ラニの学校はカソリック・スクール。
マミーもダディーも特に宗教を崇拝していないけど、
思うところあって通わせ始めた。(過去記事コチラ)
今日、お迎えにいくと、隣接している教会の扉が少し開いていた。
車に向かって歩いていくときに、
「マミー。チャーチのドアがちょ~っと、あいてるね。し~っ。チャーチは静かにするの。」
いままで、キリスト教についてどう学校で習っているのか、ラニに訊ねたことがなかった。
そこで、わざと聞いてみた。
「ここ、なぁに?静かにしなくちゃダメなの?」
「そう。チャーチだから。」
「だれがいるの?」
「ジ~ザス。」
「それ、だぁれ?何する人?」
「あのね、ジ~ザスはね、みんなの面倒みてくれるんだよ。」
自分が学校で英語で習って、理解したことを、
マミーに日本語で説明してくれたら、
“面倒みてくれる”という表現になったらしい。
なんか、“親分”ぽい。
でも、キリスト教の中の“ジ~ザス”の存在は、そういうものなのかもしれない。
ラニの言葉にでてくるジーザスは、
ベイビー・ジーザス になったり、
パパ・ジーザス になったり、
アンクル・ジーザス になったりする。
宗教に依存した生活も、教育も意図としてはいなけど、
人に優しくあったり、小さなことにも感謝したり、感動したり、素直にごめんなさいと言えたり・・・、
そんな人になれるように“面倒みて”やってください。
アーメン 。
公園で種の入った木の実を探すラニ。