雨に纏わる言葉は、どうしてこんなに、優しさが溶け込むように、心に沁み渡るのだろう。

⚫︎雨降って地固まる

⚫︎恵みの雨
⚫︎雨上がり
⚫︎雨宿り
⚫︎涙雨

明確な言葉ではないのに、情景が浮かんで、感情が移ってきて、言葉の余白や余韻が心地良い。

言葉の持つ意味やイメージを、各人が一寸のズレもなく、同じものとして共有出来る世界の中で暮らせたら、どんな世界になるのだろう。

安心感に包まれて、毎日心強さを感じられるようになるのかな。

それとも結局、自分がそうしたくてしているのか、周りに求められてそうしているのか、段々とわからなくなって迷いが生じるのかな。

言葉の意味やイメージを共有するということは、少なくとも精神面においては、同じような精神性で生きていなければ共有することは難しいだろうから、仲間意識が芽生えるのは自然なことだと思う。

類は友を呼ぶ的な☺︎

現在のように生き方や価値観の多様化が急加速している状況では、昔のように、国民の多くが統一性のある解釈や捉え方をすることは、もうないのかな。

誤解を恐れずに言えば、このコロナの状況下は、世界中の人々にとって最悪な危機的状況だけれど、捉え方によっては、より良い世界になるための、再構築のきっかけになる可能性も秘めているような気がする。

表裏一体。

表面から裏面から、何を見つけ出すのか。

諦めたら終わってしまう。

終わらせたくないから、ジタバタと必死に、雨の日も風の日も嵐の日も、立ち向かっていかなければならない。

止まない雨はないから。

緊急事態宣言が拡張・延長され、過酷な状況が続くことが容易に想像出来る社会状況の中、車の中で雨音を感じながら、この雨が、私達が生きていくことへの励ましであり、長い年月を掛け私達が少しずつ失ってきてしまったものを取り戻す気持ちを掻き立て、育むための優しい雨であるよう、願わずにはいられませんでした。