[ハワイ] 山あり谷あり 我が人生 | 婆様のハワイ日記

婆様のハワイ日記

ハワイの片隅で生きるアメリカ人爺夫と日本人婆妻の老夫婦デコボコ日記です。

アロハ



久しぶりに穏やかな朝。

強風も収まり、

シャワーを降らせる雨雲も今のところ、

見当たらない。

聞こえてくる鳥達たちの声も、

何となく嬉しそうな、朝。

休みの土曜日。

遅くまでビールを飲んで映画を見ていた爺は、

まだ寝ている。

白々と明けてきた朝。

コーヒを入れて、ゆっくり飲む。

加山雄三じゃないけど、

「幸せだなぁ、、」と、思わず声に出る。

つらい時も苦しい時も、

いろんなことがあった我が人生。


結婚したら誰でももれなく幸せになれると、

信じていた、若かりしあの頃。

自分の夫が、

今で言うパワハラ男だって気がついたのは、

嬉しそうにお色直しを2回もした、

結婚式の少し後。

新婚旅行はまさかのハワイ(笑)

振り回され続けた、その生活。

いつも何だか悲しくて、寂しくて、憂鬱で、

コーヒーの味もわからなかった、朝。

ストレスで髪の毛はごっそりと抜けて、

落武者のようになった自分の顔を見て、

涙がこぼれ落ちた、20代。

そして、30代、

娘が不登校になった。

どんなに怒っても、なだめてみても、

もう、学校に行くことはなくなった。

毎朝、元気に登校していく、

同級生たちを窓から眺めながら、

涙が止まらなかった、朝。

40代。

離婚を決意、

ストーカーのようになった夫に、

何とか判を押させ、

その足で役所に届けた離婚届。

提出し、やっと他人になれた。

嬉しくて、駐車場に停めた車のなかで、

一人思いっきり万歳をした.....

そして、ずっと昼夜逆転の娘を何とかするべく、

環境を変えるしか、もう手はないと、

必死で学生ビザを取り、

なけなしのお金を握りしめ、

娘を引き連れて、

ハワイに降り立ったのは、40代。

入学した学校で、

全く英語が分からず、

母親の自分も不登校になりかけた。

最年長の落ちこぼれの劣等生。

そんなある日、

先生に授業中突然名前を呼ばれた。

怒られると身構えた、その時、

「婆、あなたは英語が分からないのに、

ずっと毎日学校にきて、座っている。

私にはできないことよ。

私は本当にあなたのことを尊敬するわ....」

と、真っ直ぐ目をみて、

みんなの前でいってくれた、

今でも忘れられない、あの先生。

クラスメートみんなに救われて、

助けられてきた、1年の学生生活。

昼夜逆転だった娘は、

ハワイでサーフィンに夢中になる。

そして爺に出会う。

まさかの再婚。

そして車もない牢獄のようなアパートからの、

極貧結婚生活がスタート。

仕事をし、学校にいって、

マッサージのライセンスもとった。

4つの仕事を掛け持ちし、

気が狂ったように働いた50代。

(夜明け前のダイヤモンドヘッドとワイキキ)

そして60代。

コロナになった。

仕事場は閉鎖し、仕事はなくなった。

この時を前後して、

最後のチャンスと、40年物の古いアパートを

どうにかこうにか買えた。

こんな時に買うもんじゃない!の声から、

夜逃げするように2人で引っ越しする。

余裕は全くないが、

自由が出来た。体も心も楽になった。

空を見上げる心の余裕も出来た。

そして、何より嬉しいのは、

一番のベストフレンドである、

爺がそばにいてくれること。



ここまで書いた時、

一瞬、さぁーっとシャワーが一降り、

青空と一緒に、

またまたこんなレインボーを

プレゼントしてくれた、私のハワイ。

もう一度、言おう。

「幸せだなぁ.....」


続く。

(一瞬だけ出て消えた今朝の虹)