亡くなったはずの父が居酒屋で待っていて

カウンターで1人おちょこに入ったお酒を飲んでいたんですよ…


店に入って父の姿を見た私は信じられない嬉しさと父が亡くなった寂しさを父にこぼしました。



「お父さん、お父さん…お父さんにもう少し生きてて欲しかった…」


すると父はカウンターにおちょこをトンっと置くと私の方を見て


「もう少し?どれくらい生きちょって欲しかったんか…」



と聞いてきたんです💦



私は夢の中なのに不思議と今が何月か冷静に理解してて

1ヶ月くらいあれば父とゆっくり話ができるし

父と食事に行ったり温泉行ったりできるかもしれない!



そう思った私は



「6月20日まで」


と父に答えたのですが…


父の表情が強張り



「6月20日まで生きて何をするんか⁉️」


と私に声を張り上げ恐ろしい顔で私を睨みつけました。



私は父から怒られた事、少しでも父と過ごしたいと思って答えた自分の気持ちを否定された気分になり

呆然としていて目が覚めました悲しい



生きたい、生きたいと最後まで抗っていた父。



亡くなる朝

「俺は死ぬって言う事がどういう事かやっと分かった…」


と母に言ったそうです。


その言葉を聞いて切なかった。


あれからひと月経ったけど

やっぱり父がいなくなった現実を受け入れられていない



父の死を引きずり

1人になると

お父さん…お父さん…と寂しがる私に父は怒ってるのかな…


可愛い我が子がいるのにいつまでそうしてるんだって

いつまでお父さんに囚われてるんだ


そうやって怒ってるのかもしれない


母もまだ父が亡くなった事を受け入れられないと言います。

でも亡くなった後色々な手続きで多忙な毎日を過ごしながらきっと少しずつ受け入れているんだろうと思います。


私も表面上はそうです。


だけどふとした時

こっそり父の写真を見ては泣き

お父さん…お父さんと父を恋しがる。


4歳の娘の前でも

じぃじに会いたい…と呟く始末。


娘は言います。


「ママ、じぃじに会いたかったら夢で会えるよ。じぃじはママの事ずっと見てるよ。大丈夫。」



娘はじぃじの夢をよく見るそうです。

生前一度も一緒に行った事のない公園で娘と遊びお菓子やおもちゃを買ってくれるのだとか…

ある時は誕生日じゃないのにケーキを買ってくれて

お祝いしてくれたのだと…



つい先日朝に大きな虹が空に出ていました。


娘は娘ちゃんはあの虹を渡ってる時に一度落ちて死んだのよ。

その後ママのお腹に入ってまた産まれたのよ

そんな話をし始めました。


4歳にもなると想像力が豊になるなぁなんて感心していたら


「じぃじもあの虹を歩くんだって

でもじぃじはまだ見えないね」


よく意味が分からず驚き


虹は娘にとってお空に登る階段なのかな?

娘にもう一度どういう意味か聞いたら



「ママ、運転中はお喋りしたらダメよ!警察に捕まるよ!」


と何故か怒られましたよ不安


6月の49日まではまだお父さんを恋しがって泣いて良いかな…

お父さんが本当に虹を渡り上に行く時

もうくよくよしないようにする

だから夢の中くらい笑って欲しい

怒らないで泣き笑い




父の死を…やっぱり受け入れられていない。


私には大切な夫や娘がいる。

それに母も兄妹もいる。


みんな大好き


家族に支えられて大丈夫。

ちゃんと笑えるし食事も摂れてる

旅行に行こうか、温泉入って楽しく飲み食いしたいなんて欲もある

宝くじ買って抽選日を心待ちにしたり

好きな漫画の新刊を楽しみにしてる


父が亡くなっても元気に仕事してるし

家事も育児もしてる。



なのにふと気付いたら言葉が漏れ出てる…

「お父さん…お父さん…寂しいよ、会いたい」


無意識に出てくる。


小さい頃に戻ってお父さんに抱っこされたい

一緒に並んでお昼寝して

一緒にラーメン食べて

一緒につくし採り、筍掘り、栗拾いに行きたい

一緒にドライブに行きたい

一緒に炊飯器でケーキ作りたい

一緒に犬の散歩がしたい

一緒に河川プールに行きたい


あの頃はそれが当たり前だったから

毎年冬のボーナスにおもちゃ屋さんに行ってクリスマスプレゼント買ってくれて

大きなホールケーキ買ってくれて

酔っ払って帰るのはすごく嫌だったけど

駅前のミスドを箱いっぱい手土産に持ち帰ってくれて


これ以上の思い出をお父さんが私のお父さんになってから本当に沢山沢山作ってくれたから

嫌な事も悲しい事もあったけど

本当に大好きだった。


そんな父に会えなくなってしまった事が

凄く怖い

父が存在しなくなってしまった事が怖い



いつになったら父の死を受け入れる事ができるんだろう…



日付けが変わり16日0時23分

父が70歳の若さでこの世を去りました。


一年前に肝細胞癌が見つかりステージ4

肺にも転移しており


何も治療しなければ余命半年と宣告を受けました。


肝静脈の破裂を2度起こし

塞栓術を行ない

県外の病院での入退院を繰り返しました。


安定してから抗がん剤治療開始したもののガンの勢いが強く 腹水が溜まり始め

薬の効果もなく、返って寿命を縮めてしまう事になる為担当医から緩和ケアを勧められました。



父は治療を諦め切れず先生に懇願し、通常では行わない、決して効果の得られない少量に薄めた抗がん剤を投与する為、また腹水を抜く為に県外の病院に通い続けていました。


もう担当医もなすすべは無く、緩和ケアに入院する事を家族にも勧め、入院が嫌なら訪問診療を受けられる手配をした方が良い。

現在行ってる治療は治療になっていないが本人が強く望む為ほぼお情けで治療をしてくれている状況でした。


最後に腹水を抜く為に入院しましたが

父がもう自宅に帰りたいと言い

15日に退院。


そして16日の夜急変し救急車で運ばれた病院で息を引き取りました。



最後の最後まで生きる希望を捨てない

諦めない父でしたが癌には勝てなかった。



母子感染からのB型肝炎のキャリアで

定期的に近所の病院で血圧、糖尿病の治療を受けていましたが肝臓に関してはチェックをあまり受けておらず突然の脇腹の痛みから救急搬送され

気付いた時には腫瘍は9cm


毎日毎日父を助けて欲しいと祈り続け

いつしか母からスマホに着信がある度

父に何かあったのでは…という恐怖でストレスが続き私自身もここ一年は体調がよくない日が続きました。


母からの電話に怯えなくて良い

そして父も痛みや苦しみから解放され安らかに眠るように旅立ちまちした。


近しい親族や交友関係の分かる方に連絡しただけではありましたが

葬儀には生前父と縁のあった方々が150人以上弔問に来てくださりました。


酔うと悪絡みし、深酒して意味の分からないクダを巻くたび早く寝れば良いのに…と思う事もありましたし、何となく父と顔を合わせて話をするのは照れくさいと言うか…気恥ずかしい気持ちもあり

癌が発覚するまで、私は父とゆっくり話をする時間を避けていました。


幼い頃酔っ払って悪態をつきまくる父を軽蔑した時期もあったし

母は本当に苦労していましたが

それでいて子煩悩な父でもあり

愛情は兄妹みな分け隔てなく受けました。

だから家族みんな父の死を嘆き、もっとこうしていればと後悔の念にかられています。


病院に入院したまま長く闘病していたわけでは無くほぼ自宅で療養していたせいか、まだ父が亡くなった実感のないまま葬儀を終えたのですが


49日、初盆…諸々の手続き…母もしばらく悲しむ余裕も無さそうです。


まだ夢に父は出てこないな…

きっと縁のあった方々に先に挨拶にまわってるのかな。