人間の生き方 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

 イチロー(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう・1973年―)は、愛知県西春日井郡豊山町出身の元プロ野球選手外野手)で、右投左打である。現在はMLBシアトル・マリナーズで、会長付特別補佐兼インストラクターを務める。

 

 日本プロ野球と、メジャーリーグベースボールで、通算28シーズンをプレーして、MLBシーズン最多安打記録保持者(262安打)である。

 

 プロ野球における通算安打世界記録保持者で、一軍出場試合のみの記録(NPB / MLB通算4367安打でギネス世界記録に認定)、最多試合出場世界記録保持者(NPB / MLB通算3604試合出場)である。

 

 様々な記録を打ち立て、NPBで最多タイ記録となる首位打者を7回獲得して、パ・リーグ最多記録となる最多安打を5回獲得している。

 MLBでは、史上唯一の10年連続で200安打以上を達成して、アジア人で史上唯一の首位打者盗塁王のタイトルを獲得した。

 

 アジア人史上初のシーズンMVP(アジア人のシーズンMVP受賞は2001年のイチローと2021年・2023年の大谷翔平のみ)やシルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞(10年連続)も受賞している。

 

 またアジア人史上3人目(日本人史上3人目、アジア人打者史上初)の新人王も受賞した。MLB1年目の2001年シーズンは、MVP,新人王,首位打者,盗塁王,シルバースラッガー賞,ゴールドグラブ賞のタイトルを同時に獲得している。

 

 また、このシーズンの242安打はMLB新人最多安打記録、打率.350もアメリカンリーグの新人最高打率記録である。

 

 NPBでは首位打者7回、打点王1回、盗塁王1回、最高出塁率5回、最多安打5回などを獲得して、2000年オフに日本人初の野手としてMLBに移籍。

 MLBでは首位打者2回、盗塁王1回を獲得した。2004年にはMLBのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新し、コミッショナー特別表彰を受けた。

 

 2016年にはMLB通算で3000安打、500盗塁、さらにNPB/MLB通算でのプロ野球における通算最多安打数(ギネス世界記録)を樹立するなど活躍した。

 メジャーリーグにおいて、日本人野手としてのパイオニア的な存在である。

 

 彼は、愛知県西春日井郡豊山町出身。で、973年10月22日鈴木宣之の次男として誕生した。生後間もなく、名古屋市守山区から西春日井郡豊山町へ転居する。

 

 2人兄弟の次男だったが、祖父「銀一」から「一」の文字を取り「一朗」と命名された。イチローと兄に限らず、祖父「銀一」の全ての孫の名には漢字「一」が付けられている。

 

 豊山町立豊山小学校出身で、豊山小時代は地元の少年野球チーム・豊山町スポーツ少年団に所属する。エース4番として活躍して、6年生の時には全国大会に出場した。

 

 小学3年生の頃から、学校から帰宅後に近くの公園で父親と野球の練習をした。しばらくすると、飛距離が伸びて、場外本塁打を連発するようになったために、町内にある空港バッティングセンターに週6日から週7日通っていた。

 

 3年生の時には、速度100km/hの球を打っていたという。バッティングセンターに通いつめるあまり、一般用の球速では満足できなくなり、イチロー用のスプリングを発注して、来た時に交換していた。

 父親からは、料金は気にせずに、ボール球には手出しをしないよう指示されて、選球眼を磨いた。

 

 豊山町立豊山中学校では、小学生時代のチームメイトと共に野球部に所属する。エースで中軸(主に3番)を打ち、中学3年の時に全日本少年軟式野球大会に出場して、3位入賞を果たす。

 甲子園に出場して、プロに入るために野球名門校である名古屋市の愛工大名電高校に進学する。

 

 イチロー(鈴木 一朗・1973年―)は、愛知県西春日井郡豊山町出身の元プロ野球選手で、現在はMLBシアトル・マリナーズで、会長付特別補佐兼インストラクターを務める。

 

 人間の生き方について彼は語っている。

「夢を掴むことというのは一気には出来ません。小さなことを積み重ねることでいつの日か信じられないような力を出せるようになっていきます」