「高 井 田 物 語」
『高井田の風土と歴史と文化』
連載三十八回
【児童文学】
「女神様」
夏休みの暑い日のことだった。タケルは小学校の六年生だった。いつものように水泳パンツひとつになって、滝へ泳ぎにいった。滝つぼからのゆるやかな水の流れがあって、浅瀬になっているところがあった。そこで女の子たちが、水と戯れて砂遊びをしていた。川の流れは、そこから下流の岩場へと曲がりくねって、深い川底をつくっていた。
「助けて、助けて、だれか助けて。早くきて」
女の子たちが大声で騒いでいた。見ると、顔見知りの小学校一年生の女の子が、浅瀬から深い川底へと流されていた。足を砂にとられて、水に流されていったようだった。
女の子は両手を天にのばして、アップ、アップと水面であえいでいた。足が水中に浮いて、必死にもがいているのがわかった。いまにも川底に沈んでいきそうである。慌てたタケルは、その方へと跳びこんでいった。
水の中で女の子と向き合った。目と目があって、飛びつく勢いで女の子が首にしがみついてきた。苦しい。息が切れてしまう。離れなければならない。女の子に抱きしめられたまま、タケルは川底へと沈んでいった。
深い水の中で、女の子は目を見開いて、じっとタケルを見つめていた。おかっぱ頭の髪の毛が逆立っていて、かわいい。笑っている顔に見えた。水と太陽の屈折のせいだった。半死半生の境地なのである。笑うはずがなかった。
そこは不思議な世界だった。女の子が観音様に見えた。女神様である。水中でタケルは女の子と遊んでいる錯覚におそわれた。楽しかった。音がない。人がほかにいない。色もない。太陽のうす明かりがあるだけである。異性の身体にタケルが触れたのは、はじめてだった。リンゴがなにか新鮮な果物のような、すべすべした滑らかな肌が、必死の力でタケルを抱きしめてきた。
この女神様を助けなければならない。女の子を抱いたまま、川底へとタケルは沈んでいった。足で思いきり砂を蹴った。苦しさのあまりに、女の子は離れていった。水面に浮いた女の子の、後方へそっとまわっていった。背中を抱いた。しっかり抱いたまま、浅瀬へとタケルは泳いでいった。
「あの作品を、校内放送で全校生徒に、読んで聞かせることになった。たのむぞ」
二学期がはじまったある日のことだった。担任の先生がこういった。夏休みの宿題に、その出来事を作文にして提出していたのだった。教室にスピーカーがあって、昼食のときは音楽が流れた。
放送室へ行って」『女神様』と題した作文のなかの女の子と、ふたたび出合った。マイクに向かって原稿用紙をタケルは読んでいった。聞いている人の顔が見えない。味気のない作り話のようである。マイクの声が、あの一年生の女の子の耳に届いたかどうか、わからなかった。
あれから六十年の歳月が、川が流れるように遠くへ去っていった。あの女の子は、いまでは六十歳代後半の高齢の女性になっているはずだった。子が何人かいて,孫たちにも恵まれて、日々の暮らしを楽しんでいるかもしれなかった。
(この作品は、小説「神々のすみか」から抜粋したものです。作者・福元早夫)