[ハワイ] 涙する祖母の人生最後の死に方 | 婆様のハワイ日記

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ハワイの片隅で生きるアメリカ人爺夫と日本人婆妻の老夫婦デコボコ日記です。

アロハ



3年ぶりだった日本。

3年ぶりに日本に帰り、

いろんな事を思い出す。

母方のもう一人の祖母。

同じ村の小さな農家が母の実家。

子供8人を養うために、

やっぱり働き通した祖母の人生。

浮かぶのは、手拭いを頭にかぶり、

もんぺ姿でいつも動き回っている姿。

その背中は大きく曲がり、

冬には冷たい水仕事で霜焼けになり、

そのシワだらけの手は真っ赤に膨れ上がっていた。



この祖母は、

その生涯でただの一度も怒ったことがない。

怒るどころか、

不機嫌な顔さえもみせたことさえない。

本当にいつも穏やかで、

包容力があり誰にでも優しかった。

母の実家は、台所が土間になっていて、

2つの釜戸があり、

木をくべて料理をしていた。

農作業しながら8人の子供のご飯を、

この釜戸で作り、五右衛門風呂だって、

外で薪をくべて沸かすしかない日々。


スイッチ一つで何でもできる現代なのに、

それでもご飯作るのが面倒だと、

文句言っている自分が恥ずかしくなる。

いや、、もう本当に、

考えただけでも恐ろしい大変な毎日を、

昔の女性は生きてきたんだと、

今更ながら尊敬する。



お祭りの日に、

一度子供だけで泊まった時があった。

おかずは、ほんのちょっとしかなかったが、

おこげのそれはそれは美味しいご飯を

食べさせてもらっって、

蚊張の中で、皆で川の字になり寝た記憶がある。


祖母は夫を見送り、

孫達の独立後、長男夫婦と老後を送っていた。

その後入退院を繰り返して、

帰った自分の家。

あんなに温厚で穏やかだったのに、

祖母は常々、8人の子供達に、

「自分で自分の後始末が出来なくなって、
   迷惑かけるなら死んだほうがましだ...」

と、これだけは呪文のように唱えていた。


そして、この人は、それを本当に実行に移した。



トイレにもう自力でいけなくなると、

ご飯を一切食べなくなった。

もちろん意識はちゃんとしている。

お嫁さんが何度も、

「お母さん、お願いだから食べて...」

と懇願しても一度も口を開けることはなかった。

困った長男夫婦は、

姉弟を呼び集めて、説得してもらう。

母も呼ばれて、

皆で泣きながら訴える。

「少しでも食べて。お母さん」と、

だが、誰が何と言っても、

「もう、迷惑はかけたくない」と、

頑としてそれを貫き通した。

飲み食いを一切せず、日々天井を見つめて、

祖母は、一体何を思っていたんだろう。


本当に見事な最後。

泣けるほどの、最後だった.....

数ヵ月後に枯れるように逝った、祖母。

89歳だった。

続く。