ちょっとすごい演劇を観たのでブログ。
@スタジオ空洞
すごいすごいすごい。
江戸川乱歩「D坂の殺人」を冤罪と告発する”詭弁”法廷劇。
ストーリーは乱歩の死後に「縁ある人々」が集まって当時の事件をめぐり模擬裁判を行うというシンプルなもの。
詭弁法廷劇と勝手ながら称したのは、まさにこの芝居が詭弁の力で成り立っていたから。
きっと小説で書けば一笑に付されるような物語。演劇という別ジャンルだからこそ挑めたのだと思う。
役者が熱量もって
「実はこれこれこうなんだ!!!!」
って言えばお客さんも
「実はそうだったのね!!!?!?」
ってなる。
それが演劇の強さだから。
役者が嘘をつかなければすべてが本当になるから。
だからこその、詭弁。
でも思ったんです。
詭弁と真実は等価であると。
本編では、かつて明智小五郎の名推理によって暴かれた「真実」が絶対的に君臨している。
それは疑いをもたない限り正しいままだ。
けれど目の前の事実を疑ったとき。
たちどころに真実はボロをみせる。
正しい顔をしてる真実も。
嘘っぱちみたいな詭弁も。
論争の上ではまったくの平等だ。
誰かによって決められた事実には、自分の頭で噛みつかないといけない。
たとえ詭弁を弄してでも。
世界が決めたことに歯向かうべきだ。
巷には「真実」があふれている。
理不尽な冤罪。
大衆の同調圧力。
恣意的な情報操作。
ものごとを受け身で捉えていたら。
僕らはきっと過ちをおかすだろう。
現代を生きる僕らに必要なのは、事実と正義を疑う力かもしれない。
すでに完成された名作に食ってかかった劇作家の志は、もっともっと深いところにあるように感じた。
これは二次創作の新しいカタチだ。
絶対的な真実が音を立てて崩れゆくときの凄まじさ。そこに僕はエンターテイメントの極致をみた。
世界が決めたことに、自分の頭で噛みつくための95分。
上演すべき意義に満ちた演劇でした。









