鷹の目 平田/Hawkeye Hirata

鷹の目 平田/Hawkeye Hirata

Hawkeyeの如く、世界情勢の大局をよく見たいと思います。

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 沖縄は戦争終結後も27年間米軍統治下にあり、昭和47年に本土に復帰してから50年が経ちました。
 復帰後も日米同盟の下、国土面積0.6%の沖縄に在日米軍基地専用施設面積の約0.3%が集中しており、沖縄本島の枢要な地域を占有しています。
 ということで経済発展を遂げた日本の中にあって、発展を阻害されているというのが沖縄県の言い分のようです。
 たしかに米軍は自国の世界戦略の一環として沖縄に駐留しているのでしょう。がそれは、沖縄を含む日本の安全保障にも役立っているわけでもあります。
 仮に、在沖縄米軍が撤退して基地が返還されて発展した沖縄を、中国の侵攻から如何にして防ごうというのでしょう。
 米軍がいなくなり経済発展を遂げた沖縄は、中国の格好の餌食となるのは目に見えています。
 それは沖縄が現在の位置にあることによる動かせない宿命なのです。政府も沖縄県もそこん所を良―く考えて施策を執る必要があるのではないでしょうか。

僻目の平田

 日本の国防論議は、何故最初に銭の話になるのだろう?
 自民党が提言した防衛費のGDP比2%以上をめぐり、連立政権の片割コメトがイチャモンをつけているという。
 戦後の日本人は国を守る予算については、何故最初から制限を付けるのでしょう。
 そもそも、46年も前の1976年に当時の三木内閣によって毎年度の予算枠として1%以内の枠が閣議決定されたもの。それを見直しもせんで半世紀近くも。
 防衛予算なんて自国を取り巻く安全保障環境を見極めて敵性国家の状況、同盟国との関係などを考慮して必要な兵員・装備等を積み上げた結果出てくるものであって、端から1%以内だとか、2%以上だとかいうものではなかろうに。
 コメトの北側一雄副代表は「重要なことは、予算額ありきではなく、安保環境の厳しさが増す中、国民を守るには何をしなければならないのか。それを個別具体的に検討し、真に必要な予算を積み上げていくことだ。」と述べている。
 正に、至言ではないか!
 この人を防衛大臣にしたらどうだ?

僻目の平田

 経済安全保障法というのが成立したそうです。遅過ぎるという感じがしないではないですが今まではノー・ズロー(ス)状態であったのだから、良しとしなければならないのでしょう。
 次は食糧安全保障だそうです。
 本来であれば国家安全保障という概念があって、その中に軍事であれ経済であれ食糧であれ諸々の国家機能が含まれるはずのものだが、戦後の日本人の頭には国家安全保障=軍事という固定観念がこびりついているせいか、議論が忌避されてきたのではなかったかと思うのです。
 それが証拠に産経紙3面には「中露年頭 国を守る一歩」という見出しで、小林鷹之経済安保担当相のコメントなどが載っています。
 さらに関連の政府の動きとして、年代ごとに経済産業省に「経済安全保障室」・外務省に「新安全保障課題政策室」(いずれも令和1)、国家安全保障局(NSS)に「経済班」設置(令和2)、経済安全保障担当相新設(令和3)などが記載されており、更に第5面には「経済安保法の要旨」が掲載されています。
 その法律の趣旨には「国際情勢が複雑化する中、経済活動に関して国民の安全を害する行為を未然に防ぐ重要性が増しており、安全保障の確保に関する経済施策を総合的に推進する。」とあります。まさしく国家安全保障そのものじゃないでしょうか。
 今更言っても詮無い事ですが、1990年代に日本企業が挙って大陸に進出し始めた時に「国家安全保障」という考えがあったなら、戦後営々として築き上げた産業技術を何の制限も付けずに持ち出して盗まれ、彼の国を軍事・経済大国に押し上げる時期をもう少し先延ばしに出来たのではないでしょうか。
 戦後75年以上米国に保護されて国の安全保障については殆ど考えて来なくてよかった、国家安全保障=軍事という固定観念からの忌避があったかもしれないが、自由主義諸国の盟主である米国の力も以前ほどではなくなってきています。
 そろそろ押し付け憲法も改定して、国の安全保障については個々の省庁を取り纏める国家安全保障省でも創って全体を統括するシステムを考えても良いのではないでしょうか。

