イケフェス大阪 ⑧ 源ヶ橋温泉浴場 | Henehene Kou'Aka

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ウィークエンドフォトグラファーによる平凡な日常の出来事の覚え書き。

生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2023の話を今だに続けているのは、いつの間にか私だけになってしまいました(・_・;

2日目最初の訪問地は寺田町にある「源ヶ橋温泉浴場」です。ちょっと距離はありますが天王寺駅から一駅分歩きました。ウキウキして小走りで向かいましたが、あまりにウキウキしすぎて途中から小走りが小躍りに変わってしまいました♪
オッサンの小躍りほどキモい絵ヅラはない。


自由の女神が手に持つのは松明ではなく、温泉マークです♨️

鯱鉾もシュールですね(・_・;


1937年に建てられました。現在は営業されていません。

全盛期は30メートルの行列ができていたそうです。

家にお風呂がある時代に生まれてきてよかった😨



レトロな下駄箱を使わせてもらえました照れ


男女の文字が豪華だわ✨

脱衣所もほぼそのまま保存されていて、いつでも営業再開できそうな感じ。


しばらく自由に写真を撮らせていただいてたら、ご高齢の男性が裏口から入ってこられて、見学者を呼び集めました。二代目親方さんで、銭湯の説明をしてくださるようです。


話が非常に長く💧 忘れてしまったことの方が多いのですが、いろいろ興味深い裏話を聞かせていただきました。



脱衣所にこんなに立派な中庭がある銭湯は多くはなかったそうです。



浴室です。




元は豪華なシャンデリアだったそうですが、二代目がご自身で修理されたそうです。



こちらがその二代目親方。

多くの銭湯経営者がそうであるように、先代も石川県から丁稚奉公に来られたそうです。10年の下働き中に貯金をし、独立して自分の銭湯を開く日を待つ。親方の伝手で銀行から融資を受ける人も。10年続かず逃げ出す人や、貯金ができない人もいる。故郷を離れる時は、貧しい親から片道の交通費だけを与えられた。独立して立身出世するか、野垂れ死にするかの2択。お手伝いの女性も石川県から呼ばれたそうです。


厳しい世界だったのですね真顔


この床に敷き詰められたものはただのゴザではなく、薄い板を何枚も並べたものだそうです。湿気やカビに強いのでしょうね。

その他、柱なども今では希少な木材が使用されています。



なんか途中から重病を患ったとか、銭湯経営とは関係ない話に逸れたりして、早く終わってくれないかな、自由に写真撮らしてくれないかなってなってきましたアセアセ


幸い2班に分けられ、最初に2階に案内される方の班に選ばれました。第二班の人たちは2階に上がるまでにかなり待たされることになります💦

後の予定が詰まっているので、2階に上がるどさくさで、女風呂を手早く撮影します。

ここだけ読んだら、まるで覗き犯の行動やん🫣



レトロ〜ラブ



階段がもう映画のセットだわ🎞️



こういうタイルはいつの間にか見なくなりましたね。


2階は二代目の弟さんが借りて、お店をやっていたそうです。たしか、ダンスホールやビリヤード場、すき焼き屋さんなどを順番にされていたと言ってらしたと記憶しています。

実際はもっと明るかったのですが、ステンドグラスを綺麗に見せるためにカメラの設定をめいいっぱい暗くして撮りました。



目の前にもオシャレな建物が見えます。



初代親方はとてもやり手だったのでしょうね。



話は終わりそうにないので、大変失礼ながら私一人先に帰らせていただきました。もっと遅い時間だったら親方によるツアーはないようなので、来年はお昼頃にお邪魔してゆっくり撮影させていただこうと思います。でも、昔の話はとても興味深いので、お聞きになりたい方は朝イチでどうぞニコニコ