少年は残酷な弓を射る - 子供は天使なんかじゃない | 39歳、KLC通ってます→41歳、再開しました→46歳、最後の移植

39歳、KLC通ってます→41歳、再開しました→46歳、最後の移植

2015年第一子を出産、2018年第二子出産。現在凍結胚移植のためklcに通院中です。

※ストーリーの大筋に触れています。


冒頭、暗がりの部屋で白いカーテンが揺れている。

画面いっぱいにカーテンが広がり、やがて画面がホワイトアウト。


場面が変わり、町の中。

真っ赤な液体の中に、人々が群がる。

よくよく見ると、それはトマト。

人々が、トマト遊び?に興じている。


さらに場面が変わり、またしても部屋の中。

先ほどの部屋とは異なり、モノが散乱している。

散らかっているのは部屋の中だけではなく、

扉や、窓や、車にまでも赤いペンキで落書きがされている。


このように荒んだ状況に陥ってしまった原因は、

どうやらこの家に住むエヴァの息子、ケヴィンにあるようだ・・


 

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凶悪犯罪が起こったとき、特にその犯人が青少年であったとき

その家庭環境に思いを馳せる人は、少なくないのではないでしょうか。

わたしも例外ではありません。

もしかするとそれは、何かもっとらしい理由を、自分の中で作らないと

いられないからなのかもしれません。


生い立ちなどに何ら問題がなくとも、人を人とも思わぬような事件を、躊躇なく起こせる人間が

この世に存在すると認めるのは、恐ろしすぎる。

だから手っ取り早く原因を家庭に見いだそうとする。

安易な方法かもしれないけれど、ついそうせざるを

得ないんじゃないかって思うんです。

                                                                                                                                                
だけど、やはり事はそう単純ではないのかもしれない。

この作品を観ていると、そう思わざるを得ません。

                                                                
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物語は「事が起きる前」の過去と、「事が起きた後」である現在が、エヴァの目線で

交互に繰り返される、カットバック形式で進んでいきます。

とはいえ、過去のシーンはエヴァのランダムな回想で成り立っており、必ずしも

時系列ではなく整然としている訳ではありません。

けれども徐々に過去と現在が、核心部分である事件の起きた地点へとたどり着き、

カットバック形式によくみられる形でクライマックスを迎えます。


息子の起こした事件が原因で、エヴァは社会から様々なバッシングを受けます。

自宅の件もそうですが、町ですれ違う人、スーパーの中、はたまた同僚にいたるまで

あらゆるシーンでの嫌がらせが、彼女を待っているのです。


以前に観た「手紙」という映画の中で、

殺人事件を犯した兄を持つ弟が、

兄のせいで変わってしまった人生を嘆いたとき、

「それも含めて君のお兄さんの罪なのだ」

というようなことをある人に言われるシーンがありました。

この言葉はとても重く、今でもよく覚えているのですが、

そう考えるとエヴァの受ける仕打ちも、ある程度は仕方ないことなのかもしれません。


そもそも本作の場合、エヴァ自身が息子の犯した罪にに対して、

あたかもそれが自らの罪であるかのように、自分を責めています。

だから誰に何をされても、ただただそれを受け入れている。


けれども、それでは本当にエヴァに非があったと言えるのでしょうか?

彼女の育て方に問題があったために、事件が起きたのでしょうか・・?



彼女は確かに望んで妊娠した訳ではなく、

大きくなっていくお腹に違和感を覚え続け、生まれてからもどう接したら良いか

戸惑っているフシはありました。

でもだからといって、育児放棄をしたわけでもないし

彼女なりに賢明にケヴィンを愛そうとしてきたのだと思います。

                                           

                                                    
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一方のケヴィンは、母親の愛を渇望しているように見えました。

