岡本太郎(1911―1996)は、日本の芸術家である。
1970年に、高度経済成長に湧く日本で、万博が開かれた。「先進国クラブ」への入会がかかった、一世一代の国家プロジェクトである。
そのテーマの展示のプロデューサーに選ばれたのが、岡本太郎だった。彼は、高さ70mの巨大なモニュメント、「太陽の塔」を会場の中央に突き立てる。
その強烈かつ異様な光景は、日本人の脳裏に強烈に刷り込まれて、日本の芸術作品のなかで、最大で最強のシンボルになった。
同時代を生きた日本人で、岡本太郎と太陽の塔を知らぬ者はいない。大阪万博は、6400万人の入場者を集めた。これは万博史上の最高記録で、いまも破られていない。
万博は、19世紀半ばに誕生して以来、近代主義を体現するものとして、「技術と産業の進歩が人類を幸せにする」をメッセージしてきた。
だが太陽の塔は、それを真っ向から否定している。太古の昔からそこに立っていたような土俗的な造形は、「近未来都市」の風景を、ひとりでぶち壊すものだ。
岡本太郎は、万博を支える安直な進歩主義に、ひとり「Non!」をつきつけた。前衛が国家に加担するのか、と批判された彼は、こう言って笑った。
「反博?なに言ってんだい。いちばんの反博は太陽の塔だよ」。太陽の塔は、万博史に残るただひとつの異物だ。
1929年に、画家の岡本太郎は、18歳でパリに渡った。フランス社会で自立したいと考えて、私学の寄宿生となってフランス語を磨き、西洋の教養を身につけていく。
やがてモンパルナスにアトリエを構えて、1940年にパリを離れるまで10年以上にわたって、1930年代のパリで唯一無二の経験を重ねた。
人間の生き方について彼は語っている。
「壁は自分自身だ」