みなさん、こんにちは!



今日は
「ツイてるブログ」のgouyaさん ばりに、

頭に浮かんだことをメモに取ったものを、ブログに書いてみたいと想います。



一喜一憂の人生。

日々なにかしらあり、心に引っかかった問題を解決し、心が軽くなる。

その繰り返しが学びとなり、自分の魂に記憶されていく。

そういった事を学びに、今世に生まれて来たのもありますが、

大いなる目的としては忘れてはならないことがあったはずです。




それは地球の浄化。



ほとんどの魂は、このことを目的として転生してきているはずです。

ただ、日々の暮らしにまみれている内に、その目的を忘れてしまいました。

いつしか二元性の世界、三次元の世界に取り込まれてしまったのです。

僕はずっと「死んだら全て分かる」という感覚がありました。

しかし今や、死んでから想いだしたのでは遅いのです。



動物の供養、そういうことも恐らく使命、目的の中に入っていました。
(ここは人それぞれ違うと想います)



昔の日本人は食事をいただくときは手を合わせて

「いただきます」

食べ終わったら

「ごちそうさまでした」

と穀物、植物、そして生き物の命をいただいているという事に対して

「生かされている」という感謝の気持ちを持って、

毎日食べ物にむかってそういうことをしていました。

キリスト教だったら食事前の祈りですね。

この習慣は本当に素晴らしいことだと思います。

もちろん現代の日本人も「いただきます」「ごちそうさま」は行っているでしょう。

ただ昔と違い、

いつでもどこでも好きな時間に好きなだけ好きなものが食べれる。

僕達がいるのはこんな環境なのです。


食物に対するありがたさが薄れている昨今、

果たしてどれだけの人が心からの感謝の念をこめているでしょうか?

これを形式ばったことにしてしまうのではなく、

心からの感謝の念に変える・・・というか戻す。

そのためには、自分がまず現状を知り、子供達にもその現状を教える。

自分だけの問題とせず、家族や友人にも教える。

これが日々の暮らしで実践できる、本当の「動」ではないかと観じます。

僕も子供の躾には厳しいほうですが、

中でも「いただきます」と「ごちそうさま」には特にうるさく言っています。



とは言え僕も人間です。

「いただきます言ったか~!全くもうぶつぶつ・・・」

と怒った後、自分がいただきますを言わないで

食べてしまったことも何回かあります(笑)

まずは身近な人々の意識から変えてみようと想います。


☆viva happy life チュッ( ´з`)ノ⌒☆