フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844年―1900年)は、ドイツ・プロイセン王国出身の思想家で、古典文献学者である。ニイチェ、と表記する場合も多い。
現代では、実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者のフリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルに才能を見出されて、スイスのバーゼル大学古典文献学教授となって、それ以降は、プロイセン国籍を離脱して、無国籍者であった。
実存主義(じつぞんしゅぎ)とは、人民の実存を哲学の中心におく思想的な立場で、あるいは本質存在に対する現実存在の優位を説く思想的な立場である。存在主義ともいう。またその哲学を、実存哲学という。
辞職した後のニーチェは、在野の哲学者として一生を過ごした。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。
アフォリズムとは、人生や社会などの真髄を、簡潔に言い表した言葉である。日本で言う「格言」のことで、金言、警句、箴言も含まれる。
偉人、宗教者、聖人などが残した言葉を指す場合が多く、庶民生活から生まれた「ことわざ」とは異なる。
具体例として、
「多くのことを中途半端に知るよりは何も知らないほうがいい」(ニーチェ)
「悲しんでいる人々は幸いである」(イエス・キリスト)
「花を与えるのは自然。編んで花輪にするのは芸術」(ゲーテ)などがある。
ニーチェの非常に大きな特色として、「仮面を愛する」というのが語られる。著書の『善悪の彼岸』のなかで、「すべての深い精神は仮面を必要とする」と彼は言っている。
仮面という形で、さまざまな人格について語るのであるが、それは人格の「多面性」を意味するのと同時に、心理や知識の「多面性」、そして、「パースペクティブ(遠近法)」という形で説明される。
ニーチェは、その考え方だけでなく、彼自身も多面的だし、さらにいえば、彼の知識論そのものも、多面性ということを強調している。
ニーチェの考え方や思想は、単純にニーチェ自身が変わった人物というか、人間として非常に面白かったというだけではなく、その「多面性」という部分が、現代の人たちと共通するひとつの大きなイメージになるのかもしれない。
「仮面」を強く主張して、知識そのものの多面性を強調する。その意味で、ニーチェは多面性の哲学者であって、その影響を受けた哲学者も少なくない。
ニーチェの場合は、本当の人格と偽物の人格という発想がない。すべてが仮面であって、虚像であると言うのである。
逆に言えば、自分自身のありのままをさらけ出す、という発想がないわけである。だからこそ、「仮面を愛する」と言われるのである。
だが、人は、その場その場で、仮面を変えているのにすぎない、というのはニーチェの主張である。
キャラ変などというのも、ニーチェにとっては当然のことで、「本当の自分」という発想は、まさにプラトン主義(プラトンによる哲学、およびプラトンの哲学に強く影響を受けた哲学体系の総称)でしかないのである。
ニーチェに言わせれば、「そんなものはどこにあるの?」といった感じで、「本当の」ということを彼は最も嫌うのである。
キャラ変とは、周囲の人物に対して、認識されている自分の性格や傾向を、変えて見せることである。
生真面目で陰気なイメージで知られた人物が、突然ギャグを言って、陽気なキャラクターを演じるようになるなどが極端な例と言える。
ニーチェ(1844―1900)は、ドイツの哲学者である。ギリシャ古典学で、東洋思想に深い関心を示して、近代文明の批判と克服を図り、キリスト教の神の死を宣言した。生の哲学、実存主義の先駆とされる。
人間の生き方について彼は語っている。
「過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える」