地元の椛中学校に入学した哲雄であったが、両親の心配は当たり、中学校でも生徒とトラブルを起こし、またしても授業がつまらないと先生や他の生徒に暴言を吐き、学校に行かなくなってしまった。しかしそれでも定期テストは来なさいということで、別教室で受験することとなったのだが、テストの成績は苦手の国語・英語以外はほぼ全校でもトップクラスの成績であった。それだけに先生も哲雄に学校に登校するように、哲雄の自宅を定期的に訪問しては言うものの、かたくなに普段学校に行くのを拒否していたのだった。

 

そんなこんなで哲雄が中学3年生になったある日、哲雄がたまたまネットサーフィンをしていたら、こんな記事が目に入ったのだった。

 

「国際数学オリンピックで中学3年生が金メダルを獲得、日本人最年少。」

 

記事には開成中学校3年生の大谷聡太君が国際数学オリンピックで金メダルを獲得、日本人最年少であり、中学生の金メダル獲得は日本人初の快挙であると書かれていた。

 

「あいつ、マジか・・・」

 

聡太が中学3年生で国際数学オリンピックで金メダルを獲得したのは大きな話題となり、マスコミにも大きく取り上げられたのだった。その中で聡太が中学2年生で数学の新しい定理を発見し、日本の「超VIP」が支援する財団の奨学生であること、さらに同じく中学2年生で国際数学オリンピックに初出場し、銀メダルを獲得したこと、中学入学時に、中学3年生で数学オリンピックで金メダルを獲得すること、高校では競技数学とプログラミングをやること、大学では数学の研究を再開し、将来は数学者になるという人生計画まで紹介されたのだった。

 

開成高校での生活もすっかり慣れ、高校でもクラスメートの友人が多数でき、毎年の体育大会に文化祭に中学3年生時の修学旅行にと充実した学校生活を送っていたのだった。

 

さらに直後に開催された国際情報オリンピックでも金メダルを獲得、中学3年生にして数学オリンピックと情報オリンピックの2冠を獲得したのだった。

 

この聡太の活躍に感化されてのか、哲雄は再び開成高校への進学を目指し、開成高校の入学試験を受けたが、またしても結果は不合格であった。この不合格は哲雄にとっては大きなショックにだったのか、しばらくの間はふさぎ込んでいた。

 

結局高校は中学3年生時の担任の先生の勧めもあり、通信制の高校に通うこととなった。その高校はレポートの提出により、卒業に必要な単位が与えられ、また月1回の先生との面談も、オンライン形式のものだった。自分のペースで勉強ができることから、哲雄も落ち着きを取り戻し、真面目にレポートに取り組むようになっていった。なんだかんだ言いながらようやく訪れた平穏な日々かと思われたが、実際はオンラインゲームにはまる生活を送っていたのだった。休日はほぼ自分の部屋で1日中オンラインゲームをやり続けるようになっていった。もともとのめりこむととことん突き詰めるタイプであり、ますますオンラインゲーム漬けの生活を送るようになっていった。

 

哲雄がオンラインゲーム漬けの生活を送っていたころ、聡太は数学オリンピックと情報オリンピックで金メダルを取り続け、学校の成績も常にトップ、いつしか開成高校創立以来最高の天才と言われるようになっていった。このころにはIQテストを受け、なんとIQ220という驚異の数値を叩きだし、MENSAの会員にもなったのだった。

 

かつて小学校時代には算数オリンピックで同点で金メダルを獲得したこともあったが、もはや聡太と哲雄とは人生において決定的な差がついてしまったのだった。

 

そんな高校2年生の夏休み。哲雄は再びこんなインターネットでこんな記事を目にする。

 

「国際数学オリンピックで日本人選手が満点で金メダルを獲得」見出しにはそうあり、記事はこう書かれていた。

「開成高校2年生の大谷聡太さんが満点で金メダルを獲得、大谷さんは3年連続での金メダル獲得。」

 

「満点で金メダル?・・・マジかよ・・・」

哲雄は深くため息をついた。と同時に今の自分とのあまりにも違う状況にすっかり落ち込んでしまった。昔は数学の実力は同じだったはず、なのになぜこうも差がついたのか・・・

 

そうこう思いを張り巡らしていると、何かが沸々と湧き上がるのを感じた。

 

そうしていると居ても立っても居られなくなり、2階の自分の部屋から階段を下りて1階の真澄の元へ駆け寄った。

 

「母さん、また数学を本気でやることにした。来年の数学オリンピックで大谷君を倒す。」

 

その目には確かな光が宿っていた。何か力を取り戻した気分に自分でもなっていたのだった。