無事に終わりました。


とはいえ、父は交友関係が広かった事もあり弔問客が昨日初盆のお経を済ませた後もひっきりなしに来てくださいます。


幸せな事で、昨日から実家で義姉や母と弔問客の皆さまと父の思い出話をし生前の父の人望や外で私達家族への溢れんばかりの愛情を語ってくれていた事を来る方来る方にお聞きして父への感謝の気持ちでいっぱいです。


まだ70歳だった父。


どれほど悔しかっただろうか…


孫の成長を見届け、いつかは孫の結婚式も出たいと話していました。


父はとても大きな存在でした。


いつか私が亡くなった時、父と会えるかな?


小さな頃みたいに抱きしめて欲しいな。


就職したて、慣れない業務に心折れて大泣きした時黙って肩を抱き寄せてさすってくれた事


私はずっとずっと覚えてる。


父とは喧嘩も沢山したけど、いつもいつも温かく強く私達兄妹を真っ直ぐ導いてくれたね。


亡くなったからか父との思い出が美化された部分もある、嫌な思い出もあるけど

父とまたいつか会いたいな。

もし、死後の世界があり、故人と会えるなら

先に逝った愛する人達とまた話したいな。


亡くなった父には兄がいましたが未婚のまま20代で事故死

祖父も父が14の時に癌で死去

祖母も80代で心筋梗塞で死去


伯母は父の血の繋がった唯一の家族

父の姉である伯母は20代でお見合い結婚したものの相手の男性が事業に失敗し、借金をこさえた上に死亡事故を起こした為、祖母が無理やり離縁させました。

まだ伯母は当時20代半ばくらいだったのですが、子供もおらず、再婚もせず、以来祖母と2人暮らし


綺麗好きで、少しでも部屋が散らかっているとヒステリックに祖母に喚き散らしていましたがしっかり働いていたので金銭的な余裕はあり、祖母を連れてあちこち旅行し、海外にも旅行に行ってそれなりに楽しんでいました。

伯母は子供がいないため、弟の子供である私達兄妹を可愛がり私達も一緒に旅行に連れて行ってくれ、遊園地にも連れ出してくれていました。


伯母はヒステリックな面はありましたが、割と社会常識は持ち合わせている方だと思っていました…が

祖母が亡くなると徐々に奇行が目立ち、被害妄想で泣き喚く、意味の分からない場面でキレ散らかす、など弟家族を振り回すようになります。

そして部屋はいつ食べたか分からない残飯、賞味期限が切れた食物があちこち…いつ脱いだか分からない汚れた衣服、領収書が散乱し家に行くと悪臭がしていました。

上がりなさい、と言われお邪魔しましたが数分で靴下が真っ黒になる程掃除できておらず

また腐った食物を大量に手渡されるので伯母から電話があるとゲッ驚きと思う事もしばしば…


まぁ基本的に別世帯でしたので普段は特に問題無かったのですが70代になると胃がんを患い、理由は分かりませんが、私以外の面会を拒否。

当然手続きは父や母が行きましたが母へ洗濯物の受け渡しも嫌がる為、私が仕事帰りに病院に出向き洗濯物を受け取る事になりました。

病棟の師長から伯母の我儘な振る舞いについて苦情を受ける事もあり戸惑うばかりでした。

幸い手術で胃を切除し経過観察、その後脳梗塞も発症しましたが、点滴治療で済み軽度の麻痺がある為リハビリ施設に転院し日常生活に問題ないくらいは回復しました。

伯母が自宅に帰りたがった為、父が自宅を整えて部屋の片付けを行い、認定調査で要介護が出た為デイサービスに行ける事になりましたが

退院したそばから自転車でウロウロしては転倒を繰り返し救急車で搬送、幸い問題ありませんでしたが入院した病院にて

軽度の認知症、発達障害からの精神障害を引き起こしている事も発覚。

父が自転車は危険だと判断し自宅に持ち帰りましたが隙をついて自転車を持ち帰り鍵を壊してまた自転車で徘徊していました。


そしてまもなく父に癌が発覚し

伯母がやらかした後始末を母が背負う事に…

伯母は去年大晦日、実家に招待しましたが来ず夜中に自転車で徘徊し転倒。

腕の骨折で救急搬送されました。

父も年始に入院した為母は父の事と伯母の入院、手術が重なり疲弊。

私も手助け出来る事はしたかったのですが、娘の療育通いに仕事と中々タイミングが合わず

病院からのすすめで再度認定調査をし

伯母は要介護3になり、グループホームに入所が決まりました。

ですが退院当日にごねはじめ

暴れ、喚き散らし無理やり施設に入れる事は出来ない為、そのまま制止を振り切り自宅退院。


そして父が4月に亡くなると伯母はひとりぼっちになりました。

伯母にとって父は可愛い可愛い唯一残された家族だった事もあり

葬儀では妻であり喪主である母が悲しみにくれる暇もなく父の遺体に泣き縋り棺から離れないので私達や親戚が宥めて引き離し出棺では霊柩車を追いかけようとするため、それもまた制止し、収骨では1人ひたすら骨壷に父の骨を納めたがり他の家族に順番をまわさない為、これもまた何とか言葉を選びながら伯母を宥めて

葬儀は伯母の奇行を見張らないといけないので父を静かに見送れず本当にきつかったです。



そんなこんなでなんとか父の49日と納骨を済ませると伯母は落ち着き始め、私は時折伯母に電話をして安否確認をしたり、伯母から電話があれば伯母の自宅に娘を連れて様子を見に行ったりし、伯母が畑で作って収穫した野菜をくれたり娘を可愛がってくれ穏やかに過ごしていました。

あとは8月に父の初盆を迎える準備をするところでした。


父が亡くなって3ヶ月後…

父の初盆を待たずに伯母は自宅で孤独死をしていました。

連絡が付かないのを心配した伯母の友人が実家に連絡をくれて母と義姉が様子を見に行くと

伯母は既に亡くなり死後硬直状態

義姉から連絡をもらい私も伯母宅へ急行しましたが警察が来ており中には入れず車の中で待機。

結局事件性は無さそうだが死因を調べる為に病院で検死する必要があり

調べた結果、奇しくも祖母と同じ心筋梗塞で短時間のうちに死亡したようです。

死後二日経っての発見でした。


火葬したのは死後6日…

伯母は75歳でしたが、私が一月前に最後に会ってから一気に老婆のようになっていました。

言葉が出ませんでした。


あの時施設に入っていたら

こんな死に方しなくて良かったかもしれない…

いや、もっと気にかけて頻繁に様子を見に行くべきだった。

父はきっと怒ってるだろうな…

伯母を孤独死させてしまって。


今年に入り立て続けに親族を亡くし

2人とも平均寿命より遥かに若くして亡くなったのもあり悔しさと悲しみが押し寄せます。

伯母の人生はなんだったのだろうか。


家族は皆んな伯母がいつ豹変するか分からないので伯母の顔色を見ながら接し

叔母の自分勝手な行動、突然表出する怒りの感情を向けられる度疲弊し、口論になる事もあった。

だけど冷静な会話が成り立たない為、家族は伯母と距離を置くように過ごしていました。


唯一娘だけはかまってくれる伯母が大好きで自分から寄って行くし、伯母が何に対して気分を害したのかよく分からない怒りの感情を出している時もズンズン伯母の元に行くので伯母はいつも娘に会いたがってくれていました。


娘は伯母の死をすんなり受け止めました。

父の時は私が肩を震わせ泣いた為、娘も動揺したようで、未だ父の葬儀中の話しをしますが、伯母の事は記憶から消えたように話しません。

死後6日経っていたので伯母の遺体を見せないようにしていましたが、棺が親族控え室に運ばれた時に姪と控室に入り覗き込んでしまった為

しまった!!と思いましたが娘はおばちゃん寝てるね、ジュースとお菓子をおばちゃんが起きたらあげるのよ、と遺影にお供えしていました。


伯母は喜んでくれたかな

娘はあなたが大好きだったよ。


今は先に逝った大好きな家族と過ごせているのかな

どうか伯母が安らかに上に行けますように。




主人が最近になり噂の域を出ない陰謀論をXなどで目にしてから



仕事を終えて帰宅するなりずーっとその話ばかり…


寝るまでずっと戦争の話、人身売買の話、暗殺の話、怪しい薬物の話…

芸能人の誰々が使っているから目の周りが黒いんだ

自殺して亡くなった芸能人も実は殺されてたんだ


そんな事を画像検索して見せて文章を読んで聞かせてくるのですが不安


最初はあー私も見たことあるわそれ…と盛り上がっていましたが

段々ともーいーよその話は…

今はへー…

凝視


本当ここ1週間ずっとその話なんですわ真顔


子供の話してんのにそういえばさぁ

とJアラート訓練の話題から戦争の話

お偉いさん達はみんな逃げ場所を確保してて…



いや、ほんとにそうなのかもしれない。

日本人は戦後平和ボケしてると

危機感は持った方がいい


そうなんだろうけど…

なんか、もっと別の事話そうよー💦

娘もパパがそういう話し始めたら意味は分からないんだろうけどよくない内容って分かるだろうから

もうパパ黙って!静かにして!ってキレられてる泣き笑い


不安になるのは分かるんだけど

それに囚われないで…

劇症型溶連菌(人食いバクテリア)もコロナみたいに撒き散らしてる大元がいるんだ!と力説してて


段々と旦那の精神状態が不安になる

そういうのは話半分で流しておこうよって言ってみたけど…私が能天気なのかな?


今もずーっとスマホと睨めっこして陰謀論ググりまくってるよ…ショボーン


夏休み娘連れてどこ行くか話したかったけど

パパはそれどころじゃ無さそう(;´_ゝ`)


続くようなら一喝せんとかな真顔