今日は本のご紹介です。
ハワイ島の観光やスピリチュアル系の本は多く出回っていますが、マレスケの虹、この本は1941年ごろハワイ島に住む日系人マレスケ少年のお話。きっとこんな少年いたんだろうな。
 
マレスケの虹
著者 森川成美(しげみ)さん

 

現在ハワイと言うと、ハワイアンや白人が多く住んでいると想像する人が多いかもしれません。しかし実際には半数以上はアジア人です。特に日系人の比率はとても多いです。

以前にも書きましたが、ダーリンがまだKeaauにある小学校時代(1970年代)、クラスで白人は2、3人だったそうです。大半は日系人とフィリピン人、ハワイアンとポルトガル、白人を嫌う人種が多かったので彼の小学時代は辛かったそう。特に彼はヒッピー一家でしたからね。。。笑

 

ハワイ島、私もそうですがほとんどの人は”ハワイトウ”と言うのではないでしょうか? こちらで生まれた日系人で日本語が話せる人は”ハワイシマ”と言う人が多いです。

なので私も日系人と日本語を話す機会があると、自然とハワイシマと言ってしまいます。

 

1868年から多くは山口、広島、熊本から船に乗って着物を着てこのハワイ島(しま)に移民をしてきました。

 

ハワイ島はサトウキビ産業が盛んで、あちこちに精製する工場があって、切ったサトウキビを乗せる汽車もハマクアからヒロ、プナ、マウンテンビューへと走っていました。

乗用車は洗車なんかしても、公道を走ったらすぐに泥だらけになる、道路は常に泥だらけ&道端にはサトウキビが落ちていて、両脇にはサトウキビが高く育っている、そんな場所だったようです。

住む場所は、キャンプ(集落)がありました。今でもKukui Camp road(ククイキャンプロード)などの通り名が付いているところが残っています。

 

日本からやってきてキビ畑で働く人たちの大概は、これからもこれがずっと続き安泰だと思っていたそうです。でも中にはそう上手くは続かない!と密かに思って畑で働くのをやめて商店を開いたり、お役所で働いたり、養鶏を始めたり。

 

こうやってハワイ島で日本人は根付いて行ったわけです。

 

日本から移民してきた両親から生まれた子供はジャパニーズアメリカンになります。

姿形は日本人、両親からは日本語で話しかけられますから日本語は話せる、日本人としての誇りを持て!と常に言われる。

だけども公立の学校に行けば英語を学び、友達とは英語の方が楽だから話す。

 

日本人だけどやっぱりアメリカ人。このような日系人が多く住むのがハワイです。

 

親が3世くらいになると、その子供は英語のみとの人も多いのが現在です。

1世(元年者)は日本語のみ、その子供2世は日本語を使う機会が多いけども英語に触れる機会がある、3世は祖父母に日本語を教わるけど、家庭内はほぼ英語の環境になる、4世以降は日本語で言っていることがわかるけども話せない。

もちろんほんの一握りの例ですが、こう言う感じなのではないでしょうか。

 

これらを踏まえて(前置きが随分長くなってしまいました、すいません!)、このマレスケの虹を是非読んで頂きたいです。

ストーリーは最初から最後まで戦争の辛い話ではありません。
最初にも書きましたが、この時代にいたであろう少年のストーリー。
 
”こんなハワイ島だったんだ” と きっと感じていただける内容なので、是非読んでみてください。
 
ご縁があって著者である森川さんと出会えたこと、大変光栄に思っています。
森川さんもここハワイ島にルーツがある方です。 いつかこの島でお会いして、いろいろな所を巡ってみたい、そんな日が来ることを信じています!
本を送ってくださり、ありがとうございました。
 
ハワイ島に在住の方で本を読んでみたい方、順番になりますがお貸ししますのでご遠慮なくご連絡ください。
 
 
 
それにしてもこの1940年代のハワイ島の話になると、私はなぜか目頭が熱くなって、魂がゾクゾクと震えだします。
自分の魂は昔、この場所にいたんだろうと強く感じます。
 
先日4月1日は、ハワイ島ヒロ湾に大津波が来て75年目となりました。
1946年と1960年、大津波でダウンタウンヒロが壊滅状態になりました。
かつては日本人が長屋を建てて多く住んでいたヒロです。商店もたくさんありました。
ヒロ湾には防波堤がありますが、津波は防波堤が無い普段は船などが入ってくる方から押し寄せてきました。
その流れはスイサンマーケット方面、ワイロアリバー方面へと行ったそうです。
津波なんて聞いたことがない人がほとんどのハワイでしたから、一気に波が引いた時に沢山の魚が飛び跳ねて、それを捕まえに多くの若者が波にさらわれました。津波後、高校の男子生徒は授業を中止して瓦礫の片付けや、ワイロア川に流れた多くの亡くなられた人たちを川からあげる役目をしたそうです。
 
 
私のクライアントもこの時代が青春時代だった方が多く、かつてのヒロの話を聞くのはとても興味深い時間です。
 
ずっと昔、1920年代のダウンタウンヒロに電柱を立てる動画がYouTubeにあります。

これは、ハワイアンエレクトリックと言うハワイ島の電力会社の動画です。

日本語が書いてあって、ローマ字でも日本の名前だったり、ヒロ湾の目の前ギリギリまで建物があったのもわかります。

とても貴重な動く歴史。こんな車がかつてはヒロを走っていたんだなぁ。

 

このヒロの今と昔写真YouTubeもとてもいいです。

 

ハワイ島ヒロは、どこか懐かしい気分になると言う人がいます。私もそうなんです。

やっぱりこの気持ち、間違っていないと思います!

日系人が築き上げてくださった歴史、これがここには今も根付いているし、スピリットがあるから。

 

本当にこのハワイ島が好きです。

 

ハワイ島でノンビリ暮らし