連作小説 「神への道」
第一部 「少年記」
第四十四作
うそぬきの滝近郊の作物
「サトウキビやムギ」
「……砂糖食いの若死とことわざにあるが、胃病持ちの人は、甘いものが好きなんじゃそうな。胃酸過多症や酸毒症などは、糖分のとりすぎが原因のひとつなんじゃそうな、このあいだラジオがいって聞かせた」
夕食のときである。祖父が晩酌の焼酎の湯割りをひと口のんでからいった。食卓についた祖母がそれに応じてこういった。
「糖分はよい栄養分なんじゃが、とりすぎると太るし、肌を汚くする原因にもなるそうらしかですなあ……」
「……麦と姑(しゅうとめ・嫁)は踏むがよいともことわざにあるが、麦をよく育てるためには、早苗のときに踏むのがよかのよ。姑も、下手にばかり出ていると、よい気になる。じゅっで、ときには強くあたった方がよかとよ」
祖父が祖母にこういってから、さらにことばをつづけてタケルにいて聞かせた。
「……冬に芽を出してのびてくる麦は、踏むと土壌が押しつけられて、霜柱が立ちにくくなるんじゃ。霜柱の害を防ぐことになるのよ。それに、麦の伸びすぎを防ぐこともできるんじゃ。麦踏みをすることで、寒害や凍霜害から、麦の早苗を守ることができるんじゃよ」
冬の寒い日である。タケルは祖父につれられて、田んぼの麦踏みをよくさせられた。小学校のころである。タオルで頬被りをして、腰でうしろ手を組んで、芽をだして伸びてきた麦を、朝から足で踏んでいくのである。
霜柱がザクッ、ザクッと悲鳴をあげる。冷たい木枯らしが吹いている。鼻水が垂れる。背中がぞくぞくする。寒い。
稲づくりが終わると、農家はつぎに麦づくりだった。裏作である。夏も冬も、田んぼには休みがなかった。二毛作といっていた。田んぼとつきあう祖父は、いっときの遊ぶ間もなかった。
「カライモでも食うか。茶にしようや……」
こういって、田のあぜに祖父が腰をおろす。祖母がもたせた手かごに、ゆでたイモと、急須に茶が入っている。茶碗がふたつある。冷たくなっている。それでもおいしいのだった。
木枯らしがやんで、雲間に太陽が顔をだした。光線が太い矢になって、祖父の土色の顔を照らす。足で踏んだ麦の早苗が、目をさました。ぐっと伸びをして、起きあがってくる。がんばれよ、とタケルに言った気がした。
「……おまえが手伝うと、お天道様が機嫌がいい。子どもが麦を踏むと、豊作だというからな」
こういって、祖父がタケルの肩をたたいてきた。
タケルは麦をふんだ。足に力をこめた。広い田んぼを、麦を踏んで、よいしょ、よいしょとかけ声をかけていった。背中を汗が流れた。
祖父の顔にも、汗がにじんでいる。お天道様が照らしている。タケルは宝石を見ている気になった。
夕食がすんでタケルは囲炉裏端で作物図鑑を目でおっていった。祖父と祖母は、茶をのみながら、竹のようなサトウキビの皮をむいて口にしていた。
「サトウキビはイネ科で、茎から絞った液で、砂糖を作っている。トウモロコシと似ている。年間の平均気温が、摂氏20度以上の気温が、栽培の適地である。日本では、静岡県から西に、夏期に作られている。挿し木や株分けで増殖していく。4メートル位の高さになる。原産地はインドである」
「砂糖漬は、果実や野菜を砂糖で漬けた食品のことである。砂糖染は、砂糖を染色の原料にした染め物のことである」
「コムギはイネ科で、種を粉にして、小麦粉としてから、パンや麺類を作っている。種を味噌や醤油の原料にもしている。雨の少ない涼しい気候を好んでいる。普通は秋に種まきをして、翌年の6月から7月に収穫している。春にも種まきがされている。春まきのコムギは、いつ種まきをしても開花と結実ができる種類である」
「コムギは寒さに弱く、日本では北海道で栽培されている。秋まきされるコムギは、冬の低温にあわないと、開花や結実をしない種類である。寒さに強い」
「コムギは深根性で、土の湿度が高いところでも耐える。水田の裏作に適している。穂状の花序で、穂はたくさんの小穂からなっている。一つの小穂は、3個から9個の花からなっている。そのうちで稔るのは、3粒くらいである。花にはオシベが1つと、メシベが3つある。高さが1メートル20センチ位になる。原産地は中央アジアである。パンになるコムギは、最も重要な穀物である。栽培の歴史は、きわめて古い。品種も多い」