を取得する。
1944年(昭和19年)に、大日本帝国陸軍の精神科病院である国府台陸軍病院に招集されて、後に大日本帝国陸軍軍医大尉となる。
1942年(昭和17年)12月に、医師として斎藤病院に就任する。1973年(昭和48年)に、日本旅行作家協会を創立して、初代会長を務めた。
1980年(昭和55年)4月に、日本精神病院協会(現在の日本精神科病院協会)名誉会長に就任する。日本ペンクラブ理事、アルコール健康医学協会会長を務める傍らで、作家としても活躍して、多数の著書を出版した。
最晩年の、米寿を越えた頃から足を悪くして、講演や旅行は減ったが、作家活動に時間を費やすようになり、それまで以上に多数の著書を世に出した。
2006年(平成18年)11月20日に心不全で死去した。90歳だった。生涯現役を続けて、死去時にも多くの仕事を抱えていたという。青山霊園に墓がある。
彼は、父親の茂吉と同様に、中学生になっても寝小便をすることがあった。少年時代から、アドルフ・ヒトラーの物まねが得意で、慶應義塾大学医学部の新年会での名物に、茂太がヒトラーに扮してドイツ語風の演説をやっていたという逸話がある。
弟の北杜夫は、作家である。兄にいつまでヒトラーの真似演説をしていたのかと尋ねると、「今でもやってるよ」と返されたと自著で記している。
人間の生き方について彼は語っている。
「お金は金に寄ってくるが、夢にはもっと寄ってくる」