「そうしたら、申し訳ないけど、講義の内容を移したノート、あとで見せてね。」
「もちろん。インド土産楽しみにしてるよ。」
「そして大谷君、日本代表として頑張ってきてね。」
「ありがとうございます。いってきます。でも先生、僕、今回は日本代表の選手じゃないんですけど・・・」
「いやいや君は立派な日本代表だよ。」
7月に入って、夏の暑さが本番を迎えたころ、聡太は国際数学オリンピック財団のコーディネーター兼問題作成委員として、国際数学オリンピックが開催されるインドに向かうことになっていた。その間は大学を留守にするので、蓮や陽翔ら他のクラスメートが講義の内容を板書したノートを見せてもらうことになっていた。学生風に言えば、英語担当は航大と康太、スペイン語担当は智と直人、数学担当は蓮、物理担当は拓海と卓、化学担当は克也と慎太郎、生物担当は昌磨と陽翔、情報担当は圭太と勇希、社会担当は佑樹と伊織、というように各科目で担当を決めて、作業を分担。聡太は日本数学オリンピック財団とは別行動をとることになっていたので、彼らとは一足先に現地に向かうことになっていた。
現地の会場近くの空港に着くと、さっそく財団の関係者に会い、会場となるホテルに向かう。ホテルに着くと、さっそく財団のシューベルト会長の出迎えを受け、その日の夜は財団の幹部と会食。
翌日から財団の幹部とともに、どの問題を出題するかを決める会議に出席。翌日各国から団長団が到着すると本格的に問題を決める会議に出席。そして選手団が到着し、コンテストが始まると、その間に観光。コンテストが終了し、選手が観光している間に得点を決めるコーディネーションを担当。選手として参加した去年までとは逆の立場で大会に参加した聡太を見て、各国の団長団が聡太に話しかけたり、数学の共同研究のオファーを受け、その件で話したり、もはや聡太の存在は世界の数学界でも名の知られた存在になっていた。
コーディネーションが終わると、今度は最終的な各国選手の得点を決めるための会議。そして最終的な結果発表と、それまでとは異なり、会議・会議の連続であったが、しかし聡太にとっては今までとは違う形で国際数学オリンピックにかかわれたのは大きな経験になったのだった。
帰国後は春学期の試験が行われ、もちろんクラスメート全員が受験。
一方そのころ。
「あれ、山上君じゃないか」
「あいつ、来てるのかよ、試験だけ受けにきてるのか」
こちらは一六大学の春学期の試験の日。その試験の日に哲郎の姿があった。結局春学期はほとんど授業に出席することがなかった。しかし試験だけ受けにきた哲郎の姿を見て、ほかの学生はざわざわしていた。
「そもそも、出席するのも自由みたいな感じだしな。」
「本当、そう。」
本来なら大学では先生によっては、授業の出席を義務づけ、授業に出席しないと単位を与えないぞという方針の先生もいるが、この一六大学では、そうしたことは一切なく、どの授業も出席するかしないかは生徒の自由であった。だから悟も大吾も出たりでなかったりであったのだ。
「それでは試験を開始します。」
「試験は・・・うわ、なんだよ、これ」