僻目の平田

 自民党の小野寺五典 安全保障調査会長が実施しておられる
「国家安全保障戦略(NSS)」平成25年(2013)12月策定
「防衛計画の大綱」平成30年(2018)12月策定
「中期防衛力整備計画」平成30年(2018)12月策定
の三つの見直し。
 これらは今メディアでもニュースになって非常に関心があるところです。
 国防に関しては国際情勢の変化、軍事技術の進歩等など日進月歩ですから節目節目で見直す必要があろうと思います。ただ日本においては大本のところが?
 まず「国防の基本方針」昭和32年(1957)5月20日国防会議及び閣議決定) 因みに防大1期生卒業の年
 ① 国際連合の活動を支持し、国際間の協調をはかり、世界平和の実現を期する。
 ② 民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する。
 ③ 国力国情に応じ必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。
 ④ 外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。
 平成31年(2019)版の「防衛ハンドブック」には、この基本方針が載っていたので、そのままなのでしょう。
 ①の国連の活動ですが、現実の国際情勢は国連安全保障常任理事国であるロシアがウクライナに攻め入っている状態
 ④の安保理常任理事国が戦争を仕掛けるようでは、国連が有効に機能するとは思えない
というような状況では、まず「国防の基本方針」を見直すのが先ではないでしょうか。
 いやいやそれよりも先に、この「国防の基本方針」の大本は「日本国憲法」にあるのでしょうから、憲法の前文にある
「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して・・・」というような国際情勢認識は現実世界とは全く違ってきていることを認識すべきではないでしょうか。
 75年前に占領軍から押し付けられた憲法の下、65年前に創った「国防の基本方針」をそのままに、「三文書」をいくら弄くり回しても現実に即した提言は出て来ないのではないか?というのが僻目の見方です。

僻目の平田

 今日(5/4)の産経新聞「正論」欄に、防衛大学校教授 神谷万丈氏が「平和のための軍事力直視を」という題で寄稿されていました。
 ロシアのウクライナ侵攻に関連して、「日本人は平和のための軍事力の役割を正面から見つめ直すきっかけとせよ」という論旨。
 日本は専守防衛の原則の下で攻撃力は持てないとの前提で防衛政策を組み立ててきた。が、現実の世界は「攻撃力を持たない国は抑止力も持てないという事実にも留意する必要がある」とし、一定の攻撃力の保持は専守防衛の精神と両立可能だとおっしゃる。
 また、安全保障学(?)には「防衛的防衛」という考え方があると。
 「防衛のための攻撃力の保有は否定せず、全体的な兵器体系や政策のあり方で国の自衛への専念を示そうとする。」
 専守防衛から防衛的防衛への転換は、専守防衛の放棄ではなくアッピグレードというべきものだと。
 こうなると、単細胞の僻目の頭ではほとんど理解不能となります。
 戦後日本の国防論議はどうしてこうも小難しいのでしょうか?
 それは当然「日本国憲法9条」に起因するものであり、戦力の不保持を宣言しながら「自衛隊」という戦力でない戦力をもって国を守ろうとするからです。
 今の後輩たちは、こういう難しい理論(?)が理解できるのでしょうか。
 なぜ単純に「現行憲法の前文及び9条は改定すべき」と教えないのでしょう。
 憲法を改定したら、法律学者の「御飯の食い上げ」になってしまうからなのか?
 残念ッ!

僻目の平田

 今日は日本国憲法が施行されて75年目の「憲法記念日」です。
 産経新聞によると、岸田首相は同誌の単独インタビューに応じ「9条への自衛隊明記について『自衛隊の違憲論争に終止符を打つため大変重要な課題であると丁寧に説明を続けていきたい』」と述べたという。
 当たり前のことだろう、それが75年間も行われて来なかった日本国の不思議さ。
 戦後今日まで、米国の保護国として暮らしてきたわけだから国として特に支障をきたす問題では無かったのではあろうが、自衛隊員は「国の守り」という重要な責務を負いながら「憲法違反」のレッテルを貼られて肩身を狭くして任務に就いてきた。
 多分一般国民の方々は知らないと思うが、自衛隊員は命を懸けて国を守ると誓っているのです。自衛隊員の服務の宣誓に
「・・・事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国の負託にこたえることを誓います。」
 似たような職務に警察官や消防隊員などがありますが、命を懸けてでも職務を遂行するという誓いはありません。
 というような自衛官を「憲法違反」のまま放置する国、政府が日本以外のどこの世界にあるでしょう。
 「税金泥棒!」と言われなくなっただけでも良しとするか。
 「丁寧に説明を続けていきたい」ということですから、多分100年までには難しいでしょうな。

僻目の平田

 本日(5/2)の産経新聞「正論」欄は、明日5月3日の憲法記念日を前に法学者である駒澤大学名誉教授 西修氏が執筆されています。
 現日本国憲法は施行されてから75年が経ち、現下の国際情勢に照らし合わせて憲法審査会は「9条の改正」と、現憲法にない「国家緊急事態条項を新設の有無」を第一義的に議論すべきと提言されています。
 法学者である氏が述べられていることですから、僻目ごときがどうこう言うことではないが、なぜ現憲法の前文については論評がないのでしょう。
 前文には「・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」とあります。
 まあ前文ですから「そうありたいという理想を述べたもの」と言えばそれまでだが、あまりにも能天気すぎないでしょうか。この前文を受けての9条なのです。
 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 氏は、9条の2項を以下のように加えたらよいのではないかと提案されています。

