岡本太郎は1911年に、神奈川県で生まれた。父はマンガ家の岡本一平で、母は歌人で小説家の岡本かの子である。
東京美術学校(現・東京藝術大学)退学後に、両親とともにフランスへ渡った。。両親の帰国後も彼はパリに残って、1931年にパリ大学に進学した。
ここで、哲学や心理学、民俗学などを学びながら、パリの美術動向を知る。なかでもピカソの作品に強く惹かれた。
力強い輪郭線と原色を多用した作品を発表して、画集『OKAMOTO』(G.L.M.、1937)の出版ほかに、パリの芸術運動に参加するなど活発に活動する。
しかし第二次世界大戦の影響を受けて、1940年に帰国して、中国への出征を経て、1947年に二科会の会員となって、画家としての活動を本格的に再開した。
主題から技法に至るあらゆるものを、対極的にとらえる「対極主義」を提唱した。翌年に、花田清輝(作家)と出会い、前衛芸術運動「夜の会」を結成する。
多くの作品を制作しながら、1954年に著作『今日の芸術』(光文社)を出版するなど、文筆家としても活動して、強い影響を受けた縄文土器や沖縄文化などについて執筆した。
国の内外で活動するなかで、1970年に大阪で開催された万博のテーマ・プロデューサーとなって、《太陽の塔》を発表した。
1989年に、フランス政府から芸術文化勲章受章した。
人間の生き方について彼は語っている。
「気まぐれでも、何でもかまわない。ふと惹かれるものがあったら、計画性を考えないで、パッと、何でもいいから、そのときやりたいことに手を出してみるといい。不思議なもので、自分が求めているときには、それにこたえてくれるものが自然にわかるものだ」