『暁のヨナ』
@EXシアター六本木
初日にお伺いしました。
やーーーー。
ヨナが美しい凛々しい可愛いそして最高。
キャラクターに血が通ってた。
「生き生き」こういうことだなって。
新垣里沙さんは最高の役者さんです。
いつも新垣さんの舞台を観て考える。
どうして、最高なのだろうと。
2回ご一緒してもまだその本質は掴みきれてない。まだまだ秘めている。僕はその奥底まで演出家として未熟ながらたどり着けてなかったはず。
でも一つ確信してることがあって。
新垣さんはカラダに嘘の気持ちがない。
喜怒哀楽あらゆる心の動きに全力だからこそ、その身体が、嘘をついてないんですよね。
セリフはしゃべる音だから気持ちがのりやすい。でもじゃあカラダはどうなのか。ちょっと難しいんです、気持ちがのった身体っていうのは。身体の気持ちは。
例えば怒ったときの身体の気持ちって何でしょう。
拳をふりあげる、相手を激しく指差す、そういうのは「怒り」を端的に記号化してるだけで、わかりやすいし駄目じゃないけど、それだけだとどうも嘘っぽい。演技みたいに思えます。
カラダの気持ちって、何かアクションをする「行為」ってわけではない。行為は伴うかもしれないけどそこに真贋が宿るわけじゃない。
怒ったときの身体で言えば、僕らが、日常生活で怒ってるときの身体そのものです。行為ではなく「状態」こそが重要。
怒りという感情に心がとらわれてる状態、そのときに在る「いま」だけのカラダです。動くかもしれない、微動だにしないかもしれない、けれど必ずそこには「その人が怒ってるカラダ」がなくてはいけない。それこそが本当だから。
新垣さんはおそらく「いま」だけの気持ちを連続させている。だから身体も「いま」しか存在していない。
役作りは積み重ねだとしても、その瞬間そこにいる自分が、次のセリフや前のシーンよりも、はるかに独立して大切なもの。
当たり前だけどいまお客さんが観ている役者の姿は、いましかそこにないのだから。
自分が、そのキャラクターがいま、どうなのか、どう在るのかは、常にその瞬間だけを正確に演じることで生まれる。
新垣さんには雑さがないんです。
ここは「こんな風に」みたいな嘘を本番前にすべて捨てていってる。本読みで。稽古で。
雑な処理を、曖昧な妥協をした箇所がないから「全力のいま」が板の上で連続する。
当たり前のように思えるこのいかに難しいことだろうか。それをいつも成し得るところに、女優ではなく役者を名乗る彼女の矜持を感じる。
だから僕は「役者」新垣里沙さんを尊敬しています。
とか何とか堅苦しいこと言いましたけどこの笑顔ですよ。ぜんぶ。まぶしすぎて僕の顔に影できてるし。
良いもの観せてくださったので愛情こめてブログ書きました。
千秋楽まで頑張ってください。敬具。