シラー(1759―1805)は、ドイツの劇作家で、詩人である。軍医の子として生れて,君主の命によつて、軍人学校で法律や医学を学んだ。
だが,「シュトゥルム・ウント・ドラング」の吹荒れるなかで、戯曲、『群盗』(1781) を執筆して、マンハイムでの初演 (1782) の成功を機に,劇作家としてはなばなしい出発をとげた。
シュトゥルム・ウント・ドラングとは、18世紀後半にドイツで見られた革新的な文学運動である。
この名称は、ドイツの劇作家であるフリードリヒ・マクシミリアン・クリンガーが、1776年に書いた同名の戯曲に由来している。
時期は、1767年から1785年までとする見方がもっぱらであるが、1769年から1786年、もしくは1765年から1795年とする見方もされる。
古典主義や啓蒙主義に異議を唱えて、「理性に対する感情の優越」を主張して、後のロマン主義へとつながっていった。
代表的な作品として、ゲーテの史劇『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』(1773年)や小説『若きウェルテルの悩み』(1774年)、シラーの戯曲『群盗』(1781年)や悲劇『たくらみと恋』(1784年)などがある。
その以後のシラーは、各地を転々としつつ戯曲,思想詩,歴史評論などを次々に発表して文名を高めた。 1789年からイェナ大学で歴史を講じて,1799年末からはワイマールに居住した。1794年から没年まで続いたゲーテとの交友は、ドイツ古典主義となって結実した。
シラーはゲーテとは対照的な資質をもっていて、人類の理想への情熱に燃えて短い生涯を激しく生抜いた。
おもな戯曲に『たくらみと恋』 (1784) ,『ドン・カルロス』(1787) ,3部作『ワレンシュタイン』(1798―1799) ,『マリア・スチュアルト』(1800) ,『オルレアンの乙女』(1801) ,『ウィルヘルム・テル』(1804) などがある。
シラー(1759―1805)はドイツの劇作家,詩人で、各地を転々として戯曲,思想詩,歴史評論などを発表した。
ゲーテとの交友は、ドイツ古典主義となって結実した。彼は人類の理想への情熱に燃えて、短い生涯を激しく生き抜いた。
人間の生き方についてシラーは語っている。
「自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である」