コンスタン・ヴィルジル ゲオルギュー(1916 – 1992)は、ルーマニアの作家、詩人、宗教家で、コンスタンティノープル総主教である。
コンスタンティノープル総主教庁は、正教会で筆頭の格を有する総主教庁・教会である。コンスタンチノープル総主教庁、全地総主教庁、ないしコンスタンティノープル全地総主教庁とも表記される。
初代総主教は、十二使徒の一人である聖アンドレアスとされている。現在の総主教はヴァルソロメオス1世(1991年 - )である。
コンスタンティノープルは、現在のトルコ共和国で、最大の都市であるイスタンブールの旧名である。総主教座は、イスタンブール旧市街の金角湾に面したファナリ地区に建つ聖ゲオルギオス大聖堂に置かれている。
1カ国に1つの教会組織を具えることが原則である正教会には、カトリックのローマ教皇庁のような、全体を統括する組織はない。コンスタンティノープル総主教庁は、歴史的経緯から正教会の代表格と認識されている。
他にギリシャ正教会、ロシア正教会、ルーマニア正教会、日本ハリストス正教会などがあるが、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳ではなく、同じ信仰を有している。
コンスタン・ビルジル ゲオルギュは、ブカレスト、ハイデルベルク両大学で哲学と神学を専攻して、ルーマニア外務省の特派文化使節随行員となる。
1944年のソ連軍のルーマニア進駐でフランスに亡命して、パリに住み、’71年コンスタンティノープル総主教となった。
詩集「雪の上の文字」(’40年)で、ルーマニア王国詩人賞を受賞した。小説では小民族の苦難と運命を描いた「二十五時」(’49年)で名声を得て、他に「アガピアの不滅の人たち」(1964年)や「パリの神」(’80年)などがある。
C・ビルジル・ゲオルギュが名をあげた、べストセラー小説である〚二十五時〛の、あらすじである。
ルーマニアの片田舎であるフォンタナに住む農民のヨハン・モリッツの望みは、妻のスザンナや幼い子供たちと一緒に、小さな農場で幸福に暮すことだけだった。
ところが、第二次大戦の戦雲がルーマニアにも広がって来て、ヨハンのささやかな望みをいっぺんに吹きとはしてしまった。
事のおこりは、ヨハンの妻スザンナが、あまりに美しかったためだった。その美しさに迷った警察署長のドブレスコが、是が非でも彼女を自分のものにしようと、ヨハンをユダヤ人と偽って、強制労働収容所へ送り込んでしまったのである。
これはかえって、スザンナを怒らせるばかりであった。やがてドイツ軍がルーマニアに侵入すると、ドブレスコがスザンナの前に現われ、ユダヤ人の土地は没収されるから、と説得し、ヨハンとの離婚書に署名させてしまった。
それから一年半過ぎても、ヨハンは釈放されなかった。離婚署名が、彼の釈放を絶望的にしていた。そんな時、収容所を脱走する話が持ちあがった。
脱走して何とかハンガリーの首都ブダペストに辿り着いたヨハンは、パスポートを持っていなかったためにスパイ容疑で捕えられて、ハンガリー人の身代りで、ドイツの工場へ送りこまれた。
だがヨハンは、偶然その工場を訪れた親衛隊のミュラー大佐に発見されて、ドイツ民族の純血を保持する英雄的家族の一員として、オレンブルグ収容所の看守に任命されたのである。
一九四四年四月に、ソ連がルーマニアに侵入してきた。その頃に、アメリカとイギリスの連合軍は、ヨハンのいるオレンブルグ収容所へ、あと四〇キロの地点にまで迫っていた。
猛烈な爆撃の下で、ヨハンはワイマールの連合軍の前線基地へと逃げこんだ。やがてヨハンは、ニュールンベルグ裁判に付されて、検事の厳しい論告を受けた。
だが、弁護人はそれに反論して、無罪を要求した。その時に、スザンナが夫のヨハンにあてた手紙が届き、すべては解決した。
ヨハンは釈放されて、八年振りに再会したスザンナや子供たちを、涙ながらに抱きしめるのである。
この〚二十五時〛は映画になった。主役のアンソニー・クインの演技が評価されて、傑作であると評判になった。
第二次世界大戦中の1939年に、ドイツがルーマニアを占拠した頃を描いたルーマニア出身の作家であるC・ビルジル・ゲオルギュの、このべストセラー小説を、アンリ・ヴェルヌイユ監督が映画化した。フランスとイタリアとユーゴの合作映画である。
英語のタイトルは、”The 25th Hour”とも呼ばれた。農夫をアンソニー・クインが演じて、ハリウッドでの金髪グラマー役を嫌ったイタリア女優の、ヴィルナ・リージが妻を演じた。
第二次大戦時のルーマニアを舞台に、ドイツ・ナチスにユダヤ人のレッテルを貼られて、強制収容所送りとなったブルガリア人農夫が、妻を奪回する奮闘物語である。
収容所護衛官に、横恋慕されキャンプ生活は逃れたものの、ユダヤ人の家として没収させられるのを防ぐために、離婚を余儀なくさせられる。
「俺はユダヤ人じゃない!」と脱走して、ハンガリーに逃げたものの、囚われる。だが、ここでなんと、ナチの人類学者から、今度は純然たるドイツ人のサンプルとして認められて、SS(ナチスの親衛隊)に入って、その写真が雑誌のカバーを飾ることになった。
そして終戦である。農夫はドイツ人として、ニュルンベルク裁判にかけられる。危機一髪というところで、妻の経過を綴った切々と訴える手紙に救われて、8年もの長い別離の後に、やっともとの家族に戻ることができた。
ヨーロッパでの戦争につきものの、家族の混乱や恋を描いて、さらに運命に翻弄される善良な男の、シニカルなコメディである。
「二十五時」は ゲオルギウの長編小説で、第二次世界大戦下、ユダヤ人と誤認され収容所に入れられた農民が、戦争終結後も、アメリカとソビエトの対立で自由を奪われる。
ゲオルギウはこの作品で、人間の生き方を語っている。
「人間はただひとつの次元、すなわち社会的次元に還元されてしまった。…技術社会は人間を知らない。社会は市民という抽象的な形でしか人間を認識しない」