妹が出来たときの、エヴァとの会話から察するに、

彼は、自分が母に愛されていると、思えなかったのだと思います。

人一倍感受性の強い彼は、母が自分に対し感じている戸惑いを、

それとなく嗅ぎ取っていたのでしょう。


しかし彼のように感じていたり、もっと言えば、彼より不遇な人はごまんといるでしょうし、

そういう人がみんな犯罪を犯す訳ではない。

彼はどう考えても、普通じゃないと思います。


ケヴィンは幼い頃から、いやたぶん、生まれた瞬間から母であるエヴァに嫌がらせをし続けます。

子供が人の気を引きたいばかりに、ちょっとしたいたずらをするということはよくある光景ですが、

ケヴィンの場合、そんなかわいらしいものではありません。

なまじっか頭が良いため、ほんとやることが小憎たらしいのですが

成長するにつれ、もはや小憎たらしいレベルで話は済まなくなってきます。

完全に常軌を逸している。

そして、事件が起きた。

母に対する究極の嫌がらせが、あの事件のように思えました。



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エヴァがもっと、違ったやり方でケヴィンと対峙していれば、悲劇は防げたのでしょうか?

エヴァ自身も、息子に対し特種なものを感じ、危機意識は持っていたと思います。

にもかかわらず、この扱いずらい息子と正面切って向き合ってきたかと言えば、そうでは

なかったのかもしれません。

けれども、そうかと言ってあんな大それた事件を起こすなんて、想像がつくかと言えば

つかないと思うのですよ。繰り返しになりますが、彼女なりに、一生懸命だったと思うんです。



一体、どこでどうすれば良かったんだろう・・

わたしも考えしまいました、エヴァと一緒に。



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終始ずっと希望もへったくれもあったもんじゃないような展開ですが

ラストは、かすかに救いが感じられるものでした。

ただ、それはあくまでエヴァ目線(あるいはケヴィン目線)

での話で・・

被害者の立場から見れば、ハッピーエンドなどありえない。

取り返しのつかないことって、世の中にはある。

そんな複雑な思いを抱きながら、ラストシーンを見守りました。


そうそう、エヴァには夫(つまりケヴィンの父)と、娘(ケヴィンの妹)がいたのですが

事件後姿を見せないのでどうしてるんだろう、別居してるのかな?と思いきや

これについては、実は冒頭のシーンが関係してるんですよね。

・・とまたしゃべりすぎ?



たぶん人によって、観た後の感想も様々なんじゃないかな~。

わたしはここで書いたように解釈したけど、なぜ事件が起きたのか、本当のところは分からないし。

だって、本人が分からないって言っちゃってるんだもん。 (あ、またネタバレ・・?汗)

だけど、本人にも分からない、そこが逆にリアルだなーって思いました。



映像に関しても、冒頭のトマト遊び(これ、実在する遊びっていうかスペインのお祭りらしい)を筆頭に、

赤という色が随所に象徴的に使われてるんですよね。

ケチャップの赤、落書きの赤、Tシャツの赤など。

事件のおぞましさを予見させるかのように、効果的に使われてます。



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音楽もすごく独特。

重苦しい話なのに、妙に陽気な音楽がかかったりして、逆に不気味なんだよね。

そして、要所要所で使われる三味線の音色。

これは不気味というよりか、何かを思い出すなあ・・と思ったら

怒り新党でした 笑

以来、怒り新党を見るたび、逆にこの映画を思い出すようになってしまったよ~。。


このほかにも、いろんな見所があって、書き切れませんが、

決定的に凄惨なシーンは出てこないのに、人の残忍さや悪意といったモノが

ぞっとするほど感じられるあたりが、ただものではない作品ではないかと。

最初タイトルを聞いたときはサイコホラー系かと思いましたが、まぁそういう要素もあるのですが

それだけではなく、親と子について考えさせられる、素晴らしい作品でした。



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少年は残酷な弓を射る

原題:We Need to Talk About Kevin(英)

監督:リン・ラムジー

出演:ティルダ・スウィントン、ジョン・C・ライリー、エズラ・ミラー
字幕:佐藤恵子



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