レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(1828年―1910年)は、ロシアの小説家で、代表作は、『アンナ・カレーニナ』『戦争と平和』『人生読本』などがある。平和主義者としても知られ、ロシアの文学と政治に大きな影響を与えた。
トルストイは1828年9月9日に、モスクワ郊外のヤースナヤ・ポリャーナで伯爵家の4男に生まれる(当時ロシアではユリウス暦が採用されていたため、当時の暦のまま8月28日生まれとされることもある)。
大地主の息子として育ったトルストイは、クリミア戦争に将校として従軍して、戦地での体験が、平和主義を展開する背景となった。また後年の、作品での戦争描写の土台となる。
1863年の『コサック』で、ロシア貴族とコサックの娘の恋愛を描きながら、コサックの生活を描写した。
1867年に『アンナ・カレーニナ』で、社会慣習の罠に陥った女性と、哲学を好む富裕な地主の話を並行して描くが、地主の描写には、農奴とともに農場で働き、その生活の改善を図ったトルストイ自体の体験を反映している。
1884年に、『イワン・イリイチの死』で、死を前にした自身の恐怖を描き出している。
1910年に、家出をして、鉄道旅行中に悪寒を感じて、アスターポボ駅で下車した。1週間後の11月20日に、肺炎により死去した。
【トルストイの残した名言】
★ああ、金、金。この金のためにどれほど多くの悲しいことがこの世に起こることであろうか。
★あなたは自分を「どんなことができるか」で判断します。しかし、他人はあなたを「実際に何をした人か」で判断するのです。
★いかなる場合であっても、礼儀は足らないよりも過ぎたほうが良い。
★この世で成功を収めるのは、卑劣で汚らわしい人間ばかりである(『戦争と平和』より)。
★すべての人は、それぞれ何をもっているかではなく、他の人々に愛をもっているかによって生きる。
★たった1つだけ、重要な時候というものがある。それは現在だ。現在は時間のうちでもっとも重要だ。というのも、現在は我々が時間に力を及ぼすことのできる唯一の機会だからである。
★どんなに仲のよい美しい打ちとけた関係であっても、相手の気に入ることを言ったり賞賛をしたりすることは必ずなくてはならないものである(『戦争と平和』より)。
★ひとつの、明確な、疑い得ない神の宣言がある。これが啓示を通じて世界に知られる諸権利の法なのだ(『アンナ・カレーニナ』第8部より)。
★もし善が原因をもっていたとしたら、それはもう善ではない。もしそれが結果を持てば、やはり善とは言えない。だから、善は因果の連鎖の枠外にあるのだ(『アンナ・カレーニナ』より)。
★もっとも単純でもっとも短い倫理上の教訓は、他人から奉仕されるのは可能な限り最小限にし、可能な限り最大限他人に仕えろということだ。
★もっとも野蛮な迷信の1つは、人間が信仰なしで生き得るものだとの独断に対する現代の、いわゆる学者の大多数の持つ迷信である(『読書の輪』より)。
★愛は人生に没我を教える。それ故に愛は人間を苦しみから救う。
★愛は生命だ。私が理解するものすべてを、私はそれを愛するがゆえに理解する。
★愛は惜しみなく与う。
★家庭愛は自愛と同じである。罪悪行為の原因とはなるが、それの弁解にはならない(『読書の輪』より)。
★過失は人々を結合させる力である。真実は真実の行為によってのみ人々に伝えられる(『わが宗教』より)。
★我々が知りうる唯一のことは、我々は何も知らないということである。そしてこれが人間の知恵が飛翔しうる最高の高みなのだ。
★我々のこの生活においては、もし人が何の虚飾ももっていなかったら、生きるのに十分な理由は存在しない。
★我々をいちばん強くつかむ欲望は、淫欲のそれである。その方面の欲望は、これで足れりということがない。満足させればさせるほどいよいよ増長するものである(『読書の輪』より)。
★喜べ!喜べ!人生の事業、人生の使命は喜びだ。空に向かって、太陽に向かって、星に向かって、草に向かって、樹木に向かって、動物に向かって、人間に向かって喜ぶがよい。
★逆境が人格を作る。
★急いで結婚をする必要はない。結婚は果物と違い、いくら遅くても季節はずれになることはない。
★金銭は新しい形の奴隷制度である。それは個人間のものではない、つまり奴隷に対して何ら人間的な関係をもっていない非人格的な点で、古い単純な奴隷制度と区別される(『われわれは何をなすべきか』より)。
★愚かな人間は沈黙しているのが最もよい。だが、もしその事を知ったならば、その人はもう愚かな人間ではない(『断片』より)。
★芸術とは技芸ではなく、人が己に起こった最高のまた最善の感情を他者に伝えることを目的とする人間の活動である(『芸術とは何か』より)。
★謙虚な人は誰からも好かれる。それなのにどうして誰も謙虚な人になろうとしないのだろうか。
★言うべきときのほかは言うな。書かざるを得ないときのほかは書くな。君は作家である。書かざるを得ないときのほかは、決して書いてはいけない。
★古人は我々に、英雄叙事詩の模範を残した。そのうちで、英雄が歴史の興味の全部をなしている。だから、我々はかかる種類の歴史は、この人間時代でなんらの意味も持たないという考えに慣れることができない(『戦争と平和』より)。
★幸福な家庭の顔はお互い似通っているが、不幸な家庭の顔はどれもこれも違っている(『アンナ・カレーニナ』冒頭より)。
★最上の幸福は、1年の終りにおいて年頭における自己よりもよくなったと感ずることである。
★作家がわれわれにその魂の内奥の働きを開かす程度に従ってのみ、作家はわれわれにとって愛すべきものとなり、また必要なものとなる。
★子羊を食らう前に泣く狼と、泣かない狼では、どちらがより酷いだろうか。
★死の恐怖は、解決されない生の矛盾の意識にすぎない。
★私は真実を愛する。とても、真実を愛している。
★私達は踏みなれた生活の軌道から放りだされると、もうだめだと思います。が、実際はそこにようやく新しい良いものが始るのです。生命のある間は幸福があります。
★慈善は、それが犠牲である場合のみ慈善である。
★自分を憎む者を愛してやることはできますが、自分が憎む者を愛してやることはできません。
★嫉妬とは、愛の保証への要求である(『アンナ・カレーニナ』より)。
★十人十色というからには、心の数だけ恋の種類があっても良いのではないか。
★女――それは男の活動にとって、大きなつまずきの石である。女に恋をしながら何かをするということは困難である。だがここに、恋が妨げにならないたった1つの方法がある。それは恋する女と結婚をすることだ(『アンナ・カレーニナ』より)。
★信仰は人生の力である(『告白』より)。
★深く愛することのできる者のみが、また大きな苦痛をも味わうことができる。
★真実だけでできていたなら、歴史はすばらしいものだったろうに。
★真実を語るのは実に難しい。青年でそれをできる者はまれである。
★真理は金と同じく、その大きさによってではなく、どれだけ金ならぬものを洗い流したかによって購われる。
★神の下には大きなものも小さなものもありはしません。人生においてもまた、大きなものも小さなものもありはしません。あるものはただ、まっすぐなものと曲がったものだけです(『光あるうち光の中を歩め』より)。
★神の国は君のうちに、またすべてのもののうちにある。
★神は人間に額に汗して働けと命じている。銀行に金を積んで、何もしないで食べていこうとするのは、人間の掟に反することだ。
★神を見た者はどこにもいないが、もしも我々が互いに愛し合うならば、神は我々の胸に宿るのである。
★人々は、あまりにも力の助けを借りて秩序を維持するのになれているので、圧制のない社会組織を考えることはできない(『読書の輪』より)。
★人々は愛によって生きている。だが、自己に対する愛は死の初めであり、神と万人に対する愛は生の初めである(『読書の輪』より)。
★人間が幸福であるために避けることのできない条件は勤労である。
★人間の仕事は、ただ自分の秩序を乱さないことにある。それはちょうど、斧がいつも磨かれてピカピカ光っていなければならないのと同じことである(『日記』より)。
★人間を自由にできるのは人間の理性だけである。人間の生活は、理性を失えば失うほどますます不自由になる。
★人間を法律に服従させるという思想は人間を隷属させることであり、神の法則に従うという思想は人間を解放する思想である(『読書の輪』より)。
★人生とは、とどまることなき変化である。つまり、肉の生活の衰弱と霊の生活の強化・拡大である(『読書の輪』より)。
★人生の唯一の意義は人類に仕えることにある。
★政府とは、それ以外の人々に対して暴力を振るう人々の団体である。
★政府は、自らが奴隷状態におき抑圧している臣民に対して、軍隊を必要とする。
★正しい結婚生活を送るのはよい。しかし、それよりもさらによいのは結婚をしないことだ。そういうことのできる人はまれにしかいない。が、そういうことのできる人は実に幸せだ。
★生きているものだけが善をなす。
★生涯1人の異性を愛するということは、1本の蝋燭が生涯燃え続けることと同じである(『クロイツェル・ソナタ』より)。
★戦争というものは、最も卑しい罪科の多い連中が権力と名誉を奪い合う状態をいう(『読書の輪』より)。
★善の栄光は彼らの良心にあり、人々の言葉にはない(『読書の輪』より)。
★善を行うには努力を必要とする。悪を抑制するには更に一層の努力が必要だ(『読書の輪』より)。
★全ての暴力は戦うことなく相手を屈服させることは出来ようが、相手を従順させることは出来ない(『暴力と愛の抵抗』より)。
★多くの女性を愛した人間よりも、たった1人の女性だけを愛した人間の方が、はるかに深く女というものを知っている。
★誰もが世界を変革することを考える。だが誰も己を変えようとは考えない。
★敵を取り除くためには、敵を愛さなければならない。
★天才とは強烈な忍耐者である。
★怒りは他人にとっても有害であるが、憤怒にかられている当人にとっては更に有害である。(『読書の輪』より)
★動物は子孫を設け得る時期にだけしか交わりません。しかるに我々人間は、この忌まわしい万物の霊長はですね、快楽が得られさせすれば構わないというわけで、時と場所をわきまえません。
★動物的自我の否定こそ人間生活の法則である(『人生論』より)。
★富は糞尿と同じく、それが貯蓄されているときには悪臭を放ち、散布される時は土を肥やす(『断片』)。
★未来に於ける愛というものはあり得ない。愛はただ現在に於ける活動である。現在に於いて愛を現さない人は、愛を持たない人である(『人生論』より)。
★歴史家とは、誰も質問していない問いに答えようとする聾のようなものだ。
★恋とは自己犠牲である。これは偶然の依存しない唯一の至福である(『クロイツェル・ソナタ』より)。
【トルストイのエピソード】
トルストイの祖先はアレクサンドル1世の側近で、トルストイもまた伯爵としてロシアの名門貴族の一員であった。
トルストイは社会事業に熱心であり、自らの莫大な財産を用いて、貧困層への様々な援助を行った。援助資金を調達するために、作品を書いたこともある。
トルストイがインドの新聞に寄稿した「ヒンドゥー人への手紙」はマハトマ・ガンジーに影響を与え、非暴力主義への発展へと繋がった。
晩年の作品『復活』は、ロシア正教会の教義に触れ、1901年に破門の宣告を受けた。社会運動家として大衆の支持が厚かったトルストイに対するこの措置は、大衆の反発を招いたが、現在もトルストイの破門は取り消されていない。
家庭では暴君であったといわれ、夫人との仲は険悪であったとされる。
「ニーチェは愚かで常軌を逸している」との言葉を残している。
トルストイの著書である「読書の輪」は、一年の日付ごとに数行の言葉が並べられている名言集である。
トルストイは人間の生き方について語っている。
「現在の社会は、支配される社会と、各人にとって有利かつ合理的な考え方によって支配される社会とに区別して考えるほうが、はるかに自然である。そこでは暴力のみが人々の行為を決定する」