トルコのキリスト教 | あぶくさぶく

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トルコ語あれこれ

トルコ人の宗教というと、もちろんイスラームなんですが、ご承知の通り トルコは キリスト教とも縁の深い土地です. まず、頭に浮かぶのは イスタンブルのアヤ・ソフィア寺院(現 アヤ・ソフィア美術館)ですが、これは ギリシャ正教の大教会ですね.

エーゲ海沿いの町アイヴァルクは ギリシャの島レスボス島の対岸にある町ですが、ここには ギリシャ正教会の建物に ミフラーブという メッカの方向(キブラ)を示す構造物と ミナレ(尖塔)を 追加して ジャーミ(モスク)として 使われている教会が いくつかあって 町の名所になってます.

同じくエーゲ海地方にエフェス(エフェソス)という古代遺跡がありますが、その近くのビュルビュル山(Bülbüldağı)という山の上に「聖母マリアの家(Meyrem Ana Evi)」という教会があります. もともと、キリストの弟子ヨハネが 聖母マリアとともに 晩年を ここで暮らしたという伝承が あったらしく、19世紀になって 山上に古い住居跡が 見つかったことから それが 聖母マリアの家だと 考えられ、そこに 今の「聖母マリアの家教会」が 建てられたのだそうです. キリスト教徒にとっての巡礼地の一つです.

聖母マリアとくれば サンタクロース(トルコ語では Noel Baba)の教会も トルコにありますね. サンタクロースというキャラクターのもとになったと考えられる 聖ニコラス(Aziz Nicholaos)は 4世紀ごろの実在の人物で、彼の死後、アンタルヤ近郊のデムレ(Demre)というところに 教会が建てられたそうで、その教会は 今も 見ることができます.

キリスト教を世界宗教たらしめた人物と言われる 使徒パウロの生地も トルコにあります. Tarsus というトルコ南東部の町が そうです.

古代にはキリスト教の活動の中心として五大総主教座というのがあったそうです. ローマ、コンスタンティノープル、エルサレム、アレクサンドリア、アンティオキアの5つなんですが、このうちの2つが 今のトルコにあるんですね. イスタンブル(コンスタンティノープル)と アンタキア(アンティオキア)です. 古代においては キリスト教は 西ヨーロッパより 東ヨーロッパや 中東地域の方が 浸透度が 高かったそうで、五大総主教座のうち 西ヨーロッパには ローマしかないのも それを反映してるんでしょうね.

トルコのキリスト教というと やはり ギリシャ正教が 一番 存在が大きいんですが、実は そのほかにも アルメニア正教会や シリア正教会など 東方正教会と総称される諸教会も たくさんあります. 一番有名なのは イスタンブルの Surp Krikor Lusavoriç 教会でしょうか、円柱形の構造が特徴的な アルメニア正教の教会です.
http://www.surpkrikorlusavoric.com/

トルコ東部、アルメニア国境に近い カルスに行くと 市内や郊外に アルメニア教会の建物を 見ることができます. カルス市内には 使徒教会(Havariler Kilisesi)という古い教会があります. その案内板によると、「10世紀にバグラディット王アッバスによって建てられた. 11世紀のセルジュク族の支配以後は ジャーミとして使用され、1878年にロシアに占領されてからは 再度 教会に戻されたものの、その後使用されなくなり、1969~1980の間 美術館として 利用された後、現在は 再び Kümbet Camii というジャーミに なっている」んだそうで、幾多の変遷を経てきた教会です.

シリア国境に近い Mardin などでは シリア正教の教会も 見られるようです. そういえば "Aşık Bir Hayal" というテレビドラマは Mardin が 主な舞台の一つに なっていましたが、Gabriel というキリスト教徒が登場します. 恐らくは シリア正教徒という想定なんでしょう.

カッパドキアも 忘れてはいけませんね. 3世紀頃というから ネロや ディオクレティアヌス帝の頃に ローマ皇帝の迫害を逃れて キリスト教徒たちが やってきたのが そもそもの始まり. 4世紀には ローマ帝国で キリスト教が公認され、さらには 国教となるに及んで 迫害から逃げる必要は なくなりました. しかし、8世紀には 東ローマ皇帝の 聖像禁止令、その後のイスラーム勢力の伸張などのため、キリスト教徒たちは 実に 20世紀まで カッパドキアに 住み続けていたそうですね. 地下都市が 有名ですが、地上にも あちこちに 教会の跡が 見られます.

トルコには こんなに多彩なキリスト教の遺産が あるんですね.


カルスの使徒教会
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