人間の着方 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

 ウィリアム・ワーズワース (1770-1850) はイギリス・ロマンティシズムを代表する詩人である。サミュエル・コールリッジと共作で、1798年に発表した詩集「リリカル・バラッズ」は、ロマン主義運動の先鞭を果たした。

 ワーズワース自身が詩とは何かを定義して、「人間の心情の自然な発露」と書いているように、彼を中心とするロマンティシズムの詩人たちの特徴は、人間の内部の感情をありのままの形で、飾らずに表現することにあった。

 

 アレクサンダー・ポープに代表される従来の詩が、様式的で修辞を重んじたのに対して、ロマン主義の詩人たちは、人間の心情をのびのびと歌った。

 

 ワーズワース以下、バイロン、シェリー、キーツなど、イギリスの文学史上の重要な詩人の多くが、この運動のなかから輩出している。

 ワーズワースはまた、イギリスが生んだ偉大な自然詩人である。自然を唯一の友として歌い続けたものは、彼のほかにはいないといえるほどだ。

彼にとっては、人間もまた自然の一部であって、自然のざわめきや人間の感情が一体となって、独特の詩的世界を作り上げた。

 

 ワーズワースは風光明媚な、湖沼地帯として知られるイングランド北西レーク・ディストリクトの町コッカーマスに、弁護士の子として生まれた。

 8歳のとき母親に、13歳のとき父親に死に別れたので、5人の兄弟たちは離れ離れに育てられた。この少年時代の辛い体験は、彼の性格に影を落としたと思われ、後年にしばしば陥った「うつ」の状態は、そのせいではないかともされる。

 ケンブリッジ大学に進んだワーズワースは、革命下のフランスを訪れ、共和派の思想に共鳴した。1792年に大学を卒業すると再びフランスを訪ね、そこでアンナ・ヴァロンという女性と恋に陥るが、英仏の関係悪化などが障害となって、結婚できないままイギリスに戻らざるを得なかった。

 

 そのうちにフランス革命は変質して、恐怖政治が幅を利かすようになるので、ワーズワースの革命熱はすっかり冷えてしまったようである。そんなことが引き金になったのか、20台半ばのワーズワースは、重い「うつ」状態にしばしば陥った。

 

 1795年に友人レスリー・カルバートの遺産を、年金の形で相続することとなって、ワーズワースは経済的な安定を得ることが出来た。それ以後、彼は生涯職につくことなく、詩作に専念できたのである。

 その頃ワーズワースはコールリッジと深い交友関係を持つようになり、互いに影響しあった。その結果が1798年に発表された共同作品「リリカル・バラッズ」である。

 この書物は初版の際には作者の名を記していなかったが、たちまち大きな反響を呼んだ。ワーズワースとコールリッジは長らく「リリカル・バラッズ」の作者として、広く世に迎えられるようになったのである。

 「リリカル・バラッズ」を出版した年の秋、ワーズワースはコールリッジおよび妹のドロシーとともにドイツに旅した。

 翌年にかけての厳しいドイツでの生活の中で、ワーズワースはホームシックにかかりながらも、大作「プレリュード」の制作に取り組んだ。

 

 これは自伝的な要素の強い詩で、彼の更に大きな構想であった「レクリューズ」の一部として書いたものだが、生前に発表することはなかった。

 

 1802年にはドロシーとともにフランスを訪ね、残してきた愛人アンナ・ヴァロンと二人の間に生まれた娘とあった。そして帰国後、ワーズワースは幼馴染だったメアリー・ハチンソンと結婚し、レーク・ディストリクトの町グラスミアで暮らす。ドロシーも生活をともにした。

 1807年には、上下二巻からなる詩集を発表し、自然詩人としての名声をますます強いものにする。

 だがワーズワースの詩人としての感性は、30台の半ば頃には枯渇してしまったようだ。晩年の彼は、「逍遥詩篇」などの大作に取り組むが、それらは初期の短い詩と比較して、優れたものとは言い得ない。ワーズワースの本領は、あくまでもみずみずしい抒情詩にあった。

 コールリッジがアヘンに耽るようになったため、一時期彼との交友関係が絶え、変って、同じくレーク・ディストリクトに住んでいたロバート・サウジーと親交を結ぶようになった。

 最晩年にいたって、ワーズワースとコールリッジは、かつての友情を復活させた。彼ら三人は人々によって、「湖沼の詩人たち」と呼ばれ、イギリス・ロマンティシズムを象徴する存在となった。

 ワーズワースはサウジーに続いて英国の「桂冠詩人」の名誉を受け、80年の長い生涯を終えた。

 

 ウィリアム・ワーズワス(1770年1850年)はイギリスの代表的なロマン派詩人で、湖水地方をこよなく愛して、純朴であると共に情熱を秘めた、自然讃美の詩を書いた。英国ロマン主義六大詩人の中では最も長命であった。

 

 人間の生き方について彼は語っている。

「われら、この地上にありて生きる限り、歓びより歓びへと導くは自然の恩恵なり」