オスカー・モルゲンシュテルン( 1902年― 1977年)は、ドイツ生まれで、オーストリアで学び、アメリカで活躍した経済学者である。
ジョン・フォン・ノイマンと共に、ゲーム理論を経済学の世界へと持ち込み、現在のミクロ経済学の基礎をつくりあげた。日本におけるゲーム理論の父である鈴木光男の師である。
彼はゲルリッツで生まれた。ゲルリッツは、旧オーバーラウジッツ地方で、現ザクセン州のナイセ川流域にあるドイツの都市である。現在はドレスデン都市圏に属する。
彼はウィーンの高等学校・大学へ通い、1925年に博士号を取得した。3年間、ロックフェラー財団の奨学金でヨーロッパとアメリカ各地を遊学して後に、1929年にウィーン大学講師となって、1935年に同大学教授となる。
この間の1931年から1938年まで、オーストリア景気循環研究所長を務めたのを始めとして、『国民経済雑誌』編集者・オーストリア国立銀行顧問を歴任して、ウィーン学団のメンバーとして哲学者や数学者とも交流した。
1938年に、休暇でアメリカ滞在中に、ナチスによるオーストリア併合があって、その結果、ウィーン大学を解雇された。
同年にプリンストン大学教授となって、この頃に、プリンストン高等研究所で、初めてフォン・ノイマンと邂逅した。
ノイマンと共にゲーム理論の経済学への応用に取り組んだ成果は、1944年に出版した共著、『ゲームの理論と経済行動』に結実した。
1970年にプリンストン大学を退職すると、ニューヨーク大学に招かれて経済学教授に、1977年に死去するまで同大学で教鞭を取った。
オスカー・モルゲンシュテルン(1902年―1977年)はドイツ生まれで、オーストリアで学び、アメリカで活躍した経済学者で、ゲーム理論を経済学の世界へと持ち込み、ミクロ経済学の基礎をつくりあげた。日本のゲーム理論の鈴木光男の師である。
人間の生き方について彼は語っている。
「自然は色彩の移行段階を知るだけで、色彩そのものは知らない」