 2 日本国は、その平和と独立を守り、国および国民の安全を保つための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
  ②自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

と。
 ただ、9条の1項をそのまま残しては「武力における威嚇と武力の行使」が出来ず、国の防衛は成り立たないのではないでしょうか?
 「武力による威嚇」は「抑止」であり、「武力の行使」は「自衛力の発動」であるのですから。
 とにかく現行憲法の9条を「改正」ではなく「改定」しなければ、どんなに弄くってみても真面な国防条文にはならないと思うのですが如何?。

僻目の平田

 今朝(4/14)の産経紙に「有事(何か事が起こった時)に外国にいる日本人を保護するために自衛隊機を派遣する法」が改正されたという。
 以前は、邦人(日本人)しか乗せんという事だったが、①邦人の配偶者及び子供②在外公館の現地職員ら③国際協力機構(JICA)など独立行政法人の現地スタッフも乗せて良いと。
 また、以前は主として政府専用機を使用するという規定を自衛隊輸送機も使えるようにと。
 そう言えば、アフガニスタン紛争の時すったもんだした挙句自衛隊機の派遣が遅れて、邦人一人が国外に移送されただけで、日本大使館などで働く現地スタッフやその家族など500人余りのアフガニスタン人は一人も救出せずに終わった事例がありましたな。(何故か害務省役人である大使館員だけは、先に逃げ出していた)
 ま政府としても自衛隊は憲法違反という気持があるから余り大ぴらに海外に出すことは憚られるのでしょう。しかし国民の血税で養っているのですから邦人等の救出には時機を失せず使えば良いのに。判断が遅れて手ぶらで帰って来るよりマシでしょうに。
 とにかく戦後の日本人政府は、アメリカに刷り込まれた「悪うございました史観」によって軍隊もどきの自衛隊の使用に関しては、一種の後ろめたさでもあるのでしょうか。
 やはり、大本の憲法を改正してチャンとした軍隊組織に位置付けないと折角優秀な技能集団も宝の持ち腐れになるのではないでしょうか?

僻目の平田

 「専守防衛」とは何だろうと改めてネットで調べてみたら、次のとおりでした。
 日本の防衛戦略の基本的姿勢を指す。その内容は「相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使し、その防衛力行使の態様も、自衛のための必要最低限度にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最低限度のものに限られる」とされている (1989年版『防衛白書』) 。
 まず「相手からの攻撃を甘受している」しかも「自国の反撃は必要最小限度を強調する」。
 これじゃ、国民に犠牲が出るのを我慢しろということになりませんか?とても「戦略」と呼べる代物ではない。
 一般の国民は国の防衛なんて殆ど無関心で興味がないのは分かりますが、国会議員の先生方は「憲法」や「国の防衛戦略」については、しっかりと関心を持ってもらいたいものです。
 ウクライナの惨状は、即日本にも当てはまるものです。
 否、プより醜はもっと酷いでしょう。日本に対しては核の使用も躊躇しないのでは?。

僻目の平田

 日本では「一部の学者じゃなくて、大部の学者」が、総理大臣の所轄で政府から独立した「特別の機関」である日本学術会議に代表されるような左巻きの連中で構成されています。
 何でこんな役にも立たん学者のグループを総理大臣所轄の機関にしとるのか意味が解らない。本当に真っ当な学者の集まりなら福島の処理水を検査して、「大丈夫‼」というお墨付きくらい出せる筈なのに。
 昭和24年(1949)1月に設立された機関だそうですが、時の総理は吉田茂は何のためにこんな機関を創ったのでしょうね?
 神武天皇が日本国を建てられて大東亜戦争までの日本人と、敗戦によってマッカーサー元帥に治められて今日に至った日本人は、全く違った人種になってしまったのではないでしょうか?
 それほど戦後のナッカーサーによる日本弱体化政策というのは、周到に練られた政策だったということなのでしょう。
 現行憲法の下では、自衛隊(他国から見れば軍隊)を持つこと自体明らかに憲法違反だと解るのに、「自衛隊は軍隊じゃない」と強弁し、75年間もそのままに放置して増強し続けている不思議な国。
 もしこのまま、どっかの国が尖閣諸島などを奪いに来た場合、出動させられた自衛隊は「軍隊ではない」ということで戦時国際法の適用外とされても文句が言えなくなる可能性がある。自衛隊が「軍隊か、否か?」の問題になった場合、対象国は「日頃日本政府は、日頃自衛隊は軍隊じゃない」と言っていたと、言い募る虞がある。
 「自衛隊」という言葉が、「言霊の幸ふ国(言葉の霊力が幸福をもたらす国)」となるか否か、真剣に検討すべき時期にきているのではないだろうか?

僻目